バランス。

ズボンドズボンの楽曲に「バランス」っていう名曲(迷曲?)がある。

ズボンドズボンに入ったときに、おそらく最初に触れた楽曲だったと思う。付き合い出したくらいの若い恋人同士の駆け引き的な内容の歌なんだけど、最初は、よくまあこんな面白い曲を作るもんだ!(土屋礼央 作詞作曲)くらいにしか思ってなかった。

それから何年も年月が経って、人生における色々なことにおいて、“バランス”って大事なんだなーと思うことが多くなってきた。図らずも、ズボンドズボンにとっての代表的な曲のテーマが、自分の人生にとってのテーマでもあった、的な。

まあ偶然でも必然でも、自分が勝手に関連づけているだけかもしれんけども。

で、こういう時代で、誰でも自由にいろいろ言えるようになったじゃないですか。

今まで声を上げられなかった人も発言できる場所、発信できるツールができたっていうのは、本当に発明だと思うし、とっても良いことだと思う。自分自身もこうしてなんでもないことを言えるわけだし。

でも、ずっと、Twitterとかに代表されるSNSとかで、いろんな人の意見を見続けていて、考えていて、、、、ふと気がついたときには「うかつに意見でき無いな」ってなっちゃってたんですよね。

自由な場を与えられて「わーい!」ってなってたけど、「わーい!」ってなっている人の発言が誰かを傷つけてたり、嫌な気持ちにさせったり、

こんな意見もあるんだ、こんな考え方もあるんだ、って知れば知るほど、

何も言えなくなってしまった。

物事にはいろんな側面があって、多角的に見たいって思っているけど、あらゆる側面から見るようにすると、どんな内容にも、その人のバックグラウンドがあって、意図があって、価値観があって、事情があって、いろんなことがあった上でのその意見だとしたら、外野から言えることなんて何もないんじゃないかと思ってしまうの。

これってある意味で思考停止なのかしら。。。

で、昔に比べてだいぶ寡黙になった(と自分では思っている)私なんですけど、

「本当にこれでいいの?」
「沈黙していては何も変わらないんじゃないの?」
「波風立てないようにすることが全て良いとは限らないんじゃないの?」

って、思い始めたわけです。

今までは、そういう思いを吐き出せるのが、表現できるのが音楽だし、音楽で出していこう。って思っていたわけなんですけど。別に音楽でだけ、じゃなくても良いんじゃないかな、って思ったんですよね。

そう思ったのは、

勇気を持って自分の意見を発信している表現者たちがいるから。

誰だって、否定されたくないだろうし
誰だって、ひとりぼっちになりたくない
誰だって、嫌われたくない

でも、自分の意見を押し殺して、心の中では「違う」って思っているのに、流されるまま流されて、陰で文句をぐちぐち言って、行き着くところに行き着いた時に「ここは自分が望んだ場所なんかじゃない!」って言っても、それは、何も言えなかった過去の自分が選んだ結果でしかない。

だから、自分の意見は発信すればいい。

でも、気をつけなきゃいけないのは、やっぱり、時と、場所と、言い方。

なんで人は、嫌われたくないと思うのか。

それは、きっと、人は1人では生きていけないから。
でも、自分の意見を殺した同調は、良いものを生まない。

そうなると、

言うべき時
言うべき場所
言うべき言い方

っていう“バランス”が大切になってくるんじゃないかな。

なんだよ土屋礼央!!!すげえな!


もうすぐ2歳になる息子は、自分の言いたいことを言いたいタイミングで言いたいニュアンスでギャーギャー言ってますけど。。。

今朝の寝起きの一言は「まんとひひ。つよい。」でしたし。。。

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