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豊穣の国 三

 牧村は花の絵ばかりを描いていたので、何枚か出品するため、毎日出かけては花と画板を眺めていた。単なる趣味の領域だが、ただ花を見るのと、絵を描こうと思って見るのでは違って来る。最初に花を見た時、華やかさ色の鮮度が一度に目に飛びこんで来て美しいと感じる。絵を描こうと思って再び見つめる時、なぜ耀いて見えるのか、色の鮮度はどう違うのか、と原因を分析して、全体ではなくて部分を凝視してしまう。だから絵はいつまで経っても花全体のまとまりがなく美しさの表現が乏しくなってしまうのだ。花の姿はあるものの、華やかさがないのだ。凛とした美しさ、みずみずしい生命力を表現する名画伯のようにはいかない。出来上がるものは生命力に乏しいものになってしまう。
 欅の森から希の池に通じる小道の脇に、花手鞠が小さな赤を散りばめている。六月梅雨の中日、真っ青な空の下、叢の上に胡座をかいて画板をひろげていた。薄い葉の緑に対し対極の鮮やかさが赤なのだろうか。この花の自己顕示欲を表現出来たらいい。願いは画板の上に結実されるか。これほど単純な思考に浸れる幸福もないものだ、牧村はそう考えていた。海から潮の音をきき、森から風にゆれる緑葉の軽やかな音をきく。無上の充足とはこういう時をいうのだろう。起きている間は事故でもなければ死に直結するとは考えもしない。現にこうして画板と花を見比べている時なぞ、そんなことを考えることもない。今の時間と行動に満足しているからだろうか。 
 最近床につく時、部屋の灯りを消し天井の暗い闇にぼんやり目をやりながら、朝このまま目が覚めるだろうか、と思うことが多い。まだまだ五体とも不自由せず、人の手を借りずに日がおくれるのに、そんなことを思ってしまう。三年前に亡くした妻のことを思うと、死ぬなら楽に死にたいと思うし、残された時間がもし分るなら、悔いの残らないようにしたいものだ、と思う。
 妻は乳癌だった。あと半年と告知をされ一年持った。痛みをどう忘れられるか、闘った一年だった。妻の苦痛に歪んだ顔を見ると、早く死なせてやった方がいいのではないか、そう思ったこともある。入退院を繰り返し、痛みを和らげるだけの病院通いも本人は承知していた。病室に活けられた花を見て、少し良くなったらまた絵を描きたい、と言った。良くなるのではなく、痛みが少し和らげばの話だった。入院最後の前日、妻は思いかけず痛みも和らぎ機嫌も良かった。この分なら、ベッドにいて、花瓶に活けてある薔薇を描けるかもしれから、明日来る時に、スケッチブックを持って来て。そう言った。翌日妻のスケッチ用具一式持って病院に行ったら、妻は死んでいた。看護婦さんが、急に容態が悪くなりましたので、お電話したのですが、お留守でした。病院に向かっていたのだ。妻が亡くなったのは、牧村が到着する僅か前だと言う。なんと間の悪いことか。せっかく来たのに、なぜもう少し待ってはくれなかったのか。昨日は絵を描くと言っていたじゃないのか。妻のスケッチ用具一式は、結局お棺の中に入れるしかなかった。
 妻はよく絵を描いた。体調のいい時は庭に出て、自分が種を撒いた花を描いた。妻の花には線がなく、色彩の明暗による面で表現する絵だった。画板を見つめながら、妻のような表現は出来ない、と思う。淡くて透明性の高い美しさは妻の世界だ。死後を見通したような、この世の花ではない絵を妻は描いた。茎の線や葉の葉脈は現実的な生命力だ。虫に食われた葉や花の開き方、鮮やかさは、歴史の重みではないか。牧村の絵は、花が必ず持っている、葉や茎や色がその説明をされるような表現になっている。妻の花は、鮮やかな花の姿を一瞬の内に瞼の奥に取り込んで、その感激を画板のうえに放り出すような絵だ。現実的な表現はないが、瞬間的な透明感漂う美が弾けている。牧村の絵は子供の手法そのままに、線を描き、色を重ねる。だから線が死んだら絵がしおれてしまう。構図が悪かったら幼稚な絵になってしまうのだ。
