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ひとりで「お迎え火」と「送り火」を焚いた

今の場所に住むようになって、今年で5年目になった。

戸建てだった実家から、「マンション住まい」になり、お盆の「お迎え火」を、やらなくなった。

でも、今年、ベランダで、小さくやってみた。

家のベランダは半分が、出っ張っていて「ハンモック」を置けるぐらいの広さがある。(実際は、置いていませんが・・・)

「お水」を傍に用意し、お菓子の「缶の蓋」を焙烙(ほうろく)代わりにして、苧殻(おがら)を燃やした。
(ヘッダーの写真は、送り火の写真です。)

我が家では、「お迎え火」を焚く時、お菓子の缶の「蓋」を使っていた。その焦げた「缶の蓋」が、玄関の「植え込みの中」に、隠すように置いてあった。



「お盆の恒例」は、お迎え火⇒花火


むかしから、実家では、父が先頭を切って「お迎え火」も「送り火」も焚いていた。

私の子ども達も、「お盆の時期」は、実家で過ごし、おじいちゃん(父)と一緒になって、火を焚いた。

その時、必ず、「花火」を用意し、家の前で、みんなで楽しんだ。

この流れが、恒例だった。

父が亡くなった、新盆の時も、孫(私の娘)たちが来て、「お迎え火」と「花火」を楽しんだ。

苧殻や花火の「燃えカス」の始末は、いつも父がやってくれた。

「甚平姿」の父が、「お迎え火」の傍に立ち、火を見下ろすように見つめていた姿が今でも目に浮かぶ。

今年のお盆は「母不在」


「ショートスティ」に行ってるため今年、初めて母がいない「お盆」だ。

実家の近所のお寺に「お墓」があり、毎年、そのお寺の住職が、今住んでいる場所まで、7月(東京のお盆)の前の週に、「お経」を挙げに来てくれる。

そのことは、分かっていたのに、母の「7月のショート」のスケジュールを決める時、すっかり「お盆」の事が抜けていて、かぶってしまった。

「高齢者施設」も、だいぶ緩和され、ショート入所中でも、外出は出来る。
なので、住職が来る日、自宅に数時間戻ることは出来た。

幼い頃から、「お寺が多い場所」で育った母は、(母の生まれ故郷は、東京・浜松町です。)「お経」は聴きたいと言った。

でも、その日が土曜日で、「入浴」がある。
日曜日は、もともと「入浴時間」がない日となっている。

もし、「お経」のために、自宅に来ると、土曜日の「入浴」は、出来なくなり、次の日曜日は「入浴」が無いから、2日間、お風呂に入れないことになるよ~と伝えたら、

「お風呂に2日入れないのは~」と言って「お経」を、母は諦めた。

「住職来て、お経挙げてくれたよ」と電話で伝えると、「ご苦労様~」と母が言った。


来年は、どうなっているのだろう~


住職が来た日、いろいろと話をした。

「父の葬儀」をやった「斎場」に、母の積立金がある関係で、「母の葬儀」は、実家があった場所で行う事を決めている事や、四十九日まで、母の「お骨」を「お寺」で預かってもらえるのかなど、「母の葬儀」の「シュミレーション的会話」をした。

そんな話をしながら、「来年は、母もお経が聞けるように、ショートのスケジュールを決めますね~」なんて言ってる事が、変な感じがした。

来年は、どうなっているんだろう~とフッと思ったからだ。

間違いなく、母は今より歳を取っている。母にとっての1年は、本当に長い。

確実に、今とは「違う状態」になっているはずだ。

そんな事を私は、頭の隅で思っていると、
住職から
「こういう話をしていると、ご本人なかなか亡くならないと思います~」と言われ、なんとも言えない気持ちになった。

来年もまた、「お迎え火」「送り火」をちゃんとやろうと思っている。
焦げた「缶の蓋」は、ベランダの隅に、来年のためにとっておこう。


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