才人の詩

第109回文學界新人賞最終候補作

本作は、筆者が19歳の時、夢中で書きました。

文學界新人賞史上はじめて5人の選考委員が×をつけた作品です(うわさベース)。

水上紫明



Life is there to be lived rather than written about. <William S. Maugham>


 歳が行けば知識は大海の如くなり代わりに若い頃旺盛であった興味や好奇の気持がすっかり萎えてしまうものとばかり考えて居たけれども壮年に至りし今も私等は何かに附ゆかしき事ばかりで本業にはちっとも身が入らない故一寸困る然う思うに触れても例えば此の書簡中の老師等は一寸特別であると言わねばなるまい彼は書簡が書かれた年に六十歳前後であったと想像されるけれども凡そ青年の持つ全ての疑問に未だ血の匂いのしそうな若く生々しい言葉で応えて居る私は此の一連の書簡を本日偶々九州に在る実家にて見付けた本当は其処に今少し説き置きたい事情も在るのだが此れから語る一寸した物語の為に今は敢て語るのを止して置こう又此の話が果ててから書いても貴方は既に其れを必要としないかも知れない要するに茲では唯彼らの話をすれば足りる筈であるけれども矢張文筆家として一応の職務を果そうとするならば第一に此の書簡達の尋常ならざる量を特筆すべきであろう凡そ現代に生きる人々が一生に取り交わすと思われる位の書簡が僅か一二年の間に往復した事は一寸驚くべき事である第二に此れらは或一組の友人の間に交された手紙に違いないけれども其の取合わせというのが実に興味深く片や六十歳近い教師で一方は未だ二十歳程の青年であり二人は或時には師弟であり又或時には同じく若い擦過傷の様な悩みに悶え苦しむ仲である読者が此の両人を見て何を想うか私等にはつゆ知れないけれども小生に出来る事は唯二人の跡訪う事のみである時として他人の人生の果し無さに眩暈を起こしながら遅々とした筆を進めようと思う故読者諸士も似た様な折には一息吐いて意識を静かにして見るのも良いかも知れない

 扠眼前の書簡を入れたる文箱の中には一葉の写真が入って居る其処には幾人かの大人を囲う様にして歳若い男女の群が写って居るが高等学校の集合写真にしては規模が小さいと思って返して見ると、被写人の一人であろうかやや童らしい字で「私学志庵一期生」とある茲に云う私学とは恐らく学習塾や予備校の類であろう良く見れば異なる制服や私服も認められる塗箱に収められた書類は封筒と中身の便箋とに大別され見る限り律儀にも日付の通りに並べられ居る然うして幾分不可思議な事であるが其処には二つの異なる手が見られるのである兎も角も其の御蔭で私は二人の物語を滞りなく紹介する事が出来るが加えて言えば此の箱の中には或青年の日記も眠って居た茲からも彼らに就て少なからず説明を得た事を記して置かねばなるまい元来他人の日記を覗き見る行為は倫理に悖ると思われるかも知れないが或事情により心配は要らぬ旨御承知頂き度い何から語って良いやら一寸分り兼ねるけれども試みに前に存在を明かした日記を開いて見ると斯うある「其の口が開かれる度我々四人は息を呑んだ其処には必ず今迄知らなかった事気付かずに居た事が広がるであろう故である何時か等は命名と云う呪いを教わったが爾来私は此の世の全てが他ならぬ其の名に拠って縛られて居る事を知った此れは僅かならず驚異であり恐怖であった」日付も年も敢て記さないが然う大昔ではない今少し詳らかにするに此の記事が書かれた時「私」は高校三年生であり或私立大学を目指す受験生であった又文中の四人とは恐らく「私」と志を同じくし私塾志庵に通って居た他の三人を含めたものであろう後に彼から彼の教授者へ向け「友人」と称される三人の近況を報告する一節が見られる然うして此の「我々四人」は前の一葉の写真にも恐らく収まって居るのだろうが惜しい事に其の顔を窺い知る事迄は叶わない此れは或は物語に余計な像を加えぬ為には幸運な事かも知れない此の日記は「私」高校三年の春から始まるが殆ど毎日の様に何らかの記述が見え其の凡そ総てが或教師の授業に対する賞賛的述懐であるけれども此の教師こそ後の書簡に見られる老師であろう彼は国語、英語、数学、物理と広く四科を教じたらしい先ず優秀かつ数多の事象に該博な人物と言わねばなるまい茲に加えて「私」の性格に就いて窺知し得る事を記せば彼は理数科目に就いて自己を限り無く卑下して居り高校二年の途中から「合理的でない」との理由から一切其の勉勤を断って居る代りに語学や社会科に就いて生来の霊力を自負し実際に其の語学力等は最早天稟としか言い様が無い風であった然うして此の年頃の少年に多い事であるが増上慢に捕まり件の老師と出会う迄は碌に学校へも行かず偶に行けば周囲を相手に遠慮無く威張り散らした但し事実彼は文系科目に於て高校教師達を遥かに凌駕して居たであろう故凡そ詮無き事かも知れない彼は後に老師との出会いを「自分の心に闖入して来た然うして見る間に慢心に釘打ち興味という薬物で動けなくしてしまった」と一寸独特な言回しで回顧して居るが然程に衝撃的な逢着であったのだろう此の日から彼は毎日定刻に高校へ通い謙虚になったとは何も彼ばかりが語る事ではない傲岸な態度を改めた彼は好む処の文科科目に於て一層の努力を開始した読者諸賢にはお察しの通り成果の出る迄に然う時間は掛からなかったと云う夏頃には彼の成績は友をして九天の高さと言わしめる程に上昇した様である古典にも能く通ずるようになり入試に出題せらる原典等は凡そ読んで終って元の如く退屈し始めた彼に周囲は総じて舌を巻くばかりであったけれども老師は唯微笑して「葉山よ詩を書いて来い」と言った彼は幼い頃から文筆が格別達者であった故訳無いと云う風に翌日には口語の散文を一編、古文体を一編、加えて漢詩迄拵えて提出した此れには老師も一寸驚いたかも知れないが兎も角彼は其れを受取り翌日青年の言葉を借りれば「実に冷静且つ的確で父性に満ちた」批評を付して返却し廊の壁へ貼れと命じた葉山青年は自信にこそ満ちて居たものの自作を公にする経験は凡そ絶無であった作品が不特定の人間の目に晒されるという一種の恐怖が自意識の人一倍強い彼を再び文筆に精進せしめた横柄傲慢で修練の意味を解さぬ麒麟児に努力の万人に必須たる事を教えたのは矢張此の老師である再び彼の日記を引くに「実に此の時より私は心眼心耳他人の言う事を聞く事、又努力と云うものの万人に欠くべからざる事を知った」とあり老師の一筆に「爾来汝が重疾の治癒したる様に思う」とは孰れも大仰とは言い難かろう又幸か不幸か彼は此の時から本格的に文芸就中小説に傾倒するようになり習作の執筆を始めるが時同じくして感受性の覚醒を見たのか日常の些事にも神経が過敏となり終日沈思黙考する姿が多く見られる様になったと云う再び日記に拠れば師は常々「見えて居るのに見えぬもの」を意識を使って明らかにせよと命じたと云うが或は彼に限りては此の活動の深きに嵌りて遂に他人の見えぬ物を平素より見始めたのではあるまいか私の如く愚鈍な人間には想像も及ばないが其れは嘸かし心労を強いたに違いない老師も果して其処まで想像の及んで居たや否や、彼に詩を書かせてから一週間もせぬ内に老師は手ずから一編の詩を認めて葉山青年始め四人に示した其処には彼曰く「私の遠く及ばぬ、其れで居て気韻の違いのみが仄暗く見える様な」世界が広がって居たと云う然うして師は此の詩作を四人の課題とし「紡夜霧(よぎりつむぎ)」と名付けた其の由来に就いて「夜霧を紡がば夜雨と為らん淡く静かなれど人心に降り注ぐ詩を編むべし」と語ったと云うけれども中々に洒落た命名ではなかろうか現代の学生等は凡そ斯うした活動に冷やかだと云うが四人は老師を前に素直に肯ずる此の時に至りて彼らは師の為す事殆どに憧憬を抱いて居た其処に参加し得る事は寧ろ彼らにとりて大きな喜びであったろう正に理想的な師弟関係と言える後に彼らは受験勉強に疲れた心を癒す様に暇を見付けては熱心に詩作に励んだ師は凡そ一年間にわたり四人の数多に上る作に批評を加え続けた彼の評価は常に公明正大であって巨細にわたり時に唯「良作」とのみ記す事もあったが此れは最上の賛辞であって見出される事は極めて稀であり「私」こと葉山青年に至っても此の評価を獲得した事は指折数える程であった彼は後に此の事に日記に於て言及し「先生は文筆、詩作に就いて並みの芸術家より真摯であった、此の記述さえも彼に見付れば彼程は必要最低限であって筆に掛るに足る事ではないと叱咤されそうな程である」と残す蓋し葉山青年は生来自身の才能に自信を持ち又他人へ伝えて憚らなかった故老師の抑制の効いた文体や言葉、謙虚な意識を実際以上に巨きく感じたのではなかろうか勿論此れは私の邪推に過ぎないが諸士は如何お考えであろう小生にはどうも然う思われてならないし其れが又後年彼をして一種異常な迄に老師への興味に走らせる繊弱ならざる要因となったと疑われる単に両人の性格上の相違として終えば其れ迄なものを葉山青年は賢しくも幾つかの片言より「師の中に凝り固まる何か」を見出した或は此れさえ老師との交流の中で磨かれた能力であったかも知れない扠日記の方はと云うと秋口から記事が疎影となって以前程には豆々しくない此れは勿論受験生の事である故学業に多忙を極め始めたのかも知れないが彼は夏頃には志望校へ十分な成績を得て居た寒くなった故と云って周章して勉強する必要があったとは思われない蓋し詩作と云う課題を与えられて以来其方へ心と筆とを傾けるようになり雑事を記す日記帳に迄手が回らなくなったのではなかろうか但し此れも私の妄想の範疇を出ず申し訳ないが高校卒業後の述懐を参照するにほんの一年間、其の一年間に為された詩作が彼の其後に多大な影響を与えた事は確かなのである師の教授を受けた四人は皆師を尊敬し少なからず彼から影響なり衝撃さえ受けたに違いないのだが就中葉山に於ては後々も「人生の師」、「生涯教授を請い度く」等動もすれば過激とも思われる程此の人物に感化されて居た然ればこそ誰よりも其の人生に興味を抱いたのであろう

