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はじめて「メルカリ」やってみた 60歳の私 その3

メルカリから、多くを学んだ私は、 母の作品を インスタグラムに掲載することを始めた。 

相変わらず、メルカリでは、刺繍糸に限らず、母の持ち物は、どんどん売れた。そして、 メルカリのコメントの中に、 (社交儀礼かもしれませんが…)母の作品をみたい、というコメントを下さる方がいたことが、インスタグラムをやってみようと、私をその気にさせた。 

 ところが、娘の一人から、母の作品をインスタに掲載することを反対された。 彼女に意見は、「インスタには、加工写真がいっぱいある。そういう場所に、おばあちゃんの作品は、ふさわしくない!」という事だった。 

 今の写真の加工技術は、確かにすごくて、私のような〝ばあば” でも、「うわー!私、キレイ!」というぐらいに、写真映えする。

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現在、トランクルームに保管してある母の作品の殆どが、壁に飾れるように額縁と仕上げたものだ。それ以外の作品、例えばクッションカバーとか、テーブルクロスとかは、展示販売会などで、購入してくださった方がいたため、手元には、あまり残っていない。

額縁になっているそれらの作品は、ガラスがはめ込んである。そのため写真で撮影すると、ガラスに反射し、周りの物が写り込んでしまう。だから、撮影時は、ガラスを外さなければならない。これが、結構大変な作業なのだ。

だからもし、母の個展を銀座でやったら、そこには展示しないな~と思うものを、インスタグラムにアップしよう! と考えた。

実際、インスタグラムには、刺繍の作品が、溢れていた。

世界中の人たちが、刺繍を楽しんいることがわかる。こんな世界があったのか~!どれも素敵で、いつまでもみていられる。

それでも私は、日々の生活の中で使ってきたり、部屋の中に置いてある物をアップすることにした。見回せば、至るところに母が刺繍したものが、さりげなく置いてある。

作品に対する、母の”思い”を知る

「いつ頃、刺したものなのか」、「どんなステッチを使っているのか」、「刺繍糸は、何が使われているのか」私は、キャプションを書くため、母に尋ねた。

まどろっこしい、母の言葉の中に、その刺繍をした時の ”思い” があった。

「はじめて、鮮やかな糸で刺して嬉しかった」とか、「刺繍を始めたばかりの頃に刺しているから、今みるとあまり上手じゃないと思うの」とか、「このステッチは、ホント細かくて二度とできない」とか。

母の言葉を聞いて、そんな気持ちで刺繍を刺していたんだな~と初めて知った。母が刺繍をやっている姿は、当たり前すぎて、母がどんな気持ちで、長年、刺繍を続けてきたのか、私は、今まで考えたこともなかった。

メルカリ開始以降、母は、ますます元気だ。

このまま残っていたら、母のお棺に入れられ、燃やされていた刺繍糸が、日本全国に旅立ち、活用され「何かしらの作品」になるって、なんて素晴らしい事だろう!

その作品は、最終的に汚れてしまう「子どもの手提げ袋」かもしれない、あるいは、家族のお昼寝マクラになってしまう「クッションカバー」かもしれない。

でも、私たち家族が、そうであったように、刺繍された「何かしらの作品」に、それぞれの家族の思い出が、染みついていく。

インスタグラムにアップされた写真をみた娘たちが、「これ、うちにあったね~」とか、「これ、おばあちゃん使ってたよ~」と反応してくれる。

メルカリをやってみた、60歳の私は、やっと SNS社会の片隅に、「市民権 を得たな」と、感じた。

追伸:インスタグラムは、随時更新中です。


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