 妻が子供をあきらめて、二人で運動を兼ねて山に行き、一休みして座り込んだ足元にあったあざみの花を見つけた時、その美しさに虜になってしまった。絵を描きたい、と二人で同じ思いになった日から、手法は異なるものの、同じ対象を見つめて絵を描いて来た。牧村が仕事に追われている間、妻は仕事の合間に暇を見つけて、雑誌を見たりして研究をし、家事の合間に描いていた。そのせいか次第に妻の方がうまくなっていた。死が、間近に迫って来るに連れ、妻の絵はスケッチされた対象とは別物の美を描き出すようになっていた。妻はこれからいく世界の花を見つめたのだろうか。牧村は常に絵筆を動かしながら妻と会話をしている。

 「これは花手毬ですね」
 志野がいつの間にか後ろに来てしゃがんでいた。牧村は驚いて振返った。
 「すみません。急に声をかけて。お一人なのに楽しそうで、つい覗き見をしました」
 「楽しそうでしたか。実は死んだ妻も絵を描いていて、私より上手でしたが、二人で同じ花を描いても、全く違う花になってしまうのです。趣味が同じ夫婦といっても、似て非なるものとはよく言ったもので、同じものを見て描いても全く違う絵になるのです。ですから花手毬にしても、別の花手毬の捉え方があるのです。絵を描いている時は、妻はああ描くだろうとか、つい考えてしまうのです」
 「奥様との時間をお邪魔してすみません」
 「いいえ、もう三年経ちましたから、感傷じみたことではなく、絵を描く、異なる視線を求めるのです」。
 「ご夫婦で同じ趣味とは素晴らしいです」
 「ご主人と共通の趣味みたいなものは何かなかったのですか」
 「私は一人でしたから。屋敷の中ではいつも鬱の状態でした。何も気力が向かないのです。本をたまに読むこと以外は。ですが、山にはなぜか惹かれるのです。道を歩いたらいろんな雑草が花を咲かせているのだろう、と思うことがあります。屋敷の中から出る気はないのに、山道に座り込んでいる自分をよく想像しました」
 「一度でも出てみれば良かったのに。私達の絵も、最初に行った山での花が発端でした。新しい何かが待っているものです。いつだって、いくつになっても、そうだと思います。しかしどれだけ実行出来るか、は体力と気力の有る無しになるのです。私も、口で言う程チャレンジャーではありません。一つのことをいつまでも引きずるし、なるべく楽をしようとしています。絵を描く。そのために歩く。だから健康維持だと、都合のいいように解釈して、それ以外には関心を持たないように保身する。でもあなたはご主人が亡くなられたのを契機にしても、よくここへ来られたと思います。それこそ大変な勇気が必要だったでしょうから」
 「屋敷の中にいた頃は確かに考えもつかなかったことです。否応なしに外に出て、人に会い話をする度に、塀の中にいたような素振を見せまいとするのです。戸籍上の妻に代理はいませんから、気が張っていたのもあると思います。けじめを早くつけたいとも思っていました。正式な夫婦関係の解消と、そのためには屋敷から出ることしかない。そう考えるようになったのです」
 「ご主人が亡くなられなくても、実質的な変化はないでしょう。亡くなられたのだから、それこそあなたの好きに出来るし、不自由はなかったでしょう。正式な夫婦関係の解消といっても、相手がいないのに、法律で対処のしようがないでしょう」
 「ええわかっています。離婚だとか除籍だとかいった問題ではなくて、私の区切りです。会社は夫が一人で大きくしました。子会社、孫会社を入れると社員も千人を超しています。それなりに社会貢献はできていると、私も思います。夫は欲しいものは必ず手に入れる人間です。その努力は凄まじいものがありました。ですから自信家にもなれたのだと思います。でも私にはあの支配者としての自信が嫌でした。金と物を所有するのと同じように人を扱うのです。今の会社の幹部は皆何もいわずに従う人ばかりです。逆らった人は辞めています。私は今日の成功の犠牲になった人に対して、あの人の妻として同じく影響を与えたのです。区切りが必要なのです」
 「区切りをつけて、ここに来られた。どうです?生まれ変われましか?」
 「はい、とはまだいえませんが、変ってきていることは確かです。毎日自分で考え、したいことをやっていますから」
