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♫Ⅱ 45歳から再開した「私の第2のピアノライフ」

「まじめな生徒」への転身~25年ぶりのレッスン

同じ職場の秘書さんからのプッシュを受け、私は「第二のピアノ人生」への大きな一歩を踏み出した。

ピアノのレッスンに行く前に、先生とのお電話で「弾きたい曲があったら持っていらっしゃい。」と言われていたので、私は、ベートーベンの「テンペスト」第3楽章を持って行った。高校生の時に、弾けるようになりたいと思っていた曲なのだ。

約25年ぶりのレッスンを受けた私は、高校時代とは大違い「とてもまじめな生徒」だった。レッスンでの先生の言葉を一字一句漏らさず聞き、帰宅すると直ぐにピアノに向かい、忘れないうちに先生から言われたことを復習した。

やっぱり、レッスンに行くと全然違う!

レッスンで先生が、「留学時代に『もしあなたが、ピアノを教えるようになったら、しっかり教えなさい』とその時の先生から言われたの。だからしっかり教えます。」と話された。この言葉の通り、先生は丁寧に指導してくださった。

先生は曲の構成や楽譜をよく分析、理解されていて、わかりやすく説明してくれる。楽譜の中には、こんなに多くの情報が書かれているのかと、先生の解説を聞くと、私は「目からウロコ」状態だった。

「録音という技術がない時代」音楽をどうやって記録するか、それは、楽譜に音符だけでなく、あらゆる音楽用語や記号を駆使して、書き残されている。そんな作曲家の「思い」にも、大人になった私は、気持ちを寄せることができた。

ピアノの楽譜は、おそらく他の楽器と比べて、一番複雑にできている。あらゆる情報が書かれている譜面の中から、何を意識して、どう弾くべきなのか、レッスンを受けることで、あやふやだった自分の演奏に、確信が生まれるのだ。

同じ曲であれば、オリジナルの楽譜はどれも同じなのだけれど、「先生の書き込みで一杯になった譜面」は、特別だ。その「特別な譜面」で練習すると、レッスンで先生から言われた言葉が、自然と聞こえてくる。

レッスンを受けるということは「学び」であり「勉強」だ。ストイックに頑張ることで、ものすごく充実感を得ることができた。

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しばらくすると、先生から、「チェルニーの練習曲(ピアノ教本)をやりなさい」と言われた。この教本は、番号でレベルが分類されていて、100番、30番は、小学生でも弾くレベルだけれど、40番以降は、結構ハイレベルなのだ。少なくとも私いとっては…。

そもそもテクニック練習のための曲集なので、「こんな曲はあるのか~??」と思うような、ワザと「面倒な指使い」をさせるように、曲が構成されている。(私は、そう感じてしまう~)

学生時代、50番の最初の数曲までは、弾いたことがあった。だから、50番が難しいことを私は知っていたので、先生に「50番は大変なので、40番でお願いします~」と伝え、チェルニーの練習曲を渋々やることになってしまった。

それでも、最終的に50番も、結構進んだ。さらに私は、「まじめな生徒」だったので、先生から言われた事、特に「指使い」は、忠実に守って練習した。この「指使い」は、幼いころから先生に何度、注意されても適当に弾いていた。でも大人になった私は、いい加減なことはしなかった。

ピアノでは、指に番号が付いている。親指から「1の指」で、小指が「5の指」というように、順番に番号が付いている。楽譜には、必ずその番号が書かれていて、原則としては、その番号を厳守して弾くことが求められます。

学生時代と45歳の「完全な違い」とは~

なにしろ、体力は、確実に衰えていた。

チェルニー50番の曲は、1曲がちょっと長い。しかもやりづらいことをひたすら繰り返し鍵盤で弾くので、疲れる。先生は、「無理をせず、1曲を通して弾かなくても、十分練習になっているから大丈夫」と言ってくださった。

確かにチェルニーの練習曲は、テクニック練習のためのものなので、部分練習でも、先生がおっしゃる通りだ。しかし曲は、そういう訳にはいかない。

再開したレッスンの中で、体力的に一番きつかった曲は、メンデルスゾーン作曲の「ロンド・カプリチオーソ」という曲。この曲は、長いだけでなく曲の構成が、40キロのフルマラソンをほぼ全力で走る感じだ。

曲のスタートは、ゆったり始まるのだけれど、その後は、ひたすらペースが速い。そして最後、ランナーが疲れ切っているにも関わらず、スタジアムに入ってから、全力走行するみたいな曲の構成だ。とにかく最後がキツイのだ。(あくまでも個人の感想です。)

愚かしいことに私は、メンデルスゾーンと45歳の自分の体力の違いを痛感したのだった。

部分的に弾けば上手に弾けても、一曲通して弾くと集中力も欠けてくる。曲を弾き終わると先生から「曲の後半あたりから、疲れが出てたわね~」と指摘を受けた。自分の体力配分を考えて、曲を弾くように言われた。

1曲弾くために、「体力配分」を考えなければいけないなんて…、学生の頃は、考えたこともなかった。う~ん~…30代だったら、まだ大丈夫だったかもしれない。確かにピアノは、体力だ~!

「ピアノの詩人」と言われるショパンは、体が弱くて、好きな女性と結婚できなかったけれど、それが曲の構成からも、感じ取れる。ショパンの曲は、長い曲でも、途中に穏やかなメロディーの箇所があって、私に言わせると、「休める部分」があるのだ。

加齢とともに、「選曲は体力を考慮しなければいけない」と45歳の時、私は学んだのだった。

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45歳でも感じ取れた~初めての感覚

どうしても、仕事から直接レッスンに行かなければならない日があった。私は、電車の中でメロディーを思い起こし、楽譜を見ながら指の動きを確認し、頭の中でピアノを弾いた。そうすると、ウソの様にレッスンで上手く弾けた。先生が「レッスン来る前に、家で練習した?」とおっしゃるほどだ。

ピアノは、確かに指で鍵盤を叩いて音を出しているけれど、頭で弾いている。

むかし、家でピアノ練習をする幼かった娘に「お指の先には、頭が付いていて、お指さんがちゃんと覚えてくれるのよ」と私は言っていたけれど、ホントです!

そして40代でも、「生まれて初めて使う指使い」を、脳が察知するのがわかった。このことは、ちょっとした驚きだった。「この指使いは、今まで使ったことがないぞ~」というのがわかるのだ。それは、些細なことではあったけれど、とても新鮮なことだった。今までに経験した事が無いことを経験している。確実に、自己向上を感じた瞬間だったのだ。

「まじめな生徒」としてレッスンに通う私の「第二のピアノ人生」には、その後、意外な展開が待っていました。 (つづく~)

ーーーーーーーお読み頂きありがとうございました。次回は、最終話です。


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