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【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】埼玉県川越市の『西武安比奈線の跡』

「西武新宿線に乗って、廃線跡をいつでも見に行くことができる!」、「廃線跡の残る魅惑の鉄道」などといった触れ込みで人気のあった西武鉄道の安比奈線(埼玉県川越市 南大塚駅から安比奈駅間 3.2 km)。1963年から50年以上の長きにわたって運行休止となっていたが、取材時その遺稿の撤去が進められていた。

長年放置されていた木の架線

 廃線マニアや廃墟マニア、林道マニアからすれば、安比奈線は、特別な存在だったと言うことができるだろう。1日あれば様々な角度から写真が撮れたし、フォトジェニックな写真も撮ることができた。そのようなことも手伝って、架線設備の撤去が始まると多くのマニアが足を運び、その最後の光景をカメラに収めていた。

鉄道施設は西武鉄道の所有地。いたるところに「立ち入り禁止」の看板が
枕木はすでにボロボロ。休止とはいえ、すぐに走れるものではなかった長年放置されていた架線

「安比奈線には何度か通いました。ここでは、廃線跡だけではなく、モデルさんを使っての撮影もしました。途中には、〝緑のトンネル〟があったんです。撤去されないまま残されていたレールの周りを木々が覆っていたんですよ。新緑の季節はとても綺麗だったのでモデルさんも喜んでいました。もうそういう写真が撮れなくなるのは残念です。”ありがとう、長年ご苦労さまでした”と言いたいですね」(東京都在住の廃墟マニア)

 「架線撤去のニュースが流れてから慌てて来ました。もう1日かけて全線を歩きましたよ。”緑のトンネル”や最後まで残されていた鉄橋も撮ることができました。感無量です。あと、あまり乗ることのない西武新宿線に乗れたことも嬉しかったです。次に来ることがあっても、遺稿そのものがないでしょう。寂しくなりますね」(奈良県から来た廃墟マニア)

南大塚駅から伸びるレールはすぐに車道で分断されている

 安比奈線は、入間川で採取した砂利の運搬を目的として1925年(大正14年)2月15日に開業した貨物線だ。関東大震災後に復興砂利の需要が伸びたものの、その後、需要は落ち込み、採取規制の強化なども影響して、1963年以降は、休止扱いになっていた。
 このような状態で20年あまりの時が流れた同線だったが、1980年代の後半にちょっとした動きがあった。西武新宿線の旅客増に対応するために、上石神井駅~西武新宿駅間を複々線にする計画を西武鉄道が発表したのだ。それによって車両の増備が必要になり、長きに渡って使用されていなかった安比奈駅跡に新しい車両基地を作る計画が浮上した。

 しかし、同社が適切な形で車両増備計画を実施してきたことや大規模な車両増備計画を見直したことなどによって、安比奈車両基地の必要性はなくなり、既存の車両基地を使うことになる。そのようなことから、安比奈駅の跡地に新しい車両基地を作る計画は中止になってしまった。2016年2月10日には、安比奈車両基地を整備する計画自体も廃止され、2017年5月31日には、正式に同線の「廃止」が決まった。

 朽ち果てた枕木や鉄橋などが残されている廃線跡は、とても味わい深い被写体だ。最後の安比奈線の姿をカメラに収めておきたかった。

写真・文◎酒井透(サカイトオル)
 東京都生まれ。写真家・近未来探険家。
 小学校高学年の頃より趣味として始めた鉄道写真をきっかけとして、カメラと写真の世界にのめり込む。大学卒業後は、ザイール(現:コンゴ民主共和国)やパリなどに滞在し、ザイールのポピュラー音楽やサプール(Sapeur)を精力的に取材。帰国後は、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)の専属カメラマンとして5年間活動。1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の犯人である宮崎勤をスクープ写する。
 90年代からは、アフロビートの創始者でありアクティビストでもあったナイジェリアのミュージシャン フェラ・クティ(故人)やエッジの効いた人物、ラブドール、廃墟、奇祭、国内外のB級(珍)スポットなど、他の写真家が取り上げないものをテーマとして追い続けている。現在、プログラミング言語のPythonなどを学習中。今後、AI方面にシフトしていくものと考えられる。
 著書に「中国B級スポットおもしろ大全」(新潮社)「未来世紀軍艦島」(ミリオン出版)、「軍艦島に行く―日本最後の絶景」(笠倉出版社 )などがある。

https://twitter.com/toru_sakai