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理想形もいいけど、現実形もいいよね

向上心が高いことは決して悪い事ではないけども、そのあり方を一歩間違えると途端に苦しみになっていく。

今回はそのあたりを書いてみよう。

「あのようになれると理想的で、幸せだ」
「夢や希望を実現できてこそ、理想的な人生であり本望だ」
「〇〇を世に普及できることが理想的で、良いことだ」

これらは一見素晴らしいように見えるかもしれません。私自身も前はこのような価値観の中にいたので、よくわかります。私の場合、夢というものは昔からありませんでしたが。

しかし、こういったことって全て条件があっての理想形なんですよね。

「あのようになれると理想的で、幸せだ」
→あのようになれないと理想的じゃなくて、不幸だ

「夢や希望を実現できてこそ、理想的な人生であり本望だ」
→夢や希望を実現できないと、理想的な人生ではなく、不本意だ

「〇〇を世に普及できることが理想的で、良いことだ」
→〇〇を世に普及できないと理想的ではなく、悪いことだ

こうなっていくわけです。
波動の重さを感じませんか。不自由で窮屈。

・・・

統合が進んでくると、今まで重石だった対象から解放されていくので、こういった条件付けの理想形、幸福観からするりと抜けていきます。

理想形もいいけど、現実形もいいよね~。どっちでもいいよね~となっていく。だって、宇宙はいつでもオールオッケーなわけですから。すべてOKなのです。

そう。窮屈にしているのは他でもなく自分自身。

そういうゲームを楽しみたい方々が中にはいるので、そういう時は存分に楽しめばいいと思っています。そういうのも実際に楽しいですよね。まぁ一喜一憂はすると思いますが。

そのゲームに飽きた方、次に進みたい方は、自分の選択次第で次に進むこともできるということ。次のゲームはこれまでと大きく変わります。
自分の本質そのもので生きていく新たなゲーム。そこにエゴはほとんど介在しなくなります。ちなみに、これまでのゲームはエゴが主体ね。

私としてはこれまで味わったことのないこのゲームがワクワク、楽しい。

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