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ドキュメンタリーと取材記事|人に伝えることの難しさ

今朝方、こんなツイートをしました。

ただですね、これをつぶやいた後に思ったのは、取材記事も一緒なんじゃないかと言うことなんですね。

取材をやったことのあるライターさんならわかってもらえると思うのですが、記事化するにあたって記事になっていない部分が多くあります。

では、取捨選択の判断はどこで行っているのか?

答えは取材した張本人、つまりライターの価値観です。

もちろん編集さんの意見もあるんでしょうが、最終的に書き起こしたのはその人。インタビューすべてを載せるわけにはいかないので、どうしても情報は取捨選択せざるを得ません。

これはテレビや新聞でも同じことが言えるでしょう。

ただ…それをメディアの都合でわざといい感じに仕上げるのは違うかなぁ…と。

実は少し前にも取材の件でちょっとした意見の食い違いがありました。

先方のオーダーも分からなくはなかったのですが、どうしても先方が欲しがっていた回答はインタビュイーからは出てこなかった。それを盛り込むのは違うと言ってちょっとした食い違いがあったのです。

まあ、なにが言いたいかというと、視聴者や読み手が何にも知らないことをいいことにいくらでも内容を歪曲わいきょくできるってことです。

昔やっていた『星のカービィ』というアニメで、とあるキャラがテレビの情報をうのみにした住人を見て口にしていた言葉を思い出します。

皆、自分の目よりもテレビを信じるのだ

そんなことにならないようなメディアを作りたいところ。と言っても、真の意味での中立は、私が人である以上不完全かもしれませんがね。

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