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ゆってぃの不協和音

ハモるという言葉がある。
ある音に対して、相性の良い音を被せる。すると、なんとも綺麗な響きが起こるのだ。これを人はハモると呼んでいる。

では、ハモるという言葉の語源はご存じだろうか。これは調和を意味するハーモニーという言葉が由来となっている。

昔々、誰かが音と音がハモるあの美しい現象に調和という言葉を当て嵌めたのだと思うと、なんだか感慨深いものである。調和は綺麗で美しいということを、きっと彼らは経験から知っていたのかもしれない。

だが実際のところは、均整の取れたハーモニーを産み出すことはそう容易いものではない。例えば私たちがよく知る楽器、ピアノから紡がれるドレミファソラシドは、平均律と呼ばれる音階を使用している。詳細は割愛するがこれは一言でいうと妥協の産物なのである。

つまり、調和を取るために時には妥協が必要ということになる。今までの人生を振り返ってもある程度納得感のある言葉な気がする。進学、就職、友人関係、恋愛、こういったライフイベントにおいて一度も妥協を経験しなかった人の方が稀有なのではないだろうか。それを歩み寄りと呼ぶか妥協と呼ぶのかは人それぞれだと思うが。

これから書くのは、僕が20歳の頃の、調和を求めて起きた一つの出来事の話である。

建前と打算と妥協

当時僕は、ゲイであることを少しずつ受け入れはじめ、同じゲイの友達を作りたいと思うようになっていた。

ゲイと出会う方法はかなり限られている。出会い系アプリ・掲示板を利用するか、ゲイバーに行くぐらいしかない。

実は19歳の頃に一度ゲイバーへ行ったことがある。しかし、そこには他のバーで働いてるというママさんたちや、ボンレスハムを連想させるガチムチ兄さんしかおらず、同年代の人は見当たらなかった。

その時した会話は今でもはっきりと覚えている。

「君いくつ〜?」

「あ、えっと、19歳です」

「若いわぁ!それって平成何年生まれなの?」

「平成7年です」

「7年!みんな聞いた!?そういえば最近はh7(へーなな)っていうらしいのよ!」

「あたしだってh7よ!平安7年〜!!」

…プロしか飲めない街、それが二丁目。

確かに友達を作りたいとは思っていたけど、人を選べるような状況じゃないかもしれないけど、もうちょっとこう等身大で話ができる人が欲しい。

そんな切なる願いを叶えるため、僕は掲示板で知り合った18歳の男の子に会いに横須賀まで会いに行くことにしたのだった。

ゲイの世界はシビアな顔面至上主義であり、自分の容姿に自信がない僕は、アプリを使って人と出会うという選択ができなかった。故に僕は掲示板で出会いを探した。

掲示板で知り合った彼とはメールで何度もやりとりをした。文面からは程よい気さくさが伺えたし、何より楽器を弾くのが趣味という共通点があったことが会うことの決め手となった。

ちなみにメールでのやり取りでお互いの顔写真を交換することはしなかった。
それなのにわざわざ東京から横須賀へ赴いたのには2つ理由がある。

1つ、人は見た目ではなく中身が重要だと考えていたからだ。
友達になるにはお互いある程度意気投合する必要がある。こんなのはいうまでもない自明の理である。これが会いに行くモチベーションの約6割を占めていた。

だって、美女と野獣の冒頭で魔女が王子に言っていた台詞を思い出してみて欲しい。
「見かけに騙されて人の心の美しさを見逃してはいけない」
この言葉に人間関係の真理が凝縮されていると言っても過言ではないはずだ。

2つ、地方で顔出しをしていない人の方が隠れイケメンの可能性が高いと踏んだからだ。…これはもちろんメインの理由ではない。断じてない。モチベーションの4割ぐらいである。でもやっぱりイケメンだったら嬉しいなと当時密かに思っていたのは事実だ。

そういえば昔、美女と野獣のラストシーンを見た時僕は思った。
…野獣、戻らない方が良くなかった?と。
少なくともゲイは、大半がそう思ったのではないかと思う。あの映画は最後の最後でそういう意地悪を仕掛けてくるからタチが悪い。

