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吉川英治を読んだ思い出

吉川英治作品に最初に出会ったのは「三国志」。
小学生だった自分が、駒田信二さんが児童向けに書かれた「三国志」を読んでいたとき、近所のおじさんが「これに挑戦してみぃ!」とよこしてきたのが、劉備が黄河の畔でお茶を買う洛陽船を待つシーンから始まるので有名な、通称「吉川三国志」でした。

今の吉川英治作品は文庫になっていますが、当時は函入りというので、分厚いのが全三巻、小学5年生の身で、おそるおそる読んだのを覚えて居ます。

私が読んだのは、30年以上昔。正直「三国志」は今みたいに資料が豊富にある時代に読んだわけではないので(横光三国志も連載途中だった)、あまりの登場人物の多さに「誰やねん」状態が続いていたのですが、劉備・関羽・張飛の三人を中心に、そして諸葛孔明を加えた辺りから一気に固唾を飲んで読んだ覚えがあります。今となっては古いながらも、蜀を正統とする日本人の三国志観を最初に植え付けた傑作となっていることは言うまでもありません。(少々時代背景的なことを言えば、吉川三国志が書かれたのは戦中なことも踏まえ、皇統の正当性と言った観点から非常に敏感な問題もはらんでいたと思われる)日本人の三国志は、吉川英治が作ったと言ってもいいと思います。

閑話休題(それはさておき)

で、吉川作品は実はこの時に大好きになりました。50年ほど前の大衆作家なんですが、文章が非常に読みやすいことに加え、読みやすいながらに非常に高尚な文章を書くことができる作家で、この絶妙のバランス感覚にしびれてしまい「こんな綺麗な日本語で大衆小説が書ける人がいるのか!」と感動した記憶があります。

以後は、私の両親の実家が、剣豪・宮本武蔵の生家が近くにあることもあり、吉川版武蔵も読みましたし、三国志の流れで新・水滸伝や、オリジナルの鳴門秘帖なども読んだ記憶があります。あの頃の小説はもっと純文学が幅を効かせたであろうことを考えると、吉川英治という人は、元祖ライトノベル作家だったのではないか?と思ったりもしたりするくらいです。

さて、その吉川作品ですが、高尚という表現よりも、僕自身として「実に色気のある文章を書く」という印象があります。特に女性の描写が美しい。

三国志の中では、作品の早めに登場する印象的な芙蓉姫、そして、三国志一の傾国・蛁蝉と、今のようなビジュアルで訴える資料の無い時代には、想像をたくましくするには十分なものがあります。

特に、新・水滸伝に出てくる女将軍、一丈青・扈三娘の登場シーンなんてのはすごく印象的で

涼霄の花も恥ずらん色なまめかしい粧いだった。髪匂やかに、黄金の兜巾簪でくくり締め、鬢には一対の翡翠の蝉を止めている。踏まえた宝鐙には、珠をちらし、着たるは紅紗の袍で、下に白銀の鎖かたびらを重ね、縫の帯、そしてその繊手は、馬上、右と左とに抜き払った日月の双刀を持っているのであった。(吉川英治「新・水滸傳」より)

なんて文章が新聞連載小説ですらすらと書ける文筆家なんて羨ましくてしょうがないのです。こんな文章、noteでエッセイを書くとしても書ける方います?(笑)
このあと、梁山泊の林冲との一騎打ちのシーンで

「待てっ。女将軍」
 林冲は逃がさない。馬の速さがてんで違う。観念したものか、一丈青はふいに馬を向けかえた。林冲の打物は、丈八の蛇矛であった。彼女の二刀もすぐその一剣は搦み落され、ひッきりなしに、睫毛へ迫る白い焔のような蛇矛の光を交わしながら、彼女のしなやかな腰から胸はまるで柳の枝を撓めるように何度も反ッた。
 彼女は死を忘れて恍惚とした。林冲に翻弄されるのが甘美でさえあった。気づいたときは、手にさいごの一剣もなく、林冲の猿臂にかかって、鞍の上から毟りとられていた。宙を飛ぶ巨大な男の腕のなかに、彼女はあきらめの目をつぶっていた。窒息の境が甘い夢のようだった。(吉川英治「新・水滸傳」より)

と、なんか色っぽいシーン?と思わせる物があったり。


で、吉川作品で僕が特別印象深いのは、新・平家物語です。

新・平家物語はちょっと変わった作風で、清盛や義経が主役というよりは、京都の町に住む庶民達が合間合間に世情を語るようなシーンが折々に挟まれていて、教科書的な書物とは異なる趣の作品だったりします。
この作品は中学の図書委員をやっている時に、図書館の奥で見つけて読んでいたのですが「清盛が常磐御前をレイープするシーン」というのを見つけてしまい、当時の僕は「とんでもないものを見つけてしまった・・」と思いながら読んだ記憶があります(笑)

そういう中学生の欲望満開な内容とは別に、鹿ヶ谷の陰謀で鬼界が島に流刑になった3人のうち、2人がゆるされて、俊寛僧都が1人残されていくシーンなんかが出色ですね。涙なしには読めぬ。
アレは吉川版の文章で是非読んで欲しい。マジおすすめ。

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