 私は前に凡そ偶然、又は一寸した興味の為に此の話に就いて筆を執り始めたかの様に装ったが告白するに此れは他愛無い偽りであって実は随分前から彼らに就いてかなり積極的に書き度いと思って居た然うして主に葉山青年と近しい人物を探して見た処奇縁有って凶な処から願ってもない人物の紹介を得た中川渉と云えば葉山青年の手記や後彼と老師との間に交された書簡にも其の名は度々見られるのだが氏は東京大学を卒業後或省に入官し役人となって居た此れは彼の高校以来の目標であった事を私は件の日記より既に窺知して居たのであり彼は詰り或人生目標を果したと云える鄙より身を立て中央省庁に任官を得る事の難さは世間の広く知る通りである恐らくは斜めならぬ労苦を重ねて結実を見たのであろう凡そ斯う云った職に在る人の多忙を知りながら私は厚かましくも彼に連絡を取り私事で申し訳ないが話を聞かせて頂けまいかと駄目元頼んで見たすると彼は暫く予定を確認した後月の内幾日かを示して此の日なら時間を作れるが如何かと言って呉れた彼は常に情に厚く良識を備えた優等生として葉山青年に回想されるけれども凡そ其の記述は正しいに相違なく電話越しにも彼は温和な好人物であった斯うして秋も老いて来た或一夕私は都内品川の某ホテルにて中川氏を待った平時には殆ど着る事の無い洋装を着けて恐らくは随分と落ち着かぬ進止でラウンジへ掛けて居たが彼は私とは対象的に堂々とした身熟しで寸分遅れず颯爽と現れた其の姿は凡そ私が日記や書簡から育てた期待を裏切らぬ精悍なものであったけれども矢張激務の為か美面には僅かならず疲労の色が見られた私は先ず自身を明らかにし尋常に挨拶をしたが暫く話すと彼は破顔を見せるようになり大層打ち解けた様子で場を和ませた其の仕種は一向不自然なものではなかったけれども若しかすると此れは彼の一通りならぬ気遣いと積年の努力の産物かも知れない葉山青年の日記には「中川は真に自分を見せない、常時笑顔を見せては他人の機嫌を損うまいとして居る此れは何も卑しい意図に拠る物ではないと知れるが大層疲れそうで己は嫌だ」と云う一節も見られる我々は初め居住地や時事に就いて語り始め酒を注文したが中川氏は大層飲んだ一寸意外な気もしたが酒は大学でなく入官してから覚えたと云う彼は決して酔わなかったけれども矢張段々と上機嫌になって来た処で高校時代の葉山青年に就いて訊き度いと切り出すと一寸黙り込んでから清浄な夜空に満点の星を見る如く瞳を輝かせ、「葉山ねえ…彼は何と言うか、まあ、一つの天才ですよ」と静かに独り言つ様に言った私の方も黙った儘次句を待ったが暫くすると岡本老師に就いても御存知なのでしょうと問う故私は正直に唯一度頷いた「葉山はね、彼の頃誰の目にも疑い無く神童でしたよ。唯普く神童と云えば多才な児童を示すのでしょうが彼は違って居た。多くの欠陥と弱さを抱えながら唯一つの才能で以て輝いて居る、然んな存在でした。性格の方は随分傲慢で口が悪いものだから教師も親も大変に手を焼いて居ました」其れから彼は葉山青年の天稟に纏わる逸話、幾つか挙げれば小学五年にして源氏の原文を愛した事や中学を出る頃には英語で小品を執筆して居た事等を話して呉れた尚此れは或は私の思い違いかも知れないが葉山青年に就いて語る彼の表情には燦爛たる目見の中に濃い霧の様な憂いが居座って居た然うして其の憂いとは親愛しつつも羨み嫉まずには居られぬ葉山との間に育まれた独特の愛憎ではなかろうか誰よりも高い志の下弛みない努力を続けて来た彼にとりて其の隣で凡そ道徳とは懸離れた行いをしながら悠々と自身を超えて行く葉山を、妬ましくないと云えば嘘だろう然んな万感の憂いが不識の内に中川氏から感じ取られる様に思われた二人は其れでも互に実力を認め合い高校時代の殆どを共に過した葉山青年を創設されたばかりの志庵へ誘い引いては岡本老師と引き合わせたのも他ならぬ中川氏である志庵へ入塾してからも両人は多くの時間を共に努力した風であり此の事は葉山青年の日記にもある通りだが中川氏に拠れば葉山は岡本老師にだけは礼を尽し敬意を以て接したと云う其の様子は西遊記に見られる孫悟空と玄奘法師宛らであったと氏は語ったが容易に眼前に浮かぶ心地がして微笑ましい「葉山は出会った当初から先生には尋常な一学生として接して居ましたが…唯一度だけ反抗と云うか口答えの様な事をした覚えが有りますね」中川氏に曰く其れは此の日の様な晩秋であったと云う志庵の小さな一室で英語が講じられて居た折何かの拍子に岡本老師は「死」に就いて話し始めたが斯うした雑談は割に繁く行われて居た為四人は平時の通り聞き始めたけれども此の日は僅かに様子が違ったと云う師は何処か愉快そうに微笑しながら、「君ら、死ぬのが怖いか」と問うた中川氏等が戸惑いながらも曖昧に頷くと一寸俯き僕は怖くないと続ける中川氏が吃驚して理由を問うと、「或る日な、五つの時に火鉢に手を伸べながら冬の庭に雪が積もるのを見た。其の時何か、ああ死ぬのはきっと怖くないと思った」と語る老師が一風変わった事唐突な事を云うのは何も珍しい事ではない故此の時も三人は感心した様な表情を見せたところが葉山青年だけが俯いて居た顔を確と上げ今のは嘘だと師を非難し始めた格段汚い口調ではなかったものの年長者に対して声を荒げる葉山青年を中川氏は必死に宥めるけれども彼は一向に口を噤もうとせず遂には得意の饒舌を揮って其れは飽く迄詩の詞だ然も長く生きた分の経験が其の感を一層美化するのみ凡そ真実とは懸離れた幻談だ撤回して頂き度いと捲し立てる一方の老師は葉山を一瞬見た後ぽつりと、然うかも知れぬ撤回しようと言った全体彼程迄に向きになった葉山も後容易に自言を控えた老師も今に至りて尚分らないと中川氏は此の話を結んだが其の時には私にも二人の遣り取りは一寸異常としか思われなかった。此の日の事件は葉山青年の日記には見当たらない忖度するに彼は後になって老師を非難した自分を恥じ責めたか或は自身の考えに強い信念を抱いて居て其れに反する不正を口にした老師を残し度くなかったのだろうか兎も角も後の記事を参照して知れる通り此の事により葉山青年の岡本老師への信頼や尊敬が根底から覆ると云う事は無かった風である

