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【フォト・ドキュメント】パンクムーブメントの軌跡【第1回】

 日本にパンクロックのみならず、ライブシーン、インディーズシーンなども生み出した伝説的ムーブメントが1978年に誕生した。「東京ロッカーズ」である。いまなお色褪せないこの“現象”とはいったいなんだったのか。シーンを追い続けたカメラマン、地引雄一氏に当時の真相を語ってもらった。

東京ロッカーズ回顧録【第1回】

フリクション

『フリクション』のリーダー、レック。群を抜くカリスマ性があった

行き詰まった“白けの世代”

 1978年。東京六本木の貸しスタジオ「S―KENスタジオ」で〝東京ロッカーズ〟と呼ばれるパンクムーブメントが誕生した。そのきっかけは、当時東京で先端的なバンド活動をしていた『フリクション』『リザード』『ミラーズ』『ミスター・カイト』『S-KEN』といったバンドが毎週日曜日に〝東京ロッカーズ〟と銘うってギグを始めたことが発端であった。
「誰が主導したわけでもなく、同時多発的に発生した現象かな。70年代末の頃って、ロックシーンはもちろん、学生運動や反体制、それにヒッピーとかカウンターカルチャーなどが全て行き詰まった時代だったんだよ。それと同時に、70年代前半に盛り上がった〝若者が歴史を変える〟みたいな勢いが大人たちに跳ね返されたことによって、若者たちは〝白けの世代〟とか言われててさ。その反面〝何かやらなきゃ〟という切羽詰まった感があった」
 この時代、70年代前半に活躍した『村八分』や『頭脳警察』といった〝ニューロック〟ムーブメントはとうに陰りをみせていた。そのため、アングラシーンでは若者たちが次に目指すべき〝新たな音楽とは何か?〟を様々な形で模索していた。そんな頃に日本に〝ロンドン・パンク〟が入ってきたという。

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