とにかく話を元に戻そう。もちろん1つ目だけの理由でも僕は横須賀へ行っていた。そのはずだ。だが、2つ目の理由は僕の胸を高鳴らせ、足取りを軽やかにしてくれた。

駅に到着した僕は、事前にやりとりしたプロフィール情報や過去のメールを見返していた。
どうやら身長が高めで体格が良さそう、ということは分かっていた。

どんな相手が来るのだろう、緊張しているところに彼は現れた。

そこにいたのはどことなく見覚えのある顔だった。


"ゆってぃ"というお笑い芸人を覚えているだろうか。
「ちっちゃい事は気にするな、それワカチコワカチコー!」
というアレである。

そのゆってぃに似ている男の子が目の前に立っていた。

正確にはゆってぃを20kgほど太らせたような風貌の男の子がそこにいた。

この瞬間、僕の中のワクワクさんは死んだ。

いや、失礼なことを考えるな。
僕はそもそも友達を探していたはずだ。美女と野獣から学んだだろう。人は見た目ではなく中身なのだ。


僕は失った4割のモチベーションを補完するため、意識的に明るく振る舞うことに決めた。僕らは軽く挨拶を交わしたあと、地元民である彼の案内のもと街へと繰り出していった。

事前に感じていた通り、彼は気さくでよく話す人だった。しかし、会話の中でしばしば彼に違和感を抱くことがあった。
例えば、僕が昼ごはんを食べようと提案した時のことだ。

「この後何かお昼でも食べにいかない?」

「I couldn't agree more」

「えっ?」

ーなぜいきなり英語で返した?

「あぁ、大賛成って意味だよ」

「あ…、うん」

いや、僕が聞きたいのはそっちではなく、なぜいきなり英語で返したのかなんだけど。

「僕の学校、進学校なんだ。数学とかも高二で全てのカリキュラムが終わるんだよ」

「そ、そうなんだ。君理系なの?」

「いや、僕は文系だよ」

文系なんかい。じゃあ数学のくだりいらなかっただろ。
どうやら彼は自分に自信があるようで、知識や能力をひけらかすタイプの人間だった。
歳上だって意識しないでいいよ、とは言ったけどマウント取ってもいいよとは言ってない。

この時、僕の残りのモチベーションがすべて消えた。

このまま帰りたい…。そう思ってしまった。しかし僕は調和を重んじる人間。ある程度の妥協は必要なのかもしれない。
そう思い彼の顔を見ると、やはりそこにいるのは太ったゆってぃなのである。

僕のこの心のモヤモヤに対してさえ、
「ちっちゃい事は気にするな、それワカチコワカチコー!」
と煽られてるような気になり、僕は途中から彼の顔を見るのをやめた。

当初は横須賀の街案内という名目でスタートしたこのツアーだが、中盤からは彼のいきたいところ巡りと化していた。

そんななか、彼がふらっと寄った楽器店にて事件は起こった。

どうやら彼はエレクトーンを長年やっているらしく、ピアノのコーナーへやってくると得意げにピアノを弾き始めた。

一体僕は何をしに来たのか、そんな事を考えながら僕は彼のそばで立ち尽くしていた。すると彼は演奏を中断し、代わりにドミ♭ソの音を同時に鳴らしてこう言った。

「これがCdim(シーディミニッシュ)だよ」

その瞬間、僕の中の豊田真由子が雄叫びを上げた。

(この◯◯!違うだろー!!!)

「それCm(シーマイナー)だよ」

僕は無意識のうちに、自分でも驚くぐらい冷たく突き放すような声色で言葉を紡いでいた。

「えっ、いや、Cdimだよ!」

一瞬狼狽えはしたものの、彼もすぐさま反論をした。きっと彼は事あるごとに他人にマウントをとらなければ気が済まないたちなのだろう。だが、もうこれ以上したり顔で間違った音楽知識を披露されるのは我慢の限界だった。

ちなみにCdimはドミ♭ソ♭で構成される不安を掻き立てるような和音で、ジャズやポップスなどでタイミング良く使えばとてもエモくなるおしゃれ和音である。

「それがCdimだとするなら、Cmはどうやって弾くの?」

背理法を使ってみた。
高二までで全ての数学のカリキュラムが終わっているのだ、きっと容易に理解してもらえるはずだ。

「…ピアノとエレクトーンではコード(和音)が違うのかもね」

「そんなわけないでしょ」

それ以降、僕らは一言も声を発することはなかった。無言のまま駅まで向かい、無音のままそれぞれの帰路についた。
別についてこなくてもよかったのに、そう思ってしまった。

どんなおしゃれ和音も、使い所を誤ればたちまち不協和音になる。
そんな当たり前の事実を身をもって体験した1日だった。

調和なんか取れたものではなかった。

彼はおしゃれ和音を正しく使うことが出来ずに、そして僕は心の中に打算的な部分があり、結果僕らは調和を乱してしまった。

あぁ、不協和音だ。

(ちなみに僕はそれ以降掲示板を通じて人と会うのをやめた)

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