 師走の頭辺より疎略であった記事は再び仔細な記録を得るようになる内容は幾分事務的で生活記録の様にも見えるが予定等を記した跡から段々と入試の気配が近付いて居るのが不思議な臨場感を以て窺知されるけれども凡そ一般の受験生には信じられない事に彼は此の日、師走十三日より習作の執筆を始めて居る或は此れも尋常ならざる自信の表れであろうか記中勉学の成果等は殆ど見えず小説に就いての思索の跡ばかりが目立って居る又彼は此の頃漸く全ての受験校を決定した様で東京の私立校の名が疎影ながらも見られる恐らく理数科目を嫌ってであろう国立大学を受験する気配は全く見られない然うして幾分やっかむ様に某難関国立大学への罵言さえ見られるが此れは未だ元の傲慢な性格が残って居たのだろうかとさえ思われる件の小説と云おうか習作が完成を見た日の記事は一寸特別と言わなければならないだろう其処には事務的に「擱筆」と在るばかりで相伴って然るべき喜びや満足の声は嘘の様に影を潜めて彼が文筆に於て成果を得た際に必ずと云って良い程残される「自己の天才への賛美」も或新事実への興奮に欄を譲って居る「師は平時より常に謙虚たりて自身に就いて舌を振るうを好まねど今朝不意と彼の東京大学医学科へ進みたるを知る。日々の講義を通じ浅学の人とはつゆ思わねど斯く程とは知り得ずさすが驚きに斜めならず嘆息したり、又続けて曰く、思う処有りて後退学し下々の職に就きたるとかや。吾を除きて三人は茲にて大いに吃驚しけれど小生心中秘かに然ればよと思う声有り。然るに師をして其の心を変じしめける事柄の、其の真姿未だ得ず」葉山青年は老師が東大医学科進学に触れ一通りの驚きを示して居るけれども師が続いて語った事実により心を動かされて居る事は誰の目にも明らかである恐らく聡明であった彼は才覚に満ち溢れる老師が彼程迄謙虚になり地方私塾の一講師となったのには過去に一通りでない出来事があった筈だと考えて居た其処へ来て老師が大学と云う特殊な学問所、然うして其の先にある優遇から、一生活人とならんと志を変じた事実を確認するに至り彼は自身の「先生」に生身の人生があり又容易には語り得ぬ過去が在った事を確信したのであろう「彼の翳のある詩の秘密を知り度い、師が自分位の齢に何を考えたのか知り度い」と日記は続けられて居る極身近な人物に就いて知り度いのだから直に尋ねて見れば良い様にも思われるけれども思うに葉山青年は其れでは自身の好奇心が存分に満たされ得ぬ事を知って居て又岡本老師の方も容易に詮索を許さぬ態度を纏って居たのだろう然うして少し時期を後にするが二人は最も彼ららしい遣り方で接近し合うけれども此の頃二人は何処迄も師弟であって恐らくは互に強烈な興味を抱きながら礼節を以て深く知り合わないで居た或は師は未だ自身の過去に苛まれ苦吟を続けて居たのかも知れない寧ろ後々葉山青年が其の口を開かせる事になる方を一つの奇跡と呼ばなければならないのかも分らぬ然う考えるに附ても老師の中で又葉山青年が大きな存在だった事は疑いが無いけれども彼自身は師の中の自分と云う物を意識した事があったろうか

 若しかすると其処には書き置くべき話も幾つか在ったかも知れないが別段特殊な記事を見ぬ儘葉山青年の受験は果てる彼は合せて四校の扉を叩くが其の全てに合格、力試に受けたと思われる国立京都大学にも合格通知を得たが中川氏に曰く「彼奴は数学を白紙で提出した」筈である故文科の成績が余程優れたのか目を皿の様にして探すが仔細な記述は無く今に至りては分らないけれども葉山青年は此の事自体を冷めた目で見て居た風であり兎も角進学する心算は宛で無かった東京への憧憬が強く又他の級友三人が揃って同地へ進学を決めて居た事から当初私学への入学を希望して居たのである学校の教師は皆国立への入学を薦めたが彼は一向聞かず時には執い説得に立腹し喧しい馬鹿は黙れと言って暴れる両親はと云うと教育に特別関心が有る訳でもない故今迄通り子息の好に任せる事にして居たけれども或る日岡本老師が志庵へ葉山青年を呼び出して、「葉山よ、京都へ行って来い。中川も安田も竹川も居ない処で精一杯書き物をしろ」と言った普段は黙って師に従う葉山は一度だけ、「先生は京都へ暮した事がお有りですか」と訊いた岡本老師は静かに頷き、「君も直ぐ同い年に届く。二十歳過ぎから京都に暮した」と応える葉山は唯分りましたと言って京都へ進学する旨決意した此の時中川氏は「驚きと共に一抹の不安」を感じたと云う彼に曰く葉山青年は修学旅行で訪れた京都を「陰気で古臭く旧習悪弊蔓延る土地」と盲滅法罵り「金輪際訪れ度くない」と豪語して居た又何よりも氏をして不安感じせしめたのは葉山青年の尋常ならざる師への興味であった彼は其の頃岡本老師だけが賢者たるが如く彼と相反する者が有れば愚者だと罵った然んな彼を見て中川氏は常々疑問を感じて居たと云う恐らく葉山は長らく天才故の孤独を感じて居た故漸く自信の他に信頼出来る者、尊敬出来る者を得て没頭したのではないかと氏は続けたが若し其の通りであったなら宗教家と信者の様な或種危い関係と取れなくもない生身の人間を絶対の真理とせん一青年に中川氏は客観を以て危機感を抱いたが全体如何程の警鐘を鳴らす事が叶ったであろう少なくとも葉山青年の京都行きを止めるには至らなかった再び日記を繰るに京都へ出発する日の記事は中々に長大である青年は見開きを総て使って将来への希望を書いた詳細に全部を明らかにはしないが彼は此の時既に小説家たらん事を決意して居る然うして「志庵並びに岡本老師の教授に報い度い」と結んで生れ故郷を後に旧都へ向かった