 「それはいいことです。でもあせらないことです。年をとると言うことは、残りの時間だけ捉えていけばいいのに、どうしても過ぎた長い過去を引きずる。仕方ないのです。未来は過去の先にしかありませんから。段々に夢中になれる時間を増やされたらいいと思います」
 志野はむきになって夫との生活を清算しようとしている。夫から離れたい。夫に結びつくものから逃れたい。その一念が豊饒の国へ入居させたのだ。身も心も様々な束縛から早く解放されればいい。
牧村の絵は遅々として進まなかった。何度描いても塗り絵にしかならない。これも自分の能力なのか。才能と言うべきものはないとわかっている。しかし描く枚数が増えれば上達ぐらいしてもいいだろう。全くその素振りすらなない。情けないというか。こんなものか。こんなものであるなら、こんなものにしか描けない絵を描いてやれ。見たとおりに線を引き、見たとおりに色を決める。あとは塗り画だ。素人は素人らしく描くしかない。無骨だが生命力が見えそうな絵になっている。信代どうだろう。これなら自分らしい絵になっただろう。一人で微笑む。
 それにしても、と思う。妻を亡くして三年経つのに、毎日妻のことを思わない日がない。それほどまでに愛していたか、と言われれば不思議な気持ちもする。二人に子供がいなかった。中学校の理科の先生で仕事を終え、学習塾の講師を務めていた。妻も小学校の先生をして、妻は定年後職を退いた。自分達の子供はいなかったが、職場にはたくさんの子供達がいた。その分寂しさはなかったのかも知れない。しかしそれは自分のことであって、妻は違ったかも知れない。自分で子供を産み育てかった。強い気持ちを持っていることも知っていたし、二人で病院に通ったこともある。原因は妻の卵管が閉塞して、卵子の移動が困難になっている。卵管を手術し卵子の流れを良くすれば妊娠する確率は高くなるが、完全に卵管の閉塞がなくなるか、と言えばそうでもないらしい。卵管には微小な障害があって、それが原因だと完全に良くなることはない。それでも確率に掛けてみたい。妻はそう言って手術を受けた。子供は出来なかった。妻は耐えていた。手術を受けた後も、もしかして出来る。一縷の望みが加齢とともになくなるにつれ、牧村は妻が不憫に思えた。わが子を持てない悲しさより、自らを律して耐えている妻が愛しかった。優しくすればするだけ妻は重く感じた。そう感じると距離を置くようにした。お互い仕事の話しかしない。そんな時もあった。いつの間にか、子供のことは区切りがついて、休みになると山や海に出かけるようになった。
 牧村が退職後、塾に講師に行くようになって二年目、妻は退職を待っていたかのように、癌になった。老いていく上での僅かな希望は長年連れ添って来た伴侶がいることだった。楽しいことも、悲しいことも共有できる妻を亡くした時、牧村は大きな喪失を感じた。傍にいないという事実は重かった。他に趣味がない。親しい友達もそういない。仕事を終えれば妻がいた。休みの日には妻がいた。山に行くにも妻がいた。絵を描けば妻が傍にいたのだ。絵を止めてしまえば妻を失う。絵を描けば会話ができる。そんな思いをいつの間にか続けて来たのだ。
 「奥様との時間をお邪魔してすみません」
さっき志野にそう言われた。その時はそれほど気にも留めなかったが、妻との時間を過ごしていたのだ。絵を描くことで、妻を追い求めていたのだ。絵が上達しないのは、目的が絵ではなく、妻と時間を共有するだけだったからか。志野には、老人はこれから先のことを考えればいいのに、過ごして来た長い過去に囚われる、と言ったが、それは自分のことではないか。志野の方がよほどこれから先のことを考えているのではないか。牧村はお粗末な話をしたものだ、と思い直した。
 絵を忘れて何ができる。何もできやしない。妻を忘れて何ができる。自分こそ過去に囚われるしか生きる総べのない男ではないか。
あせることはない。行く先は見えている。妻を思い続けて何が悪い。人に迷惑をかけるわけでもない。牧村はまた、絵に、妻との会話に集中しようと思った。

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