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インターンシップによる自己分析(大学時代の書き起こし)


私は都内のフリースクールで五日間インターンシップを経験した。前半の三日間は交流イベントの受付をサポートした。各国の教育者が講演や議論を行う場で、私も個人的な会話を通して交流を深めた。後半の二日間では、インターン先の本部で現場の日常を体験した。幅広い年齢層の子供たちの「やりたいこと」をスタッフの方たちが適度な距離感でサポートするという、その場所ならではの教育現場の様子を窺うことができた。
ここでは、インターンシップを通して得た四つの気づきを紹介したい。いずれも自分の性質や能力に対する考察だ。一つ目は、私は教育という「学問」が好きであるということ。私が教育機関を選んだのは、教育に関する大学の講義が面白いと感じたからだ。しかし実際に子供たちと過ごすことと理論上で考えることには大きな隔たりがあった。現場で働く方からは「教育学は実践ではあまり役に立たないどころか、普通になれない子供たちを苦しめる一因になっている」という声もあった。私の興味の対象は現場で働くことでなく教育に関して考えることにあると気付いた。二つ目は伝える力の不足。複数人での作業の際、簡潔に失礼のない言い方で自分の意見を言うことに難しさを感じた。個人作業だと「考える→実行」で済むところが、共同者がいるとその間に「伝える」という過程が増えるため、グループワークなどを通してその力を鍛える必要がある。三つ目は、「役割」がないと上手く振舞えないということだ。前半は受付という「役割」を与えられ、接客のアルバイトを思い出しながら「それらしく」振舞うことで対応できた。しかし現場においてはスタッフに振舞うべき役割はなく、素の自分で友達同士のように子供たちと接する。私は子供たちに対して先生のように振舞うことを想定していたので、その状況を知って途端に動けなくなってしまった。良く言えば「素を出せる場所」だが、どんな態度で接するかを全て自分の判断に委ねられてしまう環境は私にとって苦痛だった。四つ目は、いま目の前の出来事よりも自分の内側に集中する方が得意だということ。現場にいて痛感したのが、外側に意識を向け続けておくことがとにかく苦手ということだ。スタッフは子供たちの前では良き友人であり、裏では皆がうまく過ごせるようにファシリテーターとして動いている。それは、いま目の前にいる子供たちの言動に強い関心を持ち注意深く観察し続けて初めてできることだ。私は子供たちの様子を観察していても、いつの間にか考え事をして外の情報が全く入って来なくなる。環境にかかわらず考え事に集中してしまう性質を実感した。
以上より、「子どもたちと素で付き合い」、「常に意識を外に置く」ことが苦手な私には現場スタッフには向いていないが、別の視点から見れば、「役割があればうまく振舞える」「考え事に集中できる」ことが判明した。インターンシップを通して得られた以上の分析を参考にして、自分に合った仕事を探していきたい。

大学二年次に授業の一環で行った、初めてのインターンシップに対する体験レポ。職場選びから体験の手配、感謝状の送付まで全部自力でやりました。修了レポートは文集にされ授業を受けた全員に配付されるとのことだったので、事実ベースのものを読まされても面白くないなと思い、内省をメインにして書き上げました(今だったらもうちょっと文章をなめらかにしたいですね)。

不登校の子たちがメインで通うフリースクールで、期待していた役割(いろいろ教えてあげる)が求められていなかったことと、自分があまりにも観察力が無い≒目の前の出来事に無関心であることに驚き、ショックを受けた記憶があります。さらに今思い返せば、体験中いろんな人から聞かれた「不登校の経験は?」という言葉から、その経験の無い人は所詮「外野」「部外者」だと捉えられていたのだろうな、と察しました。

内部の身内感・風通しの悪さと自分の適性を知った今、もう二度とフリースクールに行くことはないでしょうが、それらを知ることができただけでも行った意味はあったのだと思います。

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