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雨と宝石の魔法使い 第十一話 アプサンの代償(ピエール・オーギュスト・ルノワール)

、ルルーシュは素早く詠唱した。
氷の竜が背後から躍り出たかと思うとそれはすぐさま高速で前方に移動し、目の前に立つ男を覆い尽くした。
男は自身が火の玉の中に入っていて辛うじて竜の激烈な攻撃を防いだようだった。

「今のは危なかった。あの短い詠唱でそこまでの力を出せるとは、やはりおまえは何か特別な力があるのだろう」
「貴様の実力がないだけだ。サラマンダーに詫びるんだな、その弱さを」
「ぬかせ、ばばあ!くらえファイアーブレスト!」
言うや否や大きな火の玉の雨がルルーシュに降り注ぐ。
その熱さで周りの草が溶け、コンクリートの建物が崩れ落ちる。火の玉はルルーシュの周辺を焼き尽くしそこに大きな窪みをつくった。
「姿が見えないほど焼き尽くされたか、呆気ない」

「ぐぇっ!」
ルルーシュはいつのまにか男の背後に回り込み、背後から強烈な拳をその溝落ちに打ち込んだ。
男は崩れ落ちた。
「ふん、ありがたく思え、それで許してやる。二度とパリに来るな。ビスマルクに伝えるんだな」
男はルルーシュを睨みつけることしか出来なかった。その顔を見てルルーシュはその顎を思いきり蹴り上げた。
男は意識を失った。

さてと、これでプロイセンも少しの間は大人しくなるだろう。あいつらも絵に専念できるといいが…。

***

普仏戦争はフランスにおおきなダメージを与えた。アルザス・ロレーヌをドイツに割譲され、50億フランの賠償金を負った。

パリは火災により見る目も当てられない状況だった。これもサラマンダーを使ったあいつのせいだ。フレデリックが戦死し、たくさん画家がパリから逃れた。ピエールとアルフレッドは残り、共に制作を続けていた。

ピエールは普仏戦争に従軍していたが、途中赤痢にかかったという噂。幸運にも除隊され、パリに戻っていた。

ルルーシュは回復したピエールの家に久しぶりに訪れた。

「赤痢は大変だったか?」
「ああ。想像以上にな」
「よく死なずに済んだな、はははは」
「笑い事じゃないぞ、本当に死ぬかと思ったんだ」
「そうか、それは悪かった」
「お前はどこに隠れていたんだ?このアホな戦争とそのあとのくだらない政府の目を掻い潜って」
「まぁいろいろな。お前と違って、引く手数多だからな。戦争関係で一働きしてきたのさ」

この少女のような外見の女は、ルルーシュ・リンデリウム・ペロポネソスと言い、ギリシア出身とのことだが、その老年のような話し方から外見とのギャップが彼女を神秘的に見せていた。

普仏戦争が始まる2.3年前にピエールはパリの酒場で出会った。絵が好きだという話しで、ピエールは自分が絵描きだと言ってからその店でちょくちょく話すようになった。

ルルーシュはその美貌から酒場の誰もが親しくなりたいと思っており、彼女は大概一人で来ることが多かったから、誰もが彼女に話しかけるのだった。

ピエールもまた、いつかこの女で絵を描きたいと思っている。

***

「お嬢さん、一杯奢ろう」
ピエールはパリの馴染みの酒場で、ここ最近巷で話題になっている絶世の美少女に話しかけた。
外は雨が降り、六月だと言うのに肌寒い。

「ん?誰だお前?」
「ピエールだ。売れない画家をしている」
「それでその売れない画家が何のようだ?」
「一杯一緒にどうかな?」
「ふん、いいだろう。ただし…」
美少女は人差し指を立てた。
「わしはモデルはやらんぞ」
「ぐ…いや勿論だ」
「ならば奢られてやろう、しかし他人に奢る金などないだろう?」
「野暮なことを言うな。美人に奢るのが男の矜持だ」
「そうか。ではアプサンを」
「また強いものを。良いだろう。ギャルソン!アプサン2つ」
ピエールはアプサンを2つ頼んだ。周囲の視線が心地よい。今夜は俺の番だ。文句があるなら間に割って入ってこい。ピエールはこの美少女と一緒に飲むことに成功して心が大きくなっていた。
店の窓に雨粒が激しく打ち付けている。

「乾杯」
二人はグラスを合わせる。そう思うと美少女はそれを一気に飲み干した。
「おい、大丈夫か?一気に飲むなんて、まだ若いのに」
「なんだ奢ったくせに文句か?私は酒は強い。そしてそんなに若くない。もう一杯だ」
「あ、ああ」
ピエールはアプサンを追加した。

「あんた名前は?」
「ウンディーネだ」
「水の精霊か?馬鹿げたことを。本名はなんだ」
「ルルーシュだ。ルルでいい」
「ルルか、呼びやすくていいな」
「次に呼ぶ時が訪れれば?の話だがな」
「むぅ…面白い」
ピエールはアプサンを飲み干した。
「やるじゃねーか。おいギャルソン、お代わりのアプサン二つにしてくれ」
結局2人はアプサンをおかわりし、またすぐに飲み干した。

まずいな、これでは先に自分がやられてしまう…。ピエールは水を飲んだ。
「だらしない、もう終わりか絵描きさん?俺のヌードを描きたいんだろ?」
「描かせてくれるのか!?」
「さあな、もう一杯奢るなら考えてやってもいいが」
そう言うとルルはニヤリと笑った。