 中川氏の予見は凡そ的中したと言わねばなるまい四月も中旬を過ぎる頃には日記は殆ど新天地への不平不満で覆われ始める此れは何も京都と云う土地が悪いのではなかろう氏が語るに葉山青年は大変環境の変化に弱かった其処へ前に記した先入観が加わって斯うした嫌悪を催したのであろう恐らく東京へ来ても文句は多かったに違いないと中川氏は笑って居た初め二ヶ月の内は大学へ真面目に通って居た様で「退屈な授業」と銘打たれた羅列も見られるが幾人かの友人を得た後は雑多な交友を持たず下宿へ籠って本格的な執筆を始める詰り此の頃彼にとって「旦那芸」としての文筆が終り凡そ人生で初めて悩みを抱えながらの執筆が始まったと云えるかも知れない彼は大学によって綯われる将来の綱は切った心算で、必死に筆を執り続けた風である茲へ来て私は漸く諸士に今一つの資料を紹介する事が叶う即ち一通目の書簡は彼が初の本格小説を書き上げた後作品を添付して志庵の岡本氏へと宛てた物である其処には創作に伴って生ずる悩み、未来への不安等が痛い程正直な言葉で綴られて居る然うして末尾には、「文学的将来に就て、其の有無を御判断頂き度く候」とかなり思い詰めた文言が見える察するに見知らぬ土地で独り執筆を続ける彼の精神状態はおぼろげなものではなかったろう凡そ世間の大道を外れる行為なれば、自身の騏驥たる事を強かに信ずる彼にあっても「文学的将来」と云うと不安であったに相違ない然うして旧知の師に其の判断を仰いだのだが此れは凡そ自然な数と言って良いだろう私は幸運にも直に彼の習作を読む事が叶う自身の他者への批評に於て三流たるを知りながら敢て評を述べるならば彼の作は文筆家として存分に矜持するに足る内容である流麗な文体から繙かれる物語は世になく精緻であり其の隅々に迄甘美な時間を醸して居る凡そ現代の忘れかけた貴い文体と言わねばなるまい此れは動もすれば過度とも取れる彼の自信就中文筆の天稟への自負を裏付けて余り有る恐らく同世代に彼程の作を為す者は未曾有にして絶後であろう耽美にして危く、琴線の張り詰めた様な天性の筆致であるけれども強いて難を挙げるなら筆材が一寸古く又難解な表現が大変多い文学に造詣の深い人間には評価されそうなものの凡そ広く読了され幾文も人口に膾炙しそうな類の小説ではない彼も或は其処に不安を覚えたのではなかろうかと思われる若者更に言えば教え子の叫びに岡本老師は一寸冷酷とも取れる程簡潔に応じて居る書簡には唯「自分の信じた言葉で美しい世界を掬い上るべし」とある但し葉山青年の心を捉えたのは寧ろ今一枚の原稿用紙の方であると云うのを忘れてはなるまい其処には何時か志庵で遣り取りした様な一編の詩が佇んで居た然うして高校時代には終ぞ語られる事の無かった老師の過去の一片が横たわって居たのである敢て全文を詳らかにする様な事は避けるけれども詩中からは老師が青年期に何らかの思想を抱いて運動をして居た事が釈然と窺い知れた愚鈍の私に分るのだから葉山青年に知れぬ訳もない彼は此の日の日記に溢れんばかりの憶測を豊満な文体で並べて居る時代を重ね合せて見ると凡そ其の「思想」は一時代に日本を席巻した左翼思想に相違ないであろうにも関わらず青年の活発な筆は言葉を尽しながら敢て其処に「共産主義」やら「マルクス」やら特定の枠を作る事を避けて居る此れは一寸注目に値する点であり合せて中川氏の表現を引くに、「葉山は日本の伝統、文化的持続性を重んじて、破天荒な振舞いと裏腹に実に保守的な考えを持って居た」と云う彼は平時より三島由紀夫氏の作品を愛読したそうである故此れは自然な数であったとも言えるであろう然うして一層踏み入って考えるならば彼は其れまで左翼運動に冷淡であったのではなかろうか中川氏が政治経済に就て活発に意見を述べる傍らで「己に政治は分らぬ」と平時笑って居たそうである然るに高校二年の秋に書かれた「日本の美と文化」なる彼の論文に於て其の長広舌は隆々と自国に「然るべき階層や被虐民、貧困が在る事」を美意識の観点より支持して居る如何にも芸術を至上とする彼らしい見解であるが茲へ来て彼の姿勢は老師の其れと打つかる事になる葉山青年は其処で全う哲学を変える事は出来ない迄も僅かに姿勢を緩めると共に自身の中に老師にも妥協を求めた然うして無視と迄は行かぬものの運動に就て流々細々たる派閥等に特別な興味は抱かず、具体的な用語を書き出す事も避けたのである

 二人は此の遣取の後随分繁く文通を続けて行く事となる葉山青年が熱心なのは兎も角私の目には老師も又自分語りをする喜びに目覚めて行く様に映る彼は恐らく仕事の傍ら葉山への手紙に筆を執らなければならなかったろうが其の筆致は決して渋々と云った物ではない常に積極的な提言に満ち嬉々とした表情が窺える様である此の事は嘸葉山青年を満足せしめた事だろう但し其処には常に「詩」と云う形式が在った老師は理由の如何は知れないが詩を通してしか過去を告白しようとしない此れには葉山も一寸煩多な想いをしたのか、「師の物語は霧となりて真姿を現さず待てど暮らせど紡がれて雨となり吾身に注ぐ事なし、心中一寸の焦燥」と日記に綴られて居る焦燥とは穏かでないが詩を介した遣取に限界のあった事は確かだろう彼は師の過去の断片を拾い集めながら一向釈然した形の組み上がらぬのに歯噛をし始めたのかも知れない果々続く書簡に次の様な提案をした「平素より編詩の御指導感謝申し上げ候。扠今度は小生の拙筆による小品、御添削を請い度く、加えて願わくば御手本として一作麗筆拝見致し度く候」然うして彼は原稿用紙に数枚、幼少の水限を回想する散文を添えて居る此れに添削を求めると云う一節だが或は妙策であったかも知れない書を受けた老師は葉山作品の批評程々に原稿用紙を六枚も添えて居た思うに彼も又自身の過去を知ろうとする葉山の心をとうに知って居たのではなかろうか其の上で清算し難かった来し方を物語の力を借りて吐露しようとした様に見えてならない躊躇い勝ちであった筆は段々と水を得て若返る様である「思想の春」と題された小品には老師の出生から幼少期、医者を志して居た事等葉山青年に拠れば「九重の」手で仔細に記してあった生徒達が推量した様に老師は幼い頃から聡かった風である出生地に就ては「山陰の一村」としか書かれて居ないが十八に至る迄を回顧して「至極幸福であった」と述べて居る思うに優秀である傍ら田舎の無邪気な一青年であったのではなかろか時流や実家の経済状況を汲み老師は広島へ職を求めようとするが彼の才を惜しむ声の一通りならずして親戚一同のカンパも有り東京大学への進学を決める此の時医学科を希望した理由に就て「何としても学を宝に変じ度かった、一族の期待に応え度かった」として居る少年時代数学の魅力に憑かれて居たと云う老師には数学者を志す気持も強かった風である然るに自身一人の進学ではない事を深く悟って居たのだろうか「懸命に勉強して大きな都市に開業する積りで居た」ともある然うして私は次の一文に最も強く心打たれた其れは恐らく葉山青年に於ても同じであった筈である「然うして着いた東京を舞台に、十九歳は私にとって疑い無く地獄であった。」茲で老師は今日は此れ迄と文を結んで居る蓋し彼にとりて「地獄」の回顧には相当な覚悟が必要だったのではなかろうか葉山青年の日記を開くと一寸鬼気迫る記述が見える麗筆の踊る書面からは恐らく彼が其の眼を大開きにして綴ったのであろう生血の想いが見て取れる「先生が口を開き始めた事は確かである但し私が聞き度いのは今日の如き事ではない。私は先生の『地獄』が見度い彼が見たのと同じ地獄をこそ見度いのだ」老師の作中「地獄」とあった表現を巧に用いる伎倆は流石と言わねばなるまい其処へ尚批評を挟む事は凡そ無意味な事かも知れないが葉山青年が此の文章に於て狂気を斯く有効に表現し得たのは何も筆が達者な事にのみ起因するのではないだろう彼は此の時既に新天地に於て孤独な執筆を始め彼だけの「地獄」、其の入口位は見えて居たのではなかろうか私には何時か中川氏の抱いた危機感が茲に於て早くも現実の物たらんとして居る様に思われる然うして思い起せば葉山の京都行きを決定付けたのは他ならぬ岡本老師の言葉であって若しかすると彼も又既に教子へ地獄を見せる準備をして居たのではなかろうか私は前に葉山青年をして老師へと強い憧憬を以て向かわしめた孤独であろうかと書いた思うに孤独は老師も同じであって両人は尽きせぬ孤独を軸として痛切に惹かれ合い数多の書簡の中に同じ地獄を分け合う事に成功した本当の魔は何処でもなく人間の中青年の中に居るのだろう然ればこそ彼らは時を隔てて尚寸分の相違無い魔境で出逢う事叶ったのである葉山青年は待つに待たれず直に老師へ手紙を出すが此方は尋常な書簡であって其処には自身が碌に大学へ通って居ない事、友人と酒を飲みに出ると帰途になって無性に厭になる事、両親に仕送りの催促をする折変に卑屈な気持になる事等が赤裸々に綴ってあり、結びには初めて正直に、「先生が私程の齢に如何であったか伺い度いのです」と書いた此れは大きな変化であって恐らく彼は以前日記に綴った「焦燥」に後押しされて思い切りを付けたのだろう或は訊いて見ない事には不安で仕様が無かったのかも知れない此の頃の日記には「今更人道に戻れぬ」、「文名が立たずば己は一体如何して暮して行くのだろう」等と兎に角弱気な記述が目立つ生来傲岸な彼にあっても初めて自道を行くには並々ならぬ恐怖を伴ったのだろうか尤も中川氏は葉山青年を「小心故に傍若無人に振舞うのみ」と回顧して居る日記を読むに附ても余り神経の太い方ではなかったかも知れない又不安にばかり苛まれて思う様に筆を執れなかった事も容赦なく葉山の精神を傷め付けた事を書き置かねばなるまい自書の投函から老師の返事を見る迄彼は雑多な文章を書き散らすのみで小説には全く手を付けられなかった風である代りに日記の方は充実を見せ不謹慎ながら私にとりては些か喜ばしい此れと云って特別な内容は見られないが六月五日の記事等は一寸読者諸氏にお見せする価値があるかも知れぬ「六月五日、晴天。三日程雨が続いたが本日は晴。昨晩から明方に掛け伊藤整氏の『鳴海仙吉』を読了す。疲労感より終日眠りに過ごそうと考えて居たが電話が入り起こされる。真に意外であったが主は中川で、今から京都へ行くが会えないかと云う。会えぬ由等無いが何故来るのだと問えば、一月程前に三島の『金閣寺』を初めて読んだ、然うして一目本物を見度くなったと云う。中川は己等より余程常識が有るが読書は余りしない、殊に小説ともなると三島と太宰の区別も儘ならぬのではなかろうか。加えて可笑しかったのは一月前から来京し度い気持があったのなら一月前から相談の連絡を寄越せば良さそうなものだ。予定が合わぬと云った様な不安は彼奴には無いのだろう。会い度い奴とは会える筈だ、己と葉山が会えぬと云う事は有る訳がない、然う云う盲目的な信頼を、己等には到底見えぬ、善意の彼方にでも寄せて居るのが中川と云う男だ。兎に角駅まで迎えに行って乗合で金閣寺を見に行った。己等は庭から眺めるのが好きだが奴はなるべくにじり寄って凝視して居た。本気で煤の跡でも探したのかも知れない。夜は奮発して花見小路で料理屋へ入った。高いばかりが取柄で味も女将も素気なかった故直に出たが、中川は写真を幾枚も撮って喜んで居た。帰途はタクシーで北白川へ帰って、其処でも安酒屋へ一軒立ち寄って、其の儘下宿へ泊って明くる夕方に帰って行った。何の事はない両日で、楽しかった。」葉山青年には珍しく全う俗文体で綴られた日記であるが或は此れは態とであろうか分断された一文一文が己がじし弾んで愉快な一日を回想させる内容自体は簡潔で淡白ながら最後の率直な感想が強烈な印象を添える通り、彼は突然の中川氏の来京が相当に嬉しかった様である私にも経験があるけれども矢張大学で成立した友人と高校来の友人とは全く違う殊に此の両人は親友同士であった故束の間の再会が此の時葉山に与えた影響は測り知れない中川氏の方でも無論此の事を良く記憶して居て感想を問えば「冗談でなく葉山が生きて居て良かったと思った」と云う思うに本心は葉山青年を心配しての来京であったに違いない観光にしては短い旅程である思わぬ来客を迎えて良薬と為したかと思われた葉山青年は一週間の後には再た例の不安に取り憑かれ始める一度症状が出れば思い出も姿を変じて、「中川は東京で頑張って居る、だのに己は如何だろう」と日記に見える様に旧友の存在すら重圧となり書けぬ両肩に圧し掛かった茲へ至りてはもう何も彼を救えぬ様にさえ思われる万事に亘って苛立ちを隠さず日記帳にも以前には見られなかった落書きの跡が幾らも残って居る然うして果々、「分らぬ。己は死に度いのだろうか。然んな落ちぶれた小説家みたいな事は言い度くない。芸術家は強いのだ。嗚呼でも己は芸術家等ではなかった。落第の不平家だ。死に度い、死のう、其れが良い」と綴った翌朝に老師からの返事が着くが此れは恐らく全くの偶然ながら自身の弱さへと向けられた葉山青年の神経を再び老師へと向かわしめ其の命を繋いだと言っても過言ではないだろう然うして暫くの間日記帳は其の記事を隠すが或は彼は老師の書簡に激烈な印象を受け執筆を再開させたのかも知れない斯う忖度するのは何も私の拙い勘に拠るのみでなく其の手紙を読めば誰も驚かずには居られぬだろうと思う故である

