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親は苦をして、子は楽をして

まだ私が小学生くらいの頃、祖父・父・私と三代揃った状態で、どこぞの和食の店(料亭とかそういうのではないのですが、個室あるような店)で、こんな都々逸のような一節が書かれているのを見ました。

「親が苦労し、子が楽をして、孫は河原で乞食する」

色々な言い方があるようで「親草鞋 子は雪駄 孫洗足」などと、類語はたくさんあるようです。
私が見たときは、上記のように祖父・父・私といた席でしたので「乞食かぁ」と冗談で言っていたものでした。

おわかりだと思いますけれど、これは商売など、一代で財を築いた人の戒めの言葉で、初代は苦労して財を稼ぐが、二代目は散財しがちなので、三代目の代に更に苦労することになる、という風にならないように、というのを逆説的に諌めた話ですね。
もちろん、そうならないようにするためのキモとなるのは、二代目の振る舞いです。簡単に想像できるところや、実際そうなってしまっている二代目(例えば大塚家具の騒動とか)を見るにつけて、ことわざとはいえ、ようできてるなーと思ったりします。

商売に限らず、私の好きな中国史であったり、西洋史であったりの王朝のようなものや、本朝の鎌倉幕府が源氏三代で北条に乗っ取られるのなどにも似たような例は感じます。中国史では唐の時代に「創業は易く、守成は難し」という言い回しもありますし。

もっとも、今の仕事をする人は、多くの人はサラリーマンの方が多いと思うんです。厳密には世襲で仕事を得るというよりは、就職活動をして、会社づとめをする。
でも「サラリーマン」という職業(と言っていいのか?)って、ほぼ戦後になって広まった職業なんじゃないかと思うんですよね。言うなれば、戦後の団塊世代くらいが「サラリーマン」の初代だとすると、私のような団塊ジュニア~氷河期~ゆとり世代くらいが「サラリーマン業の二世代目」だと思うと、先の都々逸で言えば「子が楽をして」の世代になるのかな、と。
次のZ世代と言われる世代、すなわち、今、学生~私の子供たちの世代は「孫は河原で乞食」の運命を迎えてしまうのか・・。
「サラリーマン」という業種も転換期を迎えているのかもしれません。

で、まくらは以上にして。

私の仕事に関することで言えば、仕事の最初は家電メーカーで開発の仕事をしていました。
そのミッションの多くで言えば、家電のデジタル化の推進を担ってきた、という感じがしています。
・DVDの開発ではVHSのビデオを追いやり、
・その後地デジの開発でアナログテレビを追いやり、
・デジタルカメラの開発でフィルムカメラを追いやり・・。
と言った調子です。

自分たちの開発の世代というのは、そう考えると「デジタル世代第1世代」と考えることもできます。
では次の「第2世代」はどうなのか?
個人的には、こういう家電系のエンジニアの感覚で言えば「ぶっちゃけ中国に負けてるよね」という感覚なんですよね。
家電も「孫は河原で乞食」の末路なのかなぁ。。。と不安に思ったり。

あと、他の観点で言えば、パソコンやマイコン(死語!マイクロコンピュータの方じゃないよ!)の歴史で言えば、私の世代は2代目という気がします。
一例で言えば、マイクロソフトやアップル、LINUXの躍進をリアルタイムで見て並行して育ってきた世代で、インターネットも老人会入りしているような世代です。

前にもM5STACKのときに少し書いたことがあるんですけれど、では自分たちの世代は、それらをうまく引き継げているんだろうか・・という自信がなかったりするんですね。例えば、日本人が作った誰もが認めるであろうコンピュータの一つにファミコンがありますが、そういうパラダイム転換がおきるような発明や仕事ってできたかなーという思いがあるんですよね。

結局そのツケは、デジタルやPCの孫の世代、すなわちこれからの世代に来るのかも知れない・・。いや、まだ時間があるはず、と思ったり。

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