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【フォト・ドキュメント】パンクムーブメントの軌跡【第2回】

1978年、7月から8月のあいだ、東京六本木の貸しスタジオ〝S‐KENスタジオ〟で毎週日曜日に『東京ロッカーズ』と銘打った2ヶ月間だけのシリーズギグが行われた。主な出演バンドは、当時東京で先端的なバンド活動をしていたフリクション、リザード、ミラーズ、ミスター・カイト、S‐KEN。後にパンクムーブメントを起こすきっかけとなる。そしてこの伝説的シーンの誕生から遡ること5ヶ月前。地引雄一氏に『東京ロッカーズ』前夜を振り返ってもらった


東京ロッカーズ回顧録【第2回】

リザード

リザードのリーダーモモヨ・1979年9月

「紅蜥蝪」時代



「僕が『東京ロッカーズ』となるバンドの面々のなかで一番最初に出会った人はリザードのリーダー、モモヨだったんだよ」
 78年1月、地引氏は〝ロンドンパンク〟という新たなシーンに触れその音楽性に興味を持った頃、音楽雑誌『ロッキング・オン』の読者欄で〝日本のアンダーグラウンドのミニコミを作りました〟という宣伝を見かけた。まだ当時ではアングラ系やパンク系の情報などはほとんど無い時代だ。
「そのミニコミにはさ、紅蜥蜴(後のリザード)はもちろん、フリクションの前身バンドである3/3や裸のラリーズ、あと村八分なんかも載っていて、事細かに各バンドの活動状況やら音楽性なんかが載ってるわけ。で、それを買ったすぐ後に僕の自宅にモモヨからハガキが届いてさ(笑)」
 文面は「2月4日 渋谷〝屋根裏〟 ライブあり 昼の2時から すぐこい!! 紅蜥蜴」だった。

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