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豊かに見えて無意味なこと

今の季節、朝、庭を一周すると少なくとも5個はマンゴーが拾える。

だから何だ、という話だが、本当は20個くらいは落ちていて、リスか鳥か何かしらの小動物たちが食い散らかしたものの中に、まぐれで無傷のマンゴーが落ちている、という感じである。

我が家にはマンゴーの木が4本ある。

だから何だ、という話だが、マンゴーがわさわさできたところで家族のだれもほとんど食べない。気が向いたときに食べるかもしれないという程度である。もったいないお化け発動した私が例えばマンゴープリン、とかマンゴージャム、に加工してもさらに誰も食べない。ガスとか砂糖とかゼラチンとかついでに私の労力の無駄遣いだと悟ってから、作るのはやめたけど、時々、ああもったいない、と思う。

そう、マンゴーを加工することがとてつもなく無意味なのだ。

もったいないのはいったい何なのか、マンゴーなのか、ガス代なのか、労力なのか、そのほかの材料費なのか。

豊かに見えて無意味、優先順位をつける癖。

春のリレーエッセイが始まってから、とにかく無意味なことをひたすら考えて考えて寝てる間も夢にまで見て、そして第一走者のリレーエッセイを読んでひっ!となって、普段から人生には無駄なものは何一つないって豪語してるんだけど、無駄と無意味は違うのかしら、とか考え始めちゃって、わたし何か教訓めいたことを書こうとしてやしないかしらと反省して、そして今朝犬を見て、気づいた。

そうだ、私には南国での経験がある、ネタの宝庫ではないか、と。

というわけで、私の順番が回ってくるまで改めて新鮮な気持ちで南国の暮らしを眺めてみようかなと思っています。
とにかくくだらないことが書きたい、
それしかないです。





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