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雨と宝石の魔法使い 第十話 ある肖像画 後編

「この画家って、肖像画なんて描かなかったと聞いていますが」
「ええ、なのでこれが本物なのかどうかは、まだ疑問符もついているのです」
「ただ、本物だったら、これはとても貴重というか、ものすごいニュースってことですよね?」
「ええ。かなりの高額で取引されると思います」

雨宮が訪ねた画商、ここ武藤商会は規模は大きくないものの古くからある老舗の画商で、たまにフランス絵画の掘り出し物を手に入れることがあって、昔から付き合いがある。しかし、最近はあまり良いものがない。店を畳むのでは?という噂すらある画商だった。倉科は雨宮の後をこっそりつけて武藤商会に遅れてたどり着いた。


「しかし、雨宮さん、この話良く掴んだな。なんか知ってたの?」
「遅かったな。まぁこの件はいろいろとあってな」
「え?遅かったって気づいてたのか。まぁいい。武藤商会さんも、良くこの絵が手に入りましたね?フランスならまだしも。ここは日本ですし」
「ええ、そうなんです。でもうちの先祖がパリに行った時に、どこかのギャラリーに飾ってあったものを、一目見て絶対に手に入れなければならないと感じたらしくて」

「当時既にシスレーは有名でしたけど、まぁ本物かどうかわからないからということで、いくらだったかしら、でもそこまで安くはなかったですよ」
「まぁそうですよね。もし本物だったらものすごい発見になりますからね。シスレーの歴史を変えることになります」
「ええ、しかし、なんか日本人にも見えるよなぁ。そうなるとシスレー作ってのは疑わしいなぁ」

「いや、これは本物だ」
「なんでわかるのよ雨宮さん。芸大出身?」
「隣で見ていたからな」
「は?」
どことなくこの女性、雨宮さんに似てはいるけどね。
「これは私だからな」
本気で言ってるのか?頭がおかしいのか?最近の若い子の冗談か?

「まぁそんな冗談はいいとして、じゃあこれいいんですかこちらで扱って」
「ええ、うちも、もうそろそろ引退しようかと思ってましたので」
「え、そうなんですか…」
やはり店を畳む噂は本当だったか。残念だ。

「この絵だけ手放せなくて…今日こちらの雨宮さんがいらっしゃった時、私もふと閃いたんですよね。だからお見せしようかなって思ったんです。これも何かの縁かしら」
「お主、先祖は福岡のほうか?」
「こら、失礼だろお主なんて」
「いいんですよ、ええ。でもなんで?」
「昔ちょっとな。やはり本物だな。お主、これはお主が持っていなくていいのか?」
「はい、いいんです。後継もいませんし」
「そうか…」
雨宮は黙り込んだ。

***

「アルフレッド!しっかりしろ」
「あぁ、ルル。ちょっと眠っただけだよ」
「いや、明らかに衰弱しているぞ」
「実はここ最近あまり食べてないんだ」
「阿呆、体力がなければできることもできないぞ」
ルルーシュは林檎を腿の上で拭いてアルフレッドに渡す。

「ありがとうルルー」
アルフレッドはルルーシュから渡された林檎を齧る。
「あぁうまい…」
アルフレッドは一口食べると、その後憑かれたようにむしゃむしゃと林檎を齧った。齧った手から林檎の甘い汁がこぼれ落ちる。
「いや。ほんとにうまいよ。少し力も出てきた」
「あと二、三個やろう」
ルルーシュは紙袋に入った林檎を渡した。

「それと、これをお前にやろう」
ルルーシュは、キラキラと光るオパールの宝石を取り出した。
「これは?駄目だよこんな高いもの。そんな恵んで貰うほど僕は落ちぶれちゃ…」
「いるな?」
「へへ、キツイな。よしとりあえず預かっておこう」
アルフレッドは涙を拭いてポケットに宝石を入れた。
「好きに使うが良い」
何せ今の林檎の汁とお前の涙で作ったオパールなのだから。