 「私は東京に住む親戚の世話で新宿の古書店の二階に早大の学生と二人で住む事となった。プライバシイを保てる程広い間数でないのは当然であったけれども、彼は柔和温厚な人物で特別心に窮屈を感じなかった故か特に苦痛を感じる事はなかった。古書店は老夫婦が二人で経営して居たが二人とも私達に実に良くしてくれた。冬の日等下へ来てストオブの傍で勉強するよう勧めてくれたり夜食を差し入れてもらった事も数え切れない。ところが入居して二か月も経たぬ内に旦那が亡くなり、気落ちしたものか其の一月後には奥方も台所で倒れた儘動けなくなった。古書店は息子の手に渡る運びとなり、私たちは二階を追い出される事となった。良くして頂いた夫婦の死は無論至極に悲しかったけれども、住居という退引きならぬ問題は悲嘆に暮れる暇を私達から奪った。実家からの仕送りは御世辞にも充分と言える程ではなく、私は最初家の貧しさを思い、「これ以上は出せぬ勘弁してくれ」という額なのだろうと察して居たが、或る時ふとその考えの誤りに気が付いた。彼らには都会で学生が暮らして行くのに幾ら金が掛るのか想像が付かぬのである。生家は確かに貧しかったが両親は私を溺愛し不自由を感じた事は一度もなかった。恐らくは彼らが其の血銭で得て然るべき物を数多我慢して私の望みを広く叶えたのであろう。この仕送りとて同じ筈である。一人息子が都会で苦しい思いをせずに済むよう、削るべくもない生活費を削って、額に一層の汗して私に送る。それでも未だ足りぬのだ。彼の地では充分な筈の資金は彼が未だ一目にもせぬ大都会では余りに心細い。この誤解に気付いてからも私にはそれを告げる事は到底出来なかった。何も良心が彼らを庇うのではない。私の心の中に於て、善良な、盲目な労働者に、「学」という盾をして更なる貨を請う遊冶の民は、余りに悪魔だったのである。

 友人はといえば、仮にSとしようか、Sも又貧しかった。彼は東北の寒村の出で、生家にかなりの無理を言って早大の文科へ入ったが、生来の読書好きらしく文学の話題となると私など全く歯が立たなかったけれども、どんな真面目な話をするにも郷里の懐こい言葉を使うのが可愛らしかった。Sの家からは月々僅かの仕送りが月末切々に届いたが、こちらも事情は恐らく同じであって、とても満足な暮らしの出来る様な額ではなかった。私とSとは五月に差し掛かる頃にはすっかり打ち解け、二人で協力して必要な品やら食糧やらを購った。今だから明かせるけれども定食屋の裏からもやしを盗んで来て食べた事もある。

 程なくして我々は仕様なく同じ新宿の最下等の下宿へ移った。五畳もない部屋に二人で住むのだからひどく狭い。加えて月の家賃は古本屋の二階より幾分高かった。元々貧乏をして居た処に余計に金が掛り始めたから我々の生活資金はすぐに底を突いた。私はまず祖母から買って貰った冬物を質に入れた。この後私もSもあらゆる品を質に預けたが、私はこの冬物だけは引き出す事が出来ずに流してしまった。彼女は私が大学に上って直ぐ亡くなった。

 衣類等を質に入れても未だ我々の生活は覚束なかった。私はSと空腹を紛らわす為にあらゆる話をしたが、この頃から自身の浅学を思い知った私は、Sの蔵書の中から手当たり次第に本を読み始めた。Sの語る世界は常に魅力的で、ややもすれば彼が頭の中に描くそれよりも尚輝きながら私の眼前に迫る様に思われたが一方の私はというと意識の中の像が釈然していても、言葉が邪魔をしてもどかしい思いをする事が度々であった。私は幼い頃から理数科目が得意で文科も漢学等はよく出来た様に思うがSの薦める小説や思想書等を読むにつれ自分は真に物を考えた事がないのではないかと疑い始めた。

