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佐伯望郷誌

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南海部に天空路を開く会より、短いのを何か書け、と来た。何某かの一助になればと思う。
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読書のすすめ

 故柴田幸夫先生を偲んで  昭和の戦後から高度成長への間、山合の田舎の生活は大変厳しく、米がそのまま貨幣として通用した。それほど食料に不自由した時代だった。  男は思春期を過ぎ、精神と成人としての自立に到達するとき、必ず父親を対立軸とする。昔の生活台がそのまま彷彿させられる。共感、共感、共感。  透明性の中に、風景の無常観が浮かんで、過去の記録と感情の残片が高い文学性を持たせている。故郷と人の生き様の記録として、後世に残したい一書である。  その中にある言葉を引用したい。

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438年経過

438年経過

 堂ノ間供養塔  因尾物語<因尾通路斬の事> ―――主として大友興廃記による ――― 羽柴弘  <略>日州薩摩の武士、府内へ往来の時は、佐伯の内因尾という所を折々通路とす。  さる程に、天正十四年(1586)丙戌12月17日、佐伯太郎惟定の居城栂牟礼より、軍勢数多を因尾表に差向けられる。すなわち惟定の下知を受けたる因尾の武士、柳井左馬之助、同じく外記、同じく平兵衛、同じく弥右衛門、同じく兵庫ノ介、三代勘解由、柳井喜衛門、同じく弥右衛門尉、吉良舎人、杉谷兵部、同じく源次郎、

郷土史発掘の先人

天空路を拓く会の趣旨にもあるように、郷土の歴史や文化を発掘検証し、後世に繋げていくことは重要である。 佐伯史談会という会があって、もう半世紀以上活動が続いている。当初からその事務局として、歴史を知る人を発掘し、記録を残す作業を生涯されてきた人がいる。原稿はガリ版印刷だった。小冊子だが年数回は発行されたと思う。羽柴弘氏である。教職についていた経験から、ガリ版は苦にならなかったのかも知れない。私も学生時代部活でガリ版に苦労した経験がある。佐伯史談一冊全部お一人でされていた

隠れた大美術館

 佐伯の自慢といえば、いろいろあるが、私は南海コレクションをまず押したい。この話は公開すべきなのか。少し考えてみたが、そのまま自由に公開されていたのだから、何も隠すこともないと思う。  詳細を初めて知った時は、昭和から平成へ移行する前後だった。私は当時佐伯に居住して、医療関係の仕事についていた。そしてこの病院の担当になり、驚愕したのだ。一階外来の待合場所に、どーんとあった奥村樗牛の絵画。国宝だぞ! それ以外にもいたるところにある名画の数々は、その専門家なら必ず戦慄を覚えるほど

お茶の季節

 新茶の季節となった。ゴールデンウイーク中、茶農家は大忙しである。私が子供頃は、この期間に遊びに連れて行ってもらえるなど考えたこともない。家族総出で早朝から夜遅くまで働いていた。  その習性か、この期間はいくら仕事が休みでも遊びに行く気がしない。何か悪いことをしているような気がして、もっぱら引きこもり。藤沢周平氏もその全集の中で書いてあるのを読んだが、結核の療養で休んでいるのに、自分だけ家の中にいるのが落ち着かない、とあった。そのお気持ち、農家育ちの者としてはよくわかるのだ。

衰退する町

 故郷の変化の中で、一番寂しいのは懐かしい本屋がなくなったことだ。本屋こそ文化の根源であり、未来を拓く英知の指標がそこにあると思っている。私が高校生の時、昭和45年ころからだが、本屋を回るのが何より楽しく好きだった。別段購入する目的があるのではない。どんな本が並んでいるか。どんなジャンルがあるか。  下宿先から一番近いのが、広田書店。そこから駅の方へ少し行くと都堂書店。仲町には二海堂書店。根木青紅堂書店。大手前には高司書店。それぞれ少し個性があって、少し違ってそれがまた楽しか

天空路越え

 私が小学校の頃の遠足は佩楯山が多かった。番匠川を遡り虫月、小鶴、松葉から山を登る。山頂にはテレビ塔があって、三重町から大分市内が遠望できた。8合目から9合目あたりではよく貝の化石が簡単に取れたものだ。九州が二つに分かれていた時、海岸が隆起して一つになった証が貝の化石である。それは今回どうでもいいことだが、小学校から山頂までは3時間以上かかったと思う。全行程完全に登りしかない。  登山の起点となる松葉から元山部にかけては多くの人家があった。松葉には分校もあった。確か5年生にな

天空路の一つ 

椿山 冠岳 楯ヶ城山    昔は明治村(しばらく前は弥生町、今は佐伯市)の長畑という地区は、椿山の長い急斜面に段々畑が長く続いて、その隙間に人家が点在していた。  今はその面影もないほど、ほとんど全ての家が便利なところに転居した。私の母の実家も昔はそこにあった。私のひいひいお婆さんも、母と同じ家から嫁いで来たのだ。  そこからどうして因尾まで来たのか。今なら大阪本、畑木、小倉、中野、と来ればいい。そんな遠回りなどしていないのだ。裏の椿山を越え、風戸にショートカット。  私の父

柳井館の謎 

 番匠川の支流小又川の、その支流に江平川がある。江平川の行き詰まりに江平(えびら)という地区がある。私が子供の頃は確か2軒の家があって、私の同級生もその家の子だった。  三方、四方山に囲まれた隙間にポツンと僅かに空が見えるところ、という感じの場所である。そこに柳井館なる小さいながら一種の城郭があった、とされて史跡もある。  因尾という地区は番匠川の上流から中流にかかる一帯で、最上流から樫峰、腰越、元山部(もとやまぶ)、松葉(まつば)、小鶴、紙土屋(つちどや)、虫月。ここで合流