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実写リトルマーメイドのどこがダメなのか解説してみた

※アニメ版実写版ともにネタバレ注意

レポート風に書き上げる気力がないので、関連するキャラクターごとに箇条書きにしてます。

【エリックについて】
⚫︎アリエルと恋に落ちた経緯が不明すぎる
ディズニー映画への批判として最も代表的なものの一つが、「簡単に恋しすぎ」問題。プリンセスもののリメイクなら、ここをどうストーリー性(納得感)を持たせるかがメイン級の課題と言っても過言ではないはず。それなのにだ。まさかのアニメ版よりも経緯が意味不明になっている。
[アリエルからエリックへの好意]
・たまたま船が沈没するところに遭遇し、唯一溺れてしまったエリック王子を救出→直後、パートオブユアワールド(リプライズ)を熱唱
・アニメ版ではあった「彼ってとってもハンサムね…」のセリフが削除され、一目惚れでさえなくなる。恋する動機がわからずより急展開な印象に。
[エリックからアリエルへの好意]
・溺れかけてたところを救出される。意識を取り戻して目を開けると、逆光の中ぼんやりと女性のシルエットが見える&美しい歌声が聴こえる。その直後、実写オリジナルのラブソングを熱唱。
・人間界に憧れるアリエルが、初めて接触した人間であるエリックに惚れてしまうのはまだ百歩譲ってわかる。でもこちら側の動機は本当に不明。アニメでは逆光ながらもアリエルの顔立ちがはっきり見えるが、実写ではほとんど影になってわからず。それなのに「輝く君の瞳が〜♪」と歌ってしまうので「見たことねえだろ!」ってつっこみたくなる。この後、命の恩人=目の前に現れた喋れぬ少女とはまだ認識していないエリックが、アリエルと世界地図などを見ながら仲を深めるオリジナルシーンが入っているので、その後に熱唱ならわかる。しかしこの段階ではまだそれほどじゃないだろう…と思わせてしまう。
しかもだ。実写版ではエリックは国中にその運命の女性を探しに行かせている。しかしその間に現れた別の女性(声を失ったアリエル)とデートからのキスまでしようとした…というとんでもなく不誠実なキャラ描写になってしまっている。
さらに。アニメではアリエルの声を使ったヴァネッサが半ば王子を魔法で操るような形で強引に結婚式に持って行くが、実写版ではこの演出がゼロではないが限りなく薄くなり、エリック本人の意思のもとの「気の迷い」でヴァネッサを選択することになってしまっている。

【アリエルについて】
・穴から出られるんかい!
陸への憧れを歌うパートオブユアワールドのクライマックスで、洞窟の天井に空いた穴から切なげに手を伸ばす演出がある。その穴は彼女が通るには狭すぎて、そのあとはゆっくり沈みゆくことしかできない…という演出が、「決して届かぬ世界」を強調している。
しかし、実写ではその穴からアリエルが勢いよく飛び出し陸に向かって一直線に泳ぐシーンが追加されている。その穴から出入りできたら…いかんでしょ…。
・人間姿で泳げるんかい!
アースラとの契約が成立し、海の底で人間になってしまうアリエル。アニメでは、当然のことながら泳げず呼吸もできないアリエルをセバスチャンとフランダーが両脇からサポートすることで無事海面まで浮上することができている。
しかし実写版では彼らはアリエルを支えるには小さすぎ、結果的になんの手助けも無しに自力で泳いで上へと泳いで行っている。
しかもアニメでは船上の結婚式に向かう時にフランダーに引っ張っていってもらうなど、「アリエルは人間姿では泳げない」ということがことさらに強調されている。にもかかわらず、実写では岩の上から綺麗に海の中に飛び込むシーンが追加されるなど、本当に普通に泳いでしまう。生まれて初めての「足」に四苦八苦する様をちゃんと見せてくれ。
・アンダーザシーを歌わないでくれ
みなさんご存知の通り、アンダーザシーという曲は、陸に行きたいアリエルに対して「海はこんなに良いところだよ!」とセバスチャンや海の仲間たちが説得する歌。しかし実写では姿は見せるものの、セバスチャン以外の生き物は歌わない。それに物足りなさを感じたのか、なんとアリエルにノリノリで歌わせてしまうという暴挙に出る。それ陸ヘイトソングなんですけど…。

