見出し画像

隠れた大美術館

 佐伯の自慢といえば、いろいろあるが、私は南海コレクションをまず押したい。この話は公開すべきなのか。少し考えてみたが、そのまま自由に公開されていたのだから、何も隠すこともないと思う。
 詳細を初めて知った時は、昭和から平成へ移行する前後だった。私は当時佐伯に居住して、医療関係の仕事についていた。そしてこの病院の担当になり、驚愕したのだ。一階外来の待合場所に、どーんとあった奥村樗牛の絵画。国宝だぞ! それ以外にもいたるところにある名画の数々は、その専門家なら必ず戦慄を覚えるほどだ。
 最後のとどめを私に刺したのは、院長室の壁一面にあった、なんとパブロ・ピカソの巨大な絵画だった。私は院長に面談に行ったのに、何をしに来たのか完全に忘失し、しばらく呆然としたのを覚えている。
 絵は見てそのまま印象を持てばいい。作者の名前など、どうでもいい。だから絵だけを展示している。作者の名前を見て感動するのでなく、そのままを見て、病気から回復へ向かって欲しい、展示の意図はこれだ。
 実はこれらの名画を見たのはこの時が最初ではない。大学を卒業したあと、実家の山仕事をしていた時期があった。その時オスグット・シュラッター氏病(膝関節に軟骨ができ剥離浮遊)になり入院手術をこの病院で受けた。余談だが、手術の前にメスを入れる左足の毛を、股下から足先まで全部剃る。片方だけだと、毛の濃い薄いがでるので、両足剃りを進められ、両足の毛を全部剃ってもらった。一度剃ったら濃くなると思います。そう言われたが、私の場合薄い毛しか生えて来ず、もともと白い方だったのに、尻だけでなく足も白くなって、しばらくショックが続いた。その時の看護婦(当時は看護士と言わなかった)さんが、同級生の美人DAだった。息子よ!起きる! 恥ずかしい思いを若年の私はしたのだった。
 さて話を戻そう。その時は足が悪くて歩けなかったので、名画の数々は見ていなかった。これだけの名画の数々。倉敷に大原美術館があるが、私はそれに匹敵するものだと思う。幸いなことに、私が担当しているとき、全所蔵作品を一冊の本にした。「南海コレクション」というタイトルの非売品である。取引先の縁があって、勤務先にも一冊いただくことができ、全てを堪能することができた。これには作者の説明もある。マニア垂涎ものに間違いない。
 病気になればこの病院に、元気であれば絵を見るためにだけに、行ってもいい。今は名前も変わって、建物も新しくなったので、絵画はそのまま展示されているだろうか。それだけ離れてしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?