 或る日を境にして私達は度々Sの見つけて来た日雇のアルバイトへ行くようになった。上野辺りで簡単な土木作業をするのだがこれは案外私の気に入った。単純に身体を動かすのが楽しかったのである。殆ど一日中働いても大した金額にはならなかったが疲労感と真新しい紙幣とに気が大きくなるのか晩には決って酒を飲んだ。そうして蟹工船の船夫達の様に再び日雇へ行かねばならぬ、といった具合で秋口にはすっかり大学から足が遠退いた。偶に行けば行ったで級友達の目に私は堕落者の様に映るらしく段々と居心地が悪くなったが、唯一の救いは時勢であった。時は学生運動の真只中で大学を権威の象徴と見なしボイコットや授業の阻止等が激しく行われている風だった。それ故大学へ行かぬ事は私にとって然して罪悪感を与えなかった。しかしながら自前に展開される運動に与する気にもなれずにいた。あの頃私は余りにも純粋に労働者であった。それはSにも同じであった筈である。ところがどういった訳か、Sは何時の間にか早大の共産主義者同盟に名を連ね、マルキシズムに傾倒して行った。盛夏にSの母親が亡くなり、一度東北へ帰省してからは、Sは尋常ならざる加速度で運動にのめり込んで行った。私は其処へ、全く思わぬ形で加わる事になり、或姉妹と出逢う事となる」

 茲で老師は読点をも打たず話を結んだけれども蓋し岡本老師には天賦の筆才をも有して居たと考えられる此れ迄全く女人に関する話をせずに不意と「姉妹」等と語られては読者は誰しもどきりとしてゆかしき心禁ずるを得まい然も唯一の読者は好奇心に満ちた文学青年である彼は矢張其の日記に於て次号への期待を大きく膨らませて居る但し茲へ来て筆術を弄する様な真似はせず続編に就て「恋か、恋であろうか。若し然うであれば、全体老師は孰らと恋をする気なのだろう」と、動もすれば拙い迄に素直な感想を寄せて居るが、読者は彼から恋と云う言葉を聞き慣れぬだろう葉山自身の過去の恋模様は中川氏の述懐に詳しい余り諄くなっても仕様無いが極簡単に言葉を引くと「葉山は中々女にはもてた。然しながら高校二年の夏頃を境に全く彼女達に冷淡になった」と振り返る推量するに葉山青年の性格からして女性に愛想を振撒く様な事は元より無かったであろう然るに或時を境に目立ってつれなくなったと云うのであれば一寸興味深い事である其処に具体的な効果を求める訳でもないが参考迄に葉山青年が高校二年の内に書いた最後の作品『蜻蛉』から一部を抜いて見る「私と彼女とは連れ立って図書館を出で、例の公園へ向かって長い階を降り始めた。然う暑くはなかったが空気の中に湿気が揺れて、仄蒼く明るい夏の夜は矢張私の胸を騒がせた。階を降りながら私は、丁度中程に差し掛かった辺りであったろうか、覚えずも一度大きくよろけてしまった。小さく悲鳴を上げた私を、彼女は微笑を以て迎え、いかにも仕方ないわねと云った風に手を伸べる。恐る恐る其処へ右の手を重ねると、彼女は一層笑い、其の儘私の手を握って階を降りて呉れた。

 噴水を前にアスファルトへ降りた我々は、彼女のするが儘に、玄く眠る水の隣をすり抜けて華奢なベンチに腰掛けた。

 其れからはもう長かったとも短かったとも付かない。二人は一寸の身動ぎもせずに夢を見る様に座って居た。言葉は無い。振り返って見れば彼の夜言葉を発する事は一番の禁忌であったかも知れない。ところが私は何故か口を開いた。然うして茲には到底書けぬ様な女々しい悩みを殆ど恥らいもせずに彼女に打明けたのである。しかし其処でもまた彼女は微笑みを以て迎えて呉れた。加えて憐みからか再度私の右の手を取って両の掌に包隠した。私は自分の中に不意と、融ける飴の様に、何か熱く煌く物の広がるのを感じた。其れから彼女に、甘え度い様な、近付き度い様な気分を催して、喉元に息の詰まる程の勇気を奮起し、自分の頭を、彼女の、恐らくは抜ける様に銀い肩にそうっと載せて見た。私の頭は如何にも熱かった。砂糖が煮立つ様な、何かおぞましい熱さである。其の塊が繭の様な肩に触れた時、蒼白く黙る夜の中で、確かに小さく不都合な音のするのを二人は聞いた。私は其れでも其の儘黙って見た。夏夕の浪漫を信じたものか、或は今更動くのが怖かったのかも知れない。汗ばみそうな毛塊を必死で肩に留めて居た。

 私が凝然と止めて居た息を、堪らず一つ吐いた時、彼女は小さく、然し確かに其の枕を自身の物へと還すべく私から遠ざけた。然うして薄く唇を開いて、御免なさい、と言った。私は頭の中で僅かに怖れて居た其の進止を目の前にして、鼓動の激しく、面のひどく赧くなるのを禁じ得なかった。然うして其の際には羞恥に何も考える事が出来なかったものを、寝床に於て図らずも繰り返し回想する度、女は先刻まで母であったものが、刹那を挟んで処女になり、其の奈落の暗中に、男をして其の恥と愚とをありありと見せしめる鏡となる事を思い知った。」前にも述べた通り此れは飽く迄創作であって彼の個人的な経験記ではない然るに実体験が其の作品へと影響を及ぼす事は小説家に於て殆ど不可避であり、加えて内容に目を向けて見れば作中の人物、恐らく一青年は、女との逢引の後に悪夢の如き「恥と愚」を得て居る葉山をして女人から遠ざけしめた物が紛う事なく其の羞恥心であったとするならば此の作品以外の何処にも決定的な記述を見得ない事も自然の数であろう扠読者に於ては如何か知らないけれども恐らく茲へ書かれて居る内容は然う特殊な事例ではないのではないか未だ数える程の、然も極淡い干渉をしか女性との間に持たぬ青年が、彼女達との恋愛に於て何らかの失敗や其れに伴う恥を浴びる事は仕方のない事であり言わば成人と為る為の通過儀礼である但し葉山青年の場合には一寸事情が違って居たかも知れない中川氏に拠ると中学、高校に在りし時彼の友人達は皆彼の個人的な交際を総じて知らなかったと云う此の時期の学友に恋愛事を全て隠し通す事は並大抵の事ではない然るに彼は然う云う話題に触れては友人に何を問われても唯微笑して黙って居た様である日記の字からも知れる通り潔癖で羞恥心の深い人物であったのだろう然うして一層確かな事は、彼の持つ美意識が彼に、恋愛、女性に向けても、他者と大きく懸隔する目を与えたであろう事である日常の些事や花鳥風月、周囲の友人に就て彼程の細やかな描写をし、時には不相応な位の意味や価値を抽出した彼が、女人のみ有の儘見つめたと云うのは疑わしい恐らくは目に留まる女性親しくなった女性の一人一人に彼だけの色を重ねて居ただろう詰り彼にとりて極端な云い方をすれば、彼の愛する女性は既に人間ではなかった筈である彼女らはあらゆる美の要素其の幾つかの結晶であり象徴であり化身、生の息遣いを持ちながらも彼や種々の醜悪な人間とは違うもので言わば美其の物であったかとさえ思われる然うして又、其れを眺める彼も美しくなければならなかった彼の手記に拠るに彼は其処が例え自室であろうが小説を書く際には襟の付いた洋服を着けねば気が済まぬとあり又親友の中川氏に聞けば課外授業で近所の寺社を訪れた際他の生徒が盛夏の暑さに耐えかねて格好を着崩す中彼だけは尋常な儘凛と背筋を伸ばして二時間通し、三尊や仏石の前では一々礼をしたと云う普段は傍若無人で校則等気にも留めぬと云う彼だから中川氏が驚きを以て強く記憶して居るのも無理はない忖度するに彼の美意識は美と対峙する主観、引いては其の持ち主にも又美しからん事を強いた何も芸術に留まらず恋愛に於ても同じ事であった筈である彼は鋭い目で人を見ながら其処に愛を夢を消し得なかった美徳は限りなく美しく、悪徳は限りなく醜悪に、然う云う風に万事は芸術的劇的でなければ気が済まなかった故彼が恋仲の女性と居る折其れはもう至上の芸術品を隣に見て居るのと何ら違いはなかったろう然れば彼自身世になく美意識を澄まして美に浸り、信じられるだろうか、美は彼の手を取り彼を慰めんとする、青年は一層の夢を見ながら瞳を閉じ果々美と一つになろうとしたが最後温かだった肩は冷たく凍り芳香は不意と失せ潤沢な光りから池水が干れば其処には唯美と一つになろうとした愚かな自分が恥を一杯に浴びて映る何よりも美しいもの、綺麗なものを愛する彼にとりて此れ以上の悪夢はないのではないか斯くて心中に暗く凝り固まった恥を何処かへ吐き出してしまい度い、ところが同じ羞恥心が此れを許さない故終いに作品へ昇華する、此れは長く詩と云う枠の中でのみ過去を語った老師の感覚に或は似て居るかも知れない然うして両人の斯うした特性が彼らを孤独たらしめる一因ではなかったと誰が言い得るであろう扠意外な事かも知れないが学友達が次々と帰省する中葉山は灼熱の洛中に残る理由は手記の何処にも見えないが自室に籠って執筆に精を出そうとしたものかも知れぬし彼は老師に手紙を出して話の続きを催促して居た故其れを待ったものかも知れぬ兎も角彼は中川氏ら旧友の待つ郷里へは帰らずに引き続き余人と交わりの無い暮しを選んだ暫くは南禅寺や相国寺や建仁寺、銀閣寺等諸寺を巡った様であって殊に洛北圓光寺の庭園と金襖にはいたく感動した様だけれども、寺社観光も老師から次の書簡が届く迄であった

