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主語を大きくしないこと

昨日だったか一昨日だったかツイッターさんがお知らせしてくれた。13年目のツイッター記念日だったらしい。
私は13年間も何をつぶやき続けてきたのか、と思うけど、私は自分の投稿が大好き人間なので、時々読み返す。
おもろいやん、私、と自画自賛して満足してそっと閉じる。インスタグラムも然り。
私は日本ではないところで暮らしているということは常々言っているけれども、意図してもしなくてもどうしてもこの国で暮らす人やこの国に係る人とSNSでつながってしまうことが多い。仕事を始めてからはそういうこともあって鍵付きにした。noteだけは本名でやっているけれど今のところばれていない。ばれたくない。
鍵付きではあるけれど、私が常々気を付けていることは、誰かを不快にさせるような投稿は避ける、これに尽きる。
はっきり言ってこの国に住む時間が長くなれば長くなるほどさっぱりこの国のことはわからなくなるし、私の目で見たこと感じたことだけではなく、配偶者の国であることから、配偶者というフィルターを通した観点で日々暮らしている。それを忘れると、どうしても主語が大きくなりすぎる。
主語が大きくなりすぎると、それによって傷つく人も、不快な思いをする人も増えるし、それの考え方は偏りすぎじゃね?と思われることになりがち。
自分の知っていることなどほんのひとつの側面でしかない、ということを常に考えていると、途端につぶやけることなどなくなる。面白いくらいになくなる。
なので私はなるだけ主語を小さくする。小さく小さく極限まで小さくする。時々それができないけれどなるべく小さくする。そのうえで呟けることをつぶやく。
それをたまに読み返し、私っておもろいわ、と自分が思う程度のSNSが私にはちょうどいい。
最近のインスタグラムは商売っ気が前面に出てしまって、一昔前の牧歌的な感じがなくなってきた。ツイッターだってイーロンさんよ、なんでここまで読みづらくするんだ、と思わずにはいられない仕様変更。そんな中でも変わらずのどかな世界の住人でいられたら、と思いながら弁当の写真を撮り、亀に遭遇した話などをつぶやく。
犬はかわいい、ではなく
うちのクロイヌとシロイヌがあほかわいい、こういうスタンスで、この先も行こうと思う。

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