【セバスチャンについて】
・宮廷音楽家じゃない…だと…?
セバスチャンのキャラ設定の特徴である「音楽家」という部分が丸ごと削除されている。アニメ版では、アンダーザシーやキスザガールで周りの生き物たちをどんどん巻き込みながら彼が中心で指揮を取る様が見応えのあるオーケストラシーンを際立てていた。しかし実写だと他の生き物も登場はするものの一切歌わないので賑やかさゼロ、セバスチャンも「アドリブで粋なサウンドを奏でる音楽家」から「突然歌い出すただのカニ」に急転落である。
しかも、アニメでは「なぜ音楽家の私がワガママ娘の子守りなど…」と愚痴るのだが、そもそも畑違いのことをやらされているのだからこれは納得ができる。しかし実写では「私は教養のあるカニだ。だから子守りなんてできない」と。これじゃあただのイヤなやつじゃないか!
・ダンディさ、なし
アニメセバスチャンのもう一つの特徴といえばそのダンディなかっこよさ。トリトン王の前ではタジタジになってしまう情けない部分もあるものの、その渋い声でカリブ風音楽を奏でてくれるかっこいい一面もある。が、実写ではなぜか情けない部分ばかりが取り上げられて、ただの気弱なカニになってしまっている。

【アースラについて】
・批判されそうなところは丸っと削除
アースラの名曲、「哀れな人々」の後半ではアリエルが足の代償として声を支払うことに正当性を持たせる(そそのかす)ために「黙って男の後ろを歩く女が陸では好かれるんだよ!」と説得する歌詞が入る。これは風刺的な意味が込められており、もちろん作詞家が本気でそう思ってアースラに歌わせているわけではない。よってここの部分だけ切り取って「女性差別的だ」と批判するのはお門違いもいいところなのだが、それを恐れたのだろうか、実写版ではこの部分が丸っと切り取られていた(よってみんな大好き「ボディ〜ランゲ〜ジ!ハッッッ!」もない)。
そしてこの曲に関してはばっさりカットする割に、昔から「男性の女性差別思考を助長する※」と批判を受けていた『キスザガール』はなんの変更も工夫もなかった。
※ミュージカルの挿入歌なので、物語の文脈の上で見るとなんの差別的要素も感じないのだが、ここから切り取って歌詞単体で見てしまうと、確かに「女は黙って待ってるから男は強引にでもキスするもんだ!」という勘違いを生み出してしまうと指摘するのも分からなくはない。リメイクするならアップデートが期待されていた箇所の一つ。
・結局アースラの洞窟にいた謎の生き物はなんだったの?
アニメ版では、アースラの住む洞窟の入り口には、かつて契約のお代を払えなかった人魚たちが恐ろしくも哀しい姿になってうごめいている。一方実写版ではその立ち位置にいるのは謎の奇妙な生き物たち。アニメを知っている身としては「なるほど、これが実写版における契約後の姿なんだな。この生き物たちは後で再登場するんだな」と思いながら見る。しかしだ。実写では”アースラのもの”になった人魚が哀れな姿になってしまうという設定は存在しない(アリエルの身代わりになったトリトンは海の底に沈み、姿がどうなったのかは描写されない)。そのため、洞窟にいた謎生き物たちは最後まで謎のままだった。なんだったんだあれは。
・アースラを小物にしないでくれ!
アニメでは、アースラはアリエルとの契約の際にしっかりと契約書を用意する。これで後から海の支配者たるトリトンに文句をつけられてもノーダメージ、という策略だ。しかし、実写では契約書そのものが全く登場せず、口約束で終わる。これだけでもちょっとがっかりなのに、信じられないのはその後だ。アリエルを人間にした後、「あの子の記憶から『3日目の日没までにキスしなきゃいけない』ことをこっそり消しておいたから大丈夫!」とのたまう。正気か。これでは「ずる賢い悪役」ではなくただの「ずるい小物」である。彼女の悪の仁義は、契約に関することは全て説明した上で契約書にサインさせ、不利なことはちっっちゃい字でわかりにくく書いておく。で、後から「ずるい!」と言われたら「契約書をちゃんと読んでないあんたが悪い!」とあくまで合法的に相手をおとしめる。この感じこそが彼女の魅力なのに、その契約に関わることを無断で忘れさせたらもう契約を結んだ意味もない。しかも、彼女が「真実の愛のキス」を条件に出したのは、愛を知らずに育ち「そんなものは存在しない」と心から信じているからである。でもその条件を達成できないようにわざわざ細工したということは、アースラは「真実の愛のキス」の存在をまあまあ信じていることになってしまう。
