見出し画像

カタカムナ vol.1


カタカムナウタヒには、
『現象(目に見えるもの)は
潜象(目に見えない世界のもの)の主(ヌシ)の働きによるもの』
であることが書かれてある。

カタカムナの響きとして現象物が現れることということをマノスベシと表現している。
『ヒ』とは根源(カミ)をあらわす。
【ヒビキ】とは、カムナ(現象界の主)の『ヒ』とアマナ(潜象界の主)の『ヒ』との統合によって新しい生命が発生するという意味。これは万物の発生原理。
マノスベとは、『現象界は方向性を持って変遷しながら進行していく』という意味。現象界の本来性について述べた言葉。


宇宙の森羅万象は、
大元である無限の潜象界(カタ)と、
計測のできる現象界(カム)の2つが重なって出来ていて、

目に見える現象界の背後に、
目に見えない大元の潜象界があり、
それは二重構造となっている。


無限であるカムから独立して離れたものをカムナと呼び、
カムナはカム(カタチなく目に見えない潜象界)の微分渦である。


万物の根元の"生命の元"によって
潜象の万物のチカラの大元がアマ(極微の粒子が充満した現象界)の始元量となり、
カムナとアマナの対向発生によって万物が発生している。


この世界には、
目に見える現象の世界と、
カタチなく目に見えない潜象の世界があり。

それらの主(ヌシ)がいわゆる、カタカムナ と呼ばれているもの。
⇨根源である万物万象の生命の元から独立したもの。


つまり、
生命の種が潜象と現象の統合によって様々に変容し
現象物がこの世に現れているということ。


この世のすべてのものは、
潜象界から目に見えないカタチで『変容』を続けながら、
方向性(や四相性、変貌性)を持って極限のところまで『変容』しながら進行し、
現象界に生命体としてあらわれている。

その本質とは、
無限の潜象界から独立して離れた潜象界のヌシであり、
それがすべて(のもの)の根源にある。


潜象界において様々に変化・変容して、
その極限まで進行して充満して安定にあり
その状態で、潜象界から現象界に生命体が独立し出現している。


生命の"万物のチカラの大元"が重なり合うことによって様々に変化・変容して現象物があらわれることをマノスベシと呼ぶ。


潜象・現象界の渦が個々の現象となり存在を保っていることをウツシマツリといい、
それを人々に教え伝える、これが「移し奉る」なのである。

それを伝える人物を『アシアトウアン』と呼び、アシアトウアンはカタカムナウタヒを伝承し、人類が楽しく幸せに生き続けられるようにする役割を持っていることを忘れないようにしなさいという根源(カミ)からのメッセージ。


すべての生命・存在のもととなる根源のチカラの中には、
目に見えないけれど、『』というものがあり、それが生命の中心(カミ)をなしている。

それは、
物事の本質や、肉体を構成する約37兆個の細胞の実質のこととも言える。

ヤタノカカミの理解が生命の理解に繋がる。


そもそも、アマとは、現象宇宙の始まりを意味しているが、
本当はそのもっと奥に潜象の始元があって、それをカムという。


カムナとは、
現実の個々の命に直接関わる潜象存在のヌシであって、
アマナは、
個々の現象物の側にあってカムナを受け取るものをいう。

アマの代表として現象物質の中に確かに存在し、
カム(潜像)のチカラの受け渡しをする主体でありながら極めて濃密に凝集しているが、それは人には見えないものである。

カムとアマの2つの統合によって、
宇宙のあらゆる万物万象が発生し、
それらは、さらに次々と変容を繰り返している。

その変容を繰り返して現象物としてあらわれたものが生命体。

カムとアマの2つが合わさることによって発生した現象物(極微の粒子)をフトタマという。

生命体は、
先程の繰り返しで現象に発生して定着されたもののことをいう。


動植物だけではなく、地球も星も全て生命体であり、生命がなくなると万物の根源である潜象界に還元されていく。


ミとは、命の実態のこと。

生命の本質であり、物質である肉体はそれが中心にあり、
傍ら、みえないが現象界にあらわれている外側である。


生命体を構成する最小単位の極微粒子が、
正反の重合によって定着されるのは、
「ヤタノカカミ」の根源のチカラと
「フトタマノミ」の根源のチカラが
何回も繰り返し対向発生して、生命粒子を発生させているから。


宇宙の万物は、
人には感じることは出来ても、
計測することのできないチカラによって生み出されている。

生命の奥の内なるチカラが分離して、
潜象と現象の境界でカム(潜象の始元)から現象界へ出たチカラが分離し、

音となって分離独立するものが"ウタ"といわれ、
充満していた心の奥のものは生命の根源からほとばしり出るものである。



慈雨のひとりごと
目に見えないモノから目に見えるものへ変換される過程というかなんというか。
そこにはめにみえるものとめにみえないもの相互のチカラが必要とされてるし、
目に見えない祈りや想いも関係している。
大事なチカラ。
それぞれにそれぞれが神聖なモノや空間が備わっていて、
その振動というか神域?その場所を大切にしているんやよね。
そこからあらわるオトがある。

いちばんちかくにあるものをたいせつにしているんやよ。

あと、慈雨はアニミズムを大切にしている。それぞれに神はあると思っている。






ありがとうございます。とても嬉しいです。歓び、循環、還元に使わせていただきます!