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いっそのこと、他人を見ない

連休明けの今朝、仕事でチクリとすることがありました。
「ムカつく!」
と思ってモヤモヤしてましたら、
お昼休みにこのような記事に出会いました。

「他人と比べない。
いっそのこと、他人を見ない。」

なんとまあ。
ちょうどイライラの原因も同僚との人間関係だったのでタイトルに飛びつきました。

一言で言えば、
「他人と比べるのではなく、
自分の中に宝物を見つけましょう」

となるでしょうか。
非常に頼もしい内容でした。

今朝の出来事というのは、些細なことですが、私が合格したPRプランナー2次試験について、受けてもいない人が「誰でも受かるから」と言い切り、「私は本当に仕事に活きる3次試験を受けます」と言われました。

どんな試験も「(勉強すれば)誰でも受かる(可能性はある)から」と言えるのですが、同僚は()内の文脈を飛ばして、単にマウントを取ってきたように聞こえたので不快でした。

それに、3次試験を受けるには2次試験に合格するのが前提なんだけどな、それも知らずにマウントを取りたいだけなのかな、と訝しみました。
まあ実際、合格率は高い試験なのですけど、少なくとも受けてから言おうねと。

そんなことでイライラするなよ、と自分でも思いますので否定も肯定もせず大人しくしてましたが、内心「なんだこいつ」とメラメラしてました。

そんな中で出会ったのが
「いっそのこと、他人を見ない。」
という言葉。
いい言葉ではないですか。

でも、他人を見ないって難しいな。
いい人も沢山いるけどその人たちも見ないようにするの?とか、
見ないようにしても向こうが見せてきたり関わらざるを得ない人もいるわけで。同僚とかね。
難しい。

だからせめて、自分の意識として、人と比べるのではなく自分を見つめて、他者のいい所は素直に、悪い所は反面教師としてそれぞれ吸収する。
で、もし悪意にさらされたら大人の対応で受け流す
、というのがいい気もします。

そこらへんを上手く立ち回って、しかも相手を改心させたり受け入れたりする度量があれば最高なんですけどね、私にはその器はないなぁ。

私はその同僚とは静かに距離を取ろうと思いました。
他者を尊重せずに悪意のみをぶつけてくる相手に割く時間も労力も無駄ですから。
言葉にならって、「見ないようにする」。

でも、願わくばそんな清濁併せ呑む度量を持ち合わせたいなと、内なる自分が囁いたりして。
難しいものですね。

サポートをしていただけるようなことがあったら踊り狂います。 どこかの誰かの何かに届けばいいな。