見出し画像

♪Ⅰ 45歳から再開した「私の第2のピアノライフ」

~45歳で、レッスンに再び通い始めるまでの事

私は、3歳からピアノのお稽古に通っていた。本当に幼くて、ピアノを習い始めた頃の記憶はない。気がついたらピアノをやっていた。中学時代、陸上部の部活がどんなに大変でも、受験があっても、辞めることなく続けた。それでも音大には行かず、でも短大が幼児教育学科だったこともあり、学生が終わるまで個人レッスンに通った。

大人になってから、娘にピアノを習わせ、発表会で一緒に連弾したり、母校のOGの聖歌隊の伴奏を引き受けたりということはあっても、レッスンに行くことは無かった。

そんな私が、40歳を過ぎて、どうしてもピアノのレッスンに行きたくなった。

レッスンを再開した理由~

何故なら、私は自分の中でピアノに対して、真摯に努力をしたという「やり切った感」がなかったからだ。
3歳から20歳まで17年間、ピアノを続けてきたけれど、ただ続けてきた感じだった。高校生になってから、ポピュラーなクラッシックの曲を弾けるようになり、ピアノを楽しく感じるようになっていたけれど、レッスンの当日、先生のお宅に伺う直前、1~2時間で一週間分の練習をして、お稽古に臨むような「いい加減な生徒」だった。

ピアノというお稽古は、バレエやお習字の様に、お教室に行った日だけするのではなく、レッスンは週1でも、自宅で「毎日練習する」のが、「ピアノのお稽古に通う」ということなのだ。

どんなに頑張ったところで、絶対「世界的ピアニストのレベルに達することはない!」と承知はしてても、「努力の限界までやっていない自分」を、私はわかっていた。

だから、ピアノは、弾けるけれど~自分が何が苦手で、何が出来ないのかも、なんとなく分かっていた。自分の足りない部分を分かっていたから「私、ピアノ弾けます!」と胸を張って、手を挙げられない自分が、イヤだった。

*********

秘書さんからのプッシュ

この頃(40代前半)、私はある大学医学部で外科の教授秘書をやっていた。勤務2年目、隣の教授室に別の大学から先生がいらして、その先生と一緒にいらして秘書さんがいた。彼女は、私より若い方だった。

その職場には、同じ外科の医局秘書や教授秘書が、ランチを食べる広い会議室のような場所があった。私は、その秘書さんと時々、ランチタイムにお喋りするようになった。

彼女は、幼いころからバレエをやっていた。大学で上京した後も、学生まではレッスンに通っていた。けれども、仕事をするようになって、レッスンには行かなくなったことを私に話した。でも今も、「本当はお稽古に通いたい」と私に話した。

それからしばらくすると、彼女は仕事帰りに、本当にバレエのレッスンに通うようになった。「レッスン行くと全然違うの~すごく楽しい~」とイキイキした表情で、彼女は私に話した。さらに、週一ぐらいから始めたレッスンを、週3~4日は通うようになってた。彼女の身体が日に日に締っていく様子で、それが嘘ではないと、ハッキリわかった。そして「金曜日になると、パンプスがはけない~」と嬉しそうに話した。

私は、そんな彼女に、「私も、大人になってからピアノのレッスンに行っていな~でも、本当はレッスンに通いたい~」と話した。実際にピアノの先生も、「レッスンに行くならこの先生」と、既に私は見つけていた。

すると、彼女は「絶対、レッスン行った方がいいですよ!」と確信のある眼差しで私に言った。さらに「ここでお昼にお会いする度に、ピアノのレッスン行ってますか?と必ず聞きますよ!」と年下の彼女は、「厳しい母親のような口調」で、私に言ってくれた。

この彼女の言葉に、もしこのままレッスンに行かなかったら、彼女から「人としての信頼を失い、軽蔑される」とまで、私は思ったのだ!

そのお陰で、私は、ピアノの先生に電話をし、レッスンに伺いたいと伝えることができた。

ここから、「私の第二のピアノ人生」が始まった。

再会されたレッスンは、仕事の関係で1年半ぐらいブランクが空くこともあったけれど、その後7年ぐらい続いたのだった。(つづく~)





よろしければサポートお願いします! 頂いたサポートは、「刺繍図書館」と「浪江・子どもプロジェクト」の運営に使わせて頂きます! サポート頂けたら、大変助かります。