・クライマックスでの巨大化の動機が謎
アースラには2匹のウツボの手下がいる。ディズニーヴィランズの手下としては珍しくとても優秀で、アースラも彼らには愛着を持っている様子がうかがえる。クライマックスでエリックを攻撃しようとした時にアリエルの邪魔が入りうっかり彼らを殺してしまったことでアースラは哀しみ、怒り、ついには巨大化までする。しかし実写ではこのウツボたち、一言も喋らないのだ。表情も、キャラクターも何もない。だから見ている側も彼らの印象は薄いし、アースラがなぜそこまで怒るのかが理解できない。部下のウツボたちとの特別な信頼関係が全く読み取れないので、巨大化の動機が謎になってしまう
(さらに言えば、この実写版を見に行く層には、少なくない数のツイステプレーヤーが含まれるはずだ。ウツボたちを擬人化したキャラクターはとてつもなく人気で、実写版で彼らを活躍させれば興行的な売上も伸びること間違いなしだったのに、惜しいことしてるなあとも思った)。
・あっけなさすぎる最期
ヴィランズの最期は、ディズニー映画の中でも屈指の名シーンだ。「いい子ちゃん」のイメージを持たれがちなディズニーだが、かなり劇的でショッキングな死亡シーンを描いている作品が多い。アニメでは沈没船に貫かれたアースラはまるで雷に撃たれたかのように骨が透けて点滅し、大きな叫び声を上げながら船と共に沈んでいく。しかし実写ではそのような演出はなく、刺されたあと「うっうっ…」と少しうめいただけで沈んでいってしまう。迫力も何もない。最大の見せ場の一つをあっさりと終わらせてしまって、実にもったいない。
・アリエルよりエリックを狙う謎
巨大化したアースラは、トリトンから奪った矛で海を混ぜ混ぜして、その渦巻きにアリエルを捕えて攻撃。そしてそちらに気を取られている間に、エリックが操縦する沈没船に身体を貫かれて死亡する。しかし実写版ではここのアリエルとエリックの役割が逆転する。おそらくは「王子様に助けてもらう受け身なプリンセス」から「自ら行動し解決する女性」へとヒロイン像を書き換えたかったのだとは思う。しかし遂に海の支配者となって今までの鬱憤を晴らそうとするアースラが、海の王女たるアリエルを放置して人間のエリックを真っ先に狙うのはなんとも筋が通らない。そのせいで不意を突かれてやられてしまうのだから、より「マヌケ感」が出てしまっている。
・説明しすぎ!
具体的にどのシーンが、と限定しなくとも基本全ての登場シーンにおいて言葉で設定を説明しすぎている。映画や漫画などは、その「画」や演出、何気ないセリフなどでいかに観客に自然に世界観を分からせるかが勝負。キャラクターに丸ごと言葉で説明させるのは最後の手段といってもいい。はずなのに、アースラは自分が一人暗がりに住んでいる理由、アリエルやトリトンを狙う理由などを会話相手もいないのに画面に向かってペラペラと全て「説明」してしまう。キャラクターの背景をどう見せるかがプロの腕の見せ所なのに、「雑」と言わざるを得ない方法で済ませてしまったところが実に悲しい。

【全体のテーマや伏線について】
・小物の役回りが不明 
実写版では、アニメにはなかったオリジナルの新アイテムがいくつか登場する。それ自体は、差別化を図るという点で理解できる。しかし、どれもその役割が実に中途半端なのだ。それがないと物語の構造が成り立たないというほどの役割を背負っているわけでもなく、本当にチョイ役で、わざわざ新しく追加するほどの意義が見出せなかった。