 「秋は段々と深まって行った。其れは当然ながら私らの意図とは全く関係のない事であった。四月に郷里を離れ大学生となった私は何も掴む事が出来ぬ儘半ばそぞろに時を過ごし、気が付けば二年生が直ぐ傍まで来ていた。学友達は年末休みを楽しみに待っている風だったが、私は早くから東京に残る事に決めていた。今の様に気軽に帰れる旅程ではなかったし、年末のアルバイトは割が良い。そうして何より、何となく家族に会わせる顔のない事を感じていた。仏壇に納まったであろう祖母の顔も見られる気がしなかった。

 Sも又郷里へは戻らぬ様子であった。理由を詳細に語るような事はしなかったけれども、運動に忙しい所為かも知れないし、其れとなく尋ねて見ても、彼んな所、と吐き捨てる様に言うだけで後は黙り込んでしまうのだった。此の頃からSは度々下宿へ帰って来なくなった。偶に顔を合わせれば『君も運動に参加して議論をしろよ、其れとも戦争や此の社会に賛同する気かい』等と脅迫じみた事を言うから、私にとっても一人の方が気楽だった。それでなくとも私は、その頃他人と話をするのが億劫になっていたし、生来議論の類は得意でなかった。私の僅かな言葉の後に、相手の言葉の大軍が列を成して襲って来る。しかもそれらが全て私の言葉なしに生まれる事の無い物だとすれば、それは宛で大水を堰き止めてある、其の堰の緘を自ら抜いて、終いに矢張呑まれる、そんな馬鹿げた恐ろしい行為としか思われなかった。幼い頃から祖母や両親の溺愛を受けて育った私は知らず知らず臆病であったかも知れない。ともかくSとも行動を共にしない私は、遊ぶでもなく学ぶでもなく、唯終日下宿へ引き籠って、ぼんやりと物を考えたり読書をしたりして過ごした。

 十二月の最初の日、小春の様に晴れた一日であったが、それでも矢張夕には寒い風が出始めて、私は思い立って近所の風呂屋へ行く事にした。春からの貧乏は一向に変るべくもなかったから、毎日風呂へ入る様な贅沢は出来なかったけれども、その日は湯気や石鹸の香りが心に浮かんで離れず、湯浴みへの憧憬は抗い難かった。風呂屋へは下宿を出て五分も掛らない。平時そこへ行く度、私は母子や学生やら大工やら色々な人の洗い髪を見た。そうして彼らが時に快活な、時に打ち沈んだ声で繰り広げる会話は、孰らも私には余りにも眩しかった。

 下宿を出て直の細長い路地を左手にずっと進んで行けば風呂屋は右手に現れる筈であった。笑い声に満たされる暖色の入口が目にちらついて私はそれでなくても気後れしてしまいそうだのに、遥か前方に、Sらしき学生服の背中が、すっと右の路地へ消えて行くのを見たものだから、私の心は迷い始めた。風呂は止そうか、と弱気になるのも無理はない。もし彼の男がSであったなら、目的は風呂屋に違いない。このうら寂しい通りに、Sの行きそうな場所はそこしかない。然れば必ず湯場で一緒になるだろう。彼が私に平時の通り、近頃は幾分強気になった言葉で説教をするだろう事は目に見えている。そうして、そうして何よりも私が彼の言葉で辛いと思うのは、私の実家の事だった。Sは夏に母親を亡くしてから、生家からの仕送りは一切受け取っていなかった。私は僅かずつながら毎月決って援助を受けていたから、そんな私をSは、君の実家は貧しい等と語っていたけれど、本当は大地主か事業家かい、道楽息子によく金を出すじゃないか、と微笑しながら詰る事があった。此の時程私に常から根を下ろしている罪悪感が、赤く腫れて痛む折はなかった。

 しかし私は五分の賭けに出て、一度は止まりかけた歩みを半ば自分に言い聞かせる様にして大仰に進めた。私を歩ましめた物は何も無根拠な勇気ばかりではない。実は先刻私の見た学生服は、女を二人伴っていたのである。齢はSと同じ位、一人は男の隣に、一人はその後ろを雁行する様に見えた。私はそれまでSが女と居るのを見た事がなかったから、矢張人違いだったのではと踏んだのである。

 番台で小銭を払ってから脱衣場へ足を踏み入れた瞬間、私は殆ど絶望した。脱衣場には饐えた様な汗の集合した匂いと、敷き詰められた簀から漂う湿った木の匂いとが充満して、そこへ蹴散らされた芋虫の様な籠が乱れていたが、その中に判然と知れるSの学生服の裏地が見えた。此れは凡そ同居者でなければ知れぬ事だが、彼の学生服の裏には紫の継があった。女物の着物から取った様な、奇妙に艶かしいそれは、一度見れば忘れる事はない位、彼には不似合に思われた。私は俄に動悸の高まるのを禁じ得なかった。しかしここまで来て引き返すのも又私にとっては勇気の要る事であった。見た所客は常よりも多い風であった。私は果々、『会わぬという訳には行かぬだろうがなるべく早く上がれば良い』と高を括って、あわよくば気付かれずに済むかも知れぬと淡い願いを抱きながら浴場の戸を引いた。

 入って縦に二列の洗場、その奥が浴槽であったが、洗場は混み合い、全体にぼんやりと湯に煙っていた。私は左手の洗場の一番手前、家族連れの隣に陣取り、桶に湯を注いでから祈る気持ちで顔を上げると、どうやら自列にSの姿はなかった。それから私は小さくなって身体を洗い、そのまま上がれば良いものを、昼から憧れていた湯にどうしても浸かりたい一心、遂に腰を上げて伏目に、素早く移動した。端に静かに浸かって居ればSには気付かれぬだろうと考えたのである。私は足を入れ腰が浸かり肩が沈むのを感じると、作戦の成功を確信して胸中秘かに笑った。そうしてあろう事か、『Sが来ているなんてのは、あれは、僕が彼を気にし過ぎるが故の、幻影じゃないか知ら』と、少々気が大きくなり始めた。正にその瞬間、隣で浸かっていた現場風が二人、連れ立って立ち上がると、その飛沫の中から、

 ――岡本!