「ギャルソン、もう2杯、アプサンを」
こうなれば、やぶれかぶれだ。ピエールは酒が回って強気になっていた。

「あーあ。また一人沈没するな」
「だな」
周囲の客が囁く。ルルは毎晩のようにナンパしてくる手合いを潰していた。ルルを2、3度見た手合いなら不用意な真似はしないだろう。

「乾杯!」
2人はアプサンを立て続けに3杯乾杯した。ピエールは頭に血が昇るのを感じた。

「おい、ねーちゃん。俺たちも混ぜてくれよ」
いかにもチンピラと言った風情の二人組がルルとピエールの間に割り込んでくる。

「邪魔だ」
ルルは冷たく言い放つ。
「ああ?、なんだ美人だからって偉そうに」
「おい。この子は今俺と飲んでるんだ」
ピエールは割って入る。
「うるせーよ、貧乏人が」
そう言うとチンピラの一人がピエールの襟首を掴んで椅子ごと引き倒した。ピエールは床にしこたま尻を打ち付けた。

「強気な女は、むしろ好きなんだよ俺は」
「そうか、そりゃどうも。しかし、まずは俺の連れに謝れ」

「おい、この野郎!」
ピエールは立ち上がるとチンピラの一人の横っ腹を殴りつけた。
「ぐっ」
チンピラの顔が一瞬引き攣った。
かに見えたが、ニヤリと笑うとピエールの顔面に拳を打ち付けた。まともに食らったピエールは吹っ飛んだ。
「たわいもねぇ、こんな弱い奴と飲んでても楽しくねぇだろ、なぁ」
チンピラはルルの肩に手を回した。

「待てよこの馬鹿野郎が」
ピエールはどこからか拾ったビール瓶を持ってチンピラに殴りかかった。しかし、アプサンを3杯飲んで足元が覚束ないため軽々とかわされた。その勢いでカウンターに突っ込んだピエールは頭を掴まれカウンターに向かって顔面から打ち付けられた。

ように見えた。
「ぐぇ」
チンピラの肩にアプサンの氷がめり込んでいて、ピエールはすんでのところで逃れた。

「騒ぐなよこのカスが」
ルルがドスの効いた声で言うと、チンピラが目をぱちくりさせた。
思い直してルルに向き直った瞬間、店の反対側の壁まで背後にいた仲間もろとも吹き飛んだ。
チンピラの連れは、もろに壁とチンピラに挟まれてぐったりとした。
「てめぇ、何しやがった!」
チンピラはルルに向かって踊りかかる。
ルルは一言囁くと。グラスのアプサンが尖った氷になり、チンピラの目に飛んで行った。
「うおー。目が、目がぁあ!」
その場にチンピラは崩れ落ちた。周囲は唖然としている。

「おい、ピエール行くぞ。金は置いておく」
ルルはピエールを肩に担いで店を出ていった。

「すまん。守れなかった…」
「弱いくせに良くやったよ」
「しかし、あんたは何もんだ?」
「老婆のような美少女さ」
お前があんなところで大怪我したら美術界の損失だろ?」
「は、はは。そう言いたいところだが、まだ全く売れていない…」
「初めは皆そうさ」
「ああ」

「顔を見せてみろ」
ピエールは言われるがままにルルに顔を見せた。チンピラに殴られた顔面は窪んでいて、明らかに頬骨が折れていた。
「しかし、派手にやられたな。戦争に行ったってのに弱いな」
「当たり前だ。そう簡単に変わらないさ」

「目をつぶれ」
ルルに言われて、ピエールは目を閉じた。
そういえば雨が止んでいる。そんなことを思った。

ルルはピエールの窪んだ顔面を優しく触る。そして、そこに息を吹きかけた。
ピエールは薄目を開けようとしたが、それは躊躇われた。
気がつくと、さっきまでの痛みと腫れが嘘のように治っていた。
「な。何を…」
「手当てだよ。手を当てるってのが手当の語源だ。手を当てて治してやったのさ」
感動したピエールはルルにキスしようとした。
すぐさま顔を掴まれ阻まれた。
「百年、いや200年は早い」 
「ぐぬ、感動したのだルル。恋に落ちるとはこのことかもしれない」
「助けてもらって、アプサンを飲んで正気でないだけだ。俺の顔をよく見てみろ」
まだぼんやりとした目でピエールは彼女を見た。一瞬ものすごい皺だらけの老婆がいたように見えた。
ピエールはぶるぶると首を振りもう一度ルルを見た。やはりそこには絶世の美少女がニヤリと笑っているのだった。

***

「相変わらず売れないな」
「余計なお世話だ」
「差し入れを持ってきてやったというのに」
ルルは林檎の入った紙袋を床に置いた。
「それはありがたく受け取らせてもらう」
「素直で良い」
「なぁルル、そろそろ描かせてくれないか?」
「ダメだ」
「お前を描いたら絶対売れると思うんだよ」
「お前の幸せそうな絵は嫌いじゃないが、俺はその幸せには似つかわしくない気がするのだ」
「そんなことない。俺はお前が好きだから、俺が描くお前は幸せな絵になるんだ」
「ふん、考えておいてやろう。サロンの退屈な絵よりはマシだろうからな」
「ああ…」
ピエールは力無く頷いた。
「さてと、アルフレッドのところにも持っていってやらないとな」
「次はアルフレッドか。物好きな奴だな」
「俺の勝手だ」
「また顔を見せに来てくれ、筆を長くして待っている」
「首をな」
ルルはニヤリと笑った。

その後ピエールの絵は少しだけ買い手がつくようになっていった。


私は雨と宝石の魔法使い、ルルーシュ・リンデリウム・ペロポネソス。
今日もほんのわずか世界を守っている。





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