★「陸と海の和解」まで扱いきれてなかった
アニメ版では海側が「陸は危険だ!」という思想はあったが、陸側から海についてはノーコメントだったところを、実写では陸側も「近頃船の沈没が相次いでいて、海は危険」と意見を述べていて、よりはっきりと陸と海の相互の誤解やすれ違い、対立軸が分かるようにアップデートされていた。これ自体は、アニメで説明不足だった点を膨らませた良いアップグレードのされ方だと思う。しかし、エンディングで「陸と海の和解」という壮大なテーマを綺麗に消化できているかと言ったら、かなり強引な展開だったと言わざるを得ない。実写オリジナルのキャラクターとしてエリックの母親たる女王が出てきて、アリエルが人魚と判明した後、「違う世界の者同士は結ばれない」とエリックを諭す。そんな彼女が、アースラとの最終決戦後コロッと意見を変えて二人の恋を受け入れ航海に出るエリックを見送る。先にも述べた通り海の魔女を倒したのはエリックではないにも関わらず、「あなたがどれほど彼女を愛しているのかわかった」と言ってしまうのは流石に違和感がある。国のために保守的にならざるを得なかった女王が意見を180度変えるのに十分たる動機がないまま心変わりしてしまったように視聴者からは見える(だから「ディズニーはご都合主義だ」って言われちゃうんだよ)。扱いきれないくらい大きなテーマを中途半端に取り入れるくらいなら、潔く適度なテーマを扱った方が良かったのでは。

★全くポリコレに配慮なんてできてない 
この映画の中で何よりもマズいと思ったのはこれ。「物語としての完成度が低い」だけならまだ誤ったメッセージを発信せずに済んだのに。
アニメでは普通に「王子」のエリックが、実写版ではなぜか養子の設定。後で何か伏線になるのか…?と思いきや、本当にちょこっと語られただけで特に後の展開はなし。なぜそんな設定を追加したのか考えたら、頭を抱えたくなる事実に気がついてしまった。これはおそらく、「黒人から白人は生まれない」の説明のためだけの設定なんだ。新キャラクターの女王は黒人、エリックは白人である。キャスティング的に黒人を増やしたいが、「黒人から白人が生まれるの?」という疑問を抱いた観客への説明のための「養子」という設定。ポリコレに配慮するというのなら、なぜこんなものを追加してしまったのか。人種は違うけど、そこは関係なく普通に親子関係が成り立つ世界観ということにしておけばそれで良いではないか。なぜわざわざそんなところを「辻褄が合う」ようにしてしまったんだ。
しかもだ。そんな余計な設定をつけてしまったせいで今度はトリトン王の娘たちの説明がつかなくなってしまっている。キャスティングのバランスを取るために、アリエルの6人いる姉は様々な人種で構成されている。それは別に良い。でも前述の妙にリアルな設定のせいで「母親がそれぞれ違うのか…?」と観客に思わせかねない事態になっている。トリトン王は人間がきっかけで死んだ妻を愛するが故に「陸禁止」を今日まで掲げているにもかかわらず、浮気者疑惑が浮上してしまって彼の一途なキャラクター性が台無しだ。
しかも、終盤陸と海の和解のシーンで色々な人魚が登場する時に発覚してしまうのが、尾ひれの色が人種ごとに分けられていること。そこは多様な組み合わせがあってしかるべきだろうに、この表現のせいでむしろ制作者側の「人種は分けられるべき」というステレオタイプ的思考が浮き彫りになっている。
結局目立つ棘を削っただけで、均すべき部分は放置したまま。本当の意味での「人種の平等」なんて製作陣はカケラも考えちゃいないんだ、ということが透けて見えてしまった。

最後に良かったところも少しだけあったので述べると、
・ヴァネッサの演技
ザ・悪女!!!という感じで、これは演じててたまらなく楽しいだろうな〜というのがものの数秒で伝わってきた。
・アースラの匍匐前進
ヴァネッサからアースラ本来の姿に戻った直後、匍匐前進でアリエルの元へ向かいかっさらって海へ戻って行くシーン。アニメでも迫力満点に描かれているのでちょっとした期待ポイントだったが、ここは実写でも見応えがあって思わずニヤけてしまった。
・すずきまゆみさんの出演
全てのエンドロールが終わった後、吹替版の声優さんの名前が無音でズラッと並ぶ。そのクレジットの一番最後に「すずきまゆみ」の文字が!日本版ディズニーのレジェンドと言っても過言ではない、アニメ版アリエルの声優さんだ(他にもオーロラ姫、ムーラン、ジェーンの吹き替えも担当)。どこで声を当てられていたのか上演中は全くわからなかったが、最後の最後で存在に気づくことができて良かった。

ひとまず、記憶がフレッシュなうちに載せておきます。割と感情のままに勢いで書いてしまったので、後で加筆修正するかもしれません。

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