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【昭和の政界 権力闘争史】闇将軍・田中角栄に噛みついた竹下登◎その2

ロッキード事件で逮捕後も闇将軍として政界に多大な影響を及ぼしていた田中角栄。そんな彼の派閥に属していた竹下登であったが、密かに反旗を翻す機会を狙っていた──権力の座をかけて激闘を繰り広げた男たちに迫る
(その1の続き)

反旗を翻した竹下

 こうした奇妙な形で「無所属」でありながら自民党を陰から支配し続けていた田中と、そんな田中によって擁立された中曽根首相は、その後も、田中自身と田中派議員たちの徹底したバックアップにより国政を担うこととなるが、中曽根内閣で重要なポストであった大蔵大臣として4期連続入閣するなど、重用されていながらも、後に反旗を翻した田中派議員がいる。第74代総理大臣となる竹下登だ。
 竹下はもともと佐藤派に属していたが、同派から田中派が独立すると、その立ち上げに際して田中に与し、派閥内での地位を確立。強固な関係があった田中・中曽根ラインよりも、さらに田中に近い議員として徐々に影響力を高めていった「身内中の身内」ともいうべき存在であったが、その竹下に、田中は裏切られる形となった。実は竹下には、かねてより権力欲があり、また、竹下自身、田中に対しては不満があったことから、同様に不満を抱く派閥内の議員をとりまとめ、派閥内での影響力を高めていったのだという。つまり、田中派内に身を置きながら、田中ではなく、自分の支配下に派内の議員たちを置くことで、内側から田中派の力を吸収し、ゆくゆくは田中に代わって天下を獲るという狙いがあったと見られるのだ。しかも竹下は、田中と同様に実力者であった金丸信の長男の許へ自身の長女を嫁がせるという政略結婚にも成功。田中以外の強力な後ろ盾を手に入れていたのである。
(その3に続く)


取材・文◎呉麓山