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「母の刺繍作品」を、この先どうしたらイイのか!を考えている…

実家を処分後、置き場に困りトランクルームで保管している母の刺繍作品たちを、この先どうしたらいいのか、最近、毎日のように考えている。

私の母は、半世紀に亘りヨーロッパ刺繍の作品作りをしてきた。そのことは、Noteのいくつかの記事に書いている。

母の使いきれなかった「刺繍糸」をメルカリに出品したことから、刺繍ファンが日本全国にいることを知り、購入者とのコメントのやり取りから、ちょっと「いい気」になった私は、母の作品をインスタグラムに掲載することを始めた。


そんな訳で、一年足らずの間に、私は「SNS社会の市民権」を得てきた。

娘からの厳しい意見もあり、最初は、生活の中で使っている、あるいは使ってきた「刺繍されたもの」を掲載することにした。実際、母の作品は、クリアガラスをはめ込んだ「額」になっているものが殆どで、撮影する際、反射し上手に撮れないのだ。だからその方が、写真も撮りやすく、スマホデビューが最近の私にいはちょうど良かった。

でも最近、家の中を見回しても、インスタグラムに掲載していない刺繍の品が、見当たらなくなってきたのだ。いよいよ、母の「額」になっている作品を、撮影していこうかと思うようになり「母の刺繍作品」と向き合う日々が始まった。

「趣味」「自己満足」のレベルではない〜 母の刺繍作品は「一流品」と思う理由


母は、今は無き手芸出版社の「雄鶏社」が主催する「おんどり手芸アカデミー」を終了後、「おんどり刺しゅう研究グループ」の一員として作品を作り、銀座を中心に作品展をしてきた人だ。


欧風刺繍(ヨーロッパ刺繍)に含まれる刺繍は、様々なものがある。フランス刺繍、ハンガリー刺繍、スウエーデン刺繍、白糸刺繍、アッシジ刺繍など、多岐にわたる。またスッテチごとにもファンがいたりして、特にクロススッテチは、多くの方たちが楽しんでいる。

母は、これら欧風刺繍にカテゴライズされる「全ての刺繍」を学び、作品を作ってきた。現在は、「雄鶏社」自体が無いので、「雄鶏社」から出版された多くの書籍は、全て絶版(多分)となっているが、「母が刺した作品」が掲載されている本は、以前は普通に本屋さんで購入できた。

当時、刺繍グループで母と一緒に作品を作っていた方の中には、現在、刺繍作家や創作者として、また日本アートクラフト協会(JACA)の中で、活躍されている方もいる。


母の世代は、女性は結婚したら「専業主婦」になることが一般的な時代。母も、普通に「主婦」をしながら、作品を作ってきた。地域コニュニティーの中で、刺繍講師をすることもあったけれど、母は、刺繍の仕事で生計を立てていたわけでは無い。特に、母は「長男の嫁」をやっていて、私のおばあちゃんが寝たきりになって亡くなるまで、自宅介護(介護保険制度が無い時代)をやっていた。だから、その期間は、殆ど刺繍が出来なかった。


しかし母には、芸術に理解のある「父という立派なパトロン」がいた。だから、周りからしたら、「無駄使い」にも思えるほど、母が、刺繍にお金を費やすことを、父は尊重していた。

今の若い方からすると、少し感覚が違うのかもしれない。母は、自分が「手芸家」とか「刺しゅう作家」という自覚は全くない。

「私は、なにしろ嫁をやってたし、仕事はしてこなかった~」と言う。

そんな母にとって、もしかしたら「刺繍職人」とい言い方の方が、本人には「しっくりくる」のかもしれない。


「母の刺繍」について思う事


母の持ち物の中に、「雄鶏社」から昭和46年発行された「刺しゅう」、それとで昭和42年に再版されたイルゼ・ブラッシさんが編集した「STITCHES&SAMPLERS」(昭和37年初版)というボロボロの本がある。

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母曰く「最初の頃、この本で必死に、さんざん練習したの。カバーがついていたけれどボロボロになってしまって…だからカバーは捨てたのよ~」


私の中で「母の刺繍」は、幼いころから、いつもそばにあった。

だから、母はもともと最初から「刺繍の技術を持っていた」と、私は感じてきた。

しかし最近、母の言葉を聞いて「そんなことは無かったのだ」と思うようになった。


この本が出版されたのは、私が小学生の頃だ。「額」に収められた「母の作品」は、本当に素晴らしいものだが、最初から、あのような作品をつくれたわけでは無かったのだ。

長い歳月の中で、「技術向上の練習」を惜しまなかった母の努力の賜物なのだ。


やっぱり「実物」を見て!と思う。


子どもの頃から、銀行のカレンダーとかで観慣れていた「ルノアールの絵」を、高校生の時に美術館でを初めて観て「実物って全然違う、すごい!」と思ったことを覚えている。

私は、絵画については、ド素人だけれど、そんな私でも、そう感じた。

それと一緒で、母の作品が、どれだけ「丁寧なスッテチ」で刺繍されているか、インスタの写真ではなく「是非とも本物を見て!」と私は思っている。

母は、むかしから「刺繍作品」を神田神保町の「草土舎」で「額縁」に収めてもらっていた。職人によって作られた「額縁」は、さらに作品としての価値を高めてくれる。刺繍に似合った「額縁」と「マット」も含めて、作品として完成されている。そんな「母の刺繍額」を仕舞っておくのは「もったいない」と私は思うのだ。

最近、考えている事


母の作品は、自宅の各部屋に、幾つか飾っているけれど、ここには月に1回、母のケアマネさん来るぐらいで、誰が来るわけでもない。

たま~に娘家族がくるかな~、そんな感じだ。

毎日、92歳の母と還暦娘が二人で食事をする「覇気(はき)のない生活」が流れているだけだ~。

箱に入れられ、トランクルームに置いてある「母の刺繍作品」を一体この先どうしたらいいものかと、私は途方に暮れている。

母の作品をもっと「素敵な別な場所」に飾り「多くに方たちに見て頂けたらな~」と思うのだ。刺繍をされている方が観たら、きっと「刺激」や「学び」を感じられるのではないだろうか。

母の刺繍仲間の方々は、亡くなった方も、施設に入られた方もいるけれど、ご自宅で過ごされている方々は、おそらく母の作品と同じぐらい「素晴らしい作品」を、保管しているはずだ。

最近、絵画の「サブスクリプション」という言葉を知った私は、いろいろ思い巡らしている。

現在、眠っている作品が、再び多くの人たちの目に触れることを願い、日々「妄想」している私なのだ。

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