***

雨が降り続いている。このところの雨でセーヌ川の水位は増していた。
アルフレッドは、ちょっとした予感のようなものを感じた。

しばらくすると雨は止んだ。しかし、上流から流れ混んできた水によりセーヌ川は氾濫した。川から水が溢れ、辺りは洪水になった。
「なぁ、ルル。これはチャンスなのではないか?」
「何がだ?」
「私は暫くこれを描こうと思う」
「好きにするがいい」
「ああ」
ルルーシュはニヤリと笑った。

アルフレッドは洪水に飲み込まれないように注意しながら、セーヌ川のほとりにむかった。
ルルーシュはそれを好ましい目で見送った。
 
アルフレッドはそれから一日中セーヌ川のほとりでキャンバスに向かっていた。

次の日も、またその次の日も、毎日制作に励んだ。まるで何かに憑かれたように時間を忘れて描いていた。ともに制作に励んだピエールやカミーユのようには売れない自分の状況を焦っていたのかもしれない。

「おい、アルフレッド」
返事がない。
「おい!」
聞こえねーのか?
「おい、アルフレッド!」
耳元で大きな声で呼びかける。
「う、うわ!」
アルフレッドは椅子から転げ落ちた。
「いたたた…あ、ルル」
また食べて無いんじゃないか?
「あ、ああ」
ルルーシュはリンゴを投げた。
アルフレッドはそれを受け取ると、スラックスで吹いて、あの時のように齧り付いた。
「うまい」
「やはり食べていなかったな?あれほど言ったのに」
「なんだか集中しちゃってね」
「まぁお前は画家だから、それがいいのだろう。このくだらない普仏戦争がなければお前ももう少しましだったろうに」
「そうだね。家も奪われてしまったし」
「どうしても困ったらあの宝石を売るといい」
「そんなことできないよ。ルルーがせっかくくれたのだから」
「ふん、貴様は生きてるうちに売れることを考えるのだな」
「だなぁ。死んでから売れてもなぁ」
「まぁそう言うな。この洪水の絵はちゃんと完成させろよ」
「ああ」
「でないと洪水を起こした意味がないからな」
「え?まさか本当に起こしたわけじゃないよね?」
「さて、どうかな?」
「いくら君が神秘的だからって、そこまでは…ね」
「無駄話はいいから、早く完成させろ」
「ああ」
ルルーシュは、アルフレッドの隣で洪水の街を舟を漕いでいる人々をなんとはなしに見ている。

アルフレッドは焦って新しいキャンパスを出して、そのルルーシュを描いた。

物憂げに水面を見つめ、林檎を齧る。その姿はとても神々しかった。妻のことを束の間忘れ去るほどまでに。

***

アルフレッド・シスレー。
死後に有名になり、代表作はポールマルリーの洪水。他の画家が画風を変えていく中、最後まで印象派主義を貫いた。彼は人物の絵は生涯殆ど描かなかったと言われている。

これは本当に彼が描いた肖像画だろうか?
しかし、そうだとして、これは公にして良いものだろうか。初めて見たとき、なんとなく見てはいけないものを見てしまったような、そんな気がした。だから武藤さんも今までもっていたのではないだろうか。

「雨宮さん」
「なんだ?」
「これ、ものすごい発見になるかもしれないんだけどさ…」
「ああ」
「なんか公にしちゃいけないような気がする。もし本物なら…そのシスレーの個人的な想いが入っているようで」
「ああ」
「ああって…」
「あとはお前に任せる。確かにアルフレッドの気持ちが篭っているかもな」
僕は頷くしかなかった。
ア、アルフレッドって…まるで会ってきたような。とりあえず知り合いの鑑定士に秘密で鑑定を頼むか…。


私だと気づく者はサラマンダー以外にはいないだろうし。
雨宮はニヤリと笑った。

私は雨と宝石の魔法使い。雨宮露露。
今日も少しだけ世界を守っている。

ルルーシュ・リンデリウム・ペロポネソス、あの時はそう呼ばれていた。



 

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