 という凡そ若者らしいSの声が飛んで来た。私は一瞬予定していた絶望に触れて不味い顔をしたが、直に改めて新鮮な驚きのみを顔面に表出させた。

 ――Sじゃあないか。君も水浴びに来ていたの。

 ――驚いたな。うん、いや、風呂には昨日も来たんだけど、こう寒くちゃなあ。それはそうと、何日も下宿を空けて悪いね。

 ――ううん。僕の方は毎日帰ってるから、何という事もないよ。大分忙しいの。

 ――まあね。しかし驚いた。飛沫の中から現れるんだもの。

 そう言ってSは快活に笑った。その後も暫く彼と話をする羽目になったのだが、平時と違って彼は一向に『議論』を仕向けては来なかった。終始上機嫌に、近頃は物が高くて困とか、○○の最中を食べたいだとか、他愛もない話を続けた。私は初め兎角彼を刺激せぬ様にとびくびく淡い相槌をのみ打ったが、果彼の方から『そろそろ行こうか』と言われる迄議論の議の字も出なかったから、私は少し呆気に取られてしまった。

 我々は二人風も穏やかな冬空の下へ出た。辺りはもう十分に暗かった。Sは私に『紹介したい人がいるから少し待って欲しい』と言ったが、此は無論例の二人の女性であろうと思われた。私は反射的に頷いたものの余り気が進まなかった。Sは学生服のポケットから煙草を取り出し、私にも一本勧めた。私が曖昧に首を振ると気にも留めぬ様子で今度は小さなマッチ箱から火を得た。私はSが煙草を喫むのを初めて見た。

 一本目を吸い終わると、Sは直さま二本目の煙草に火を付けようとしたが、其処へ姉妹は初めて姿を明らかにした。

 ――ああ、来た来た。

 Sは極親しげに手招きをして二人を呼び寄せて私に紹介した。

 ――高嶋茉莉さんと惠莉さん。良く似ている様な似て居ない様な…まあ兎角、双子なんだ。

 眼前の双子は各々、互いに全く違う遣り方で私にお辞儀した。向かって右が茉莉で、恐らくは彼女が姉であろうと思われた。確り私の目を見据えた面は、一口に言って美しかった。黒々として細い眉は理知を湛え、白い肌を一層白く見せる。洗い髪は長く夜に瞬いて、しかし女というよりは人間としての健康さを余す処無く伝えていた。然うして、何よりも瞳、彼女の瞳こそは、此時から今に至る迄、決して私を離す事がない。黒目がちで、勝気な彼の瞳。彼女の持つあらゆる美徳、其の総てが眠っていて、丁度揺らめきながら総身を日光に曝す様に、各々の魅力が代わる代わる映る様に思われた。此れ以上に私の愛した瞳は、後にも先にも決して無い。それは余人にも同じ事であったろう。それ故池水の如き瞳の上には、いつも蓮の睫が控えていて、妬みや嫉み、種々の悪から彼女を守ろうと、惜しくもその目見を隠してしまう事があった。

 茉莉の斜め後ろに半身を隠すようにして立っている少女、彼女が惠莉であった。茉莉とは対照的にそれかあらぬかという程の曖昧なお辞儀をした彼女は、面影を残しながらしかし茉莉には余り似て居なかった。身の丈は同じ程であったが何処となく背が曲って見えたし、面立ちも愛らしいながら茉莉のような冴え入る美しさは持っていなかった。そうしてそれらの事を知ってか知らずか、彼女は常に、茉莉に比べれば自信なさ気に見えた。Sは茉莉よりも惠莉の方を寧ろ惠莉ちゃん惠莉ちゃんと事有る毎に呼んだが、心中は茉莉の方を好いているのに違いなかった。彼の時Sの隣に居たのは茉莉、雁行していたのは惠莉であろう事は直に知れた。

 我々は風呂屋の前の路地を表通りに向かって歩き出した。Sと茉莉とは既に何らかの材を見付けて活発に話し始めたが、惠莉の方はこの輪に加わる気色なく私と最後尾を争う格好になった。彼女が気付いていたか、今となっては知れないが、私はこの時、惠莉の方には一寸の注意も払わず、唯々数歩先にSと議論をする茉莉の横顔に見とれていた。彼女の唇は私などには信じられぬ程磅々と言葉を紡ぎ、投掛けた。Sの方でもそれに間髪入れず応えると、彼女の薄く開いた花唇は一層紅に暮れ勝気な瞳は一際生意気になる。利発や勝気は時に女の悪徳ともなろうが、彼女は文字通りその美で自身に纏わる全てを美徳へと転じていた。そうして彼女は、決して言葉を弄している風には見えなかった。議論を通して、何らかの真理に肉薄しようとする少女の姿は、何よりも殊勝という美を備えていた。私が色々と勝手な考えを巡らす間、惠莉は一言も私に口を利かなかった。ややあって表通りの菓子屋の隣に出た時、Sが意外な事を言った。

 ――そうだ。二人共これから、家へ寄って見ない。先刻の番台位の部屋だけど、お茶位出して、話さないか。折角岡本も居るし。ねえ岡本も良いだろう。二人に本なんか、見せてあげよう。

 惠莉は曖昧に、困った様な笑みを私と岡本とに呉れたが、茉莉の方が乗り気であったから大勢は決した。Sが念を押す様に良いだろう、良いだろうと言うから私の方もいきおい頷かざるを得なかった。

 二人の貧しい下宿は、客を迎えるには殆ど絶望的であった。元より貧乏学生であったから、見栄えのするような家財道具も無ければ、Sも私もまめに掃除をしないから埃臭い。私は本当に彼女らを招き入れてしまう事を逡巡したがSは躊躇する事なく極自然に二人を案内した。私はといえば唯おろおろするばかりでSに促されて茶を涌かしに立つのがやっとであった。私が薬缶に水を注ごうと云う時、Sは既に自身の蔵書を茉莉と親しげに見始めて居た。

 ――こっちが翻訳小説。こっちは仏教書。うん、それは刑法の本だよ…

 私はこの時確然と、面白くないと思った。これは恐らく、恋愛的な妬みであったと思う。何故なら私の頭には、背後に在って目には見えぬSの、茉莉を前にした驚く程卑猥な顔、それはもう殆ど淫獣とも言うべき様相が描かれたからである。私は自身の産出した妄想と、苛立つ気持とに挟まれて、それまで小さく腰掛けていた惠莉が立ち上がったのに全く気が付かなかった。それ故彼女はすっと、背後から音もなく現れた。

 ――驚いたな。ああ、座って居て良いよ。

 ――御免なさい、でも四つも一度に運べないでしょう。

 ――分けて運ぶから大丈夫。

 ――そう。でも、座って居てもつまらないから。

 月に向う窓からの明りに照らされて、惠莉の結わない黒髪は蒼く光って居た。火に掛る薬缶を見つめながら淡々と話す彼女は、先刻風呂屋の前で挨拶をした少女とは別人の様に見える。

 ――貴方の方が妹。

 ――そう。齢は変わらないけれど、茉莉ちゃんが姉で私が妹。

 ――二人とも大学生なの。

 ――うん。姉は東大で私は女子大。茉莉ちゃん、優秀なのよ。

 ――へえ、お姉さん、文系かい。僕は見た事ないけれど。

 ――あら、じゃあ貴方も東大生。姉は文学部だけど。じゃあ、貴方も、議論なんて事、なさるんでしょう。

 彼女は少し悪戯らしく笑った。

 ――ううん。僕はしない。弁が立たないんだ。全く。それに、勉強不足かな、何が正しくて何が不正なのか、分らないんだ。

 ――じゃあ、私も、一緒。

 彼女は大層嬉しそうに笑って、初めて確と私の目を見た。目見も月明かりに蒼く震えて、私は姉に少し遅れる事ながら、今度は釈然と惠莉だけの美しさを発見した。薬缶から淡白い湯気が出るのを、彼女の手が戯れに捕える。熱い、と此方へ笑い掛けるのを見ながら、私は初めて他人から親愛の情を受ける様に感じた。

 惠莉と茶を携えて戻ると二人は既に各々の本を黙読して居たが、やあ待ったぜ、とSが私から茶碗を受け取るなり茉莉も本を置いた。薄い座布団の上に軽く脚を崩した彼女の座姿は、朽ちかけた貧家さえも新しくする様に思われた。細く長く伸びた両脚は点きの悪い蛍光灯の下雪の様に白く瞬いて、彼女自身眩しげに睫を下ろして居る。先刻迄惠莉を美しいと感じて居た私は、今は既に茉莉の抑え様もない美の前に立ち尽くして居た。自身の心が斯くも浮気なものであったかと、私は其の時たじろいだが、或は此の姉妹の美等は、私等の欲望や欲求、美を美たらしめるあらゆる内部存在との結び付きを必要としない類のものなのかも知れない。私は彼女らに、言わば、「圧倒的な美」、見る者なしに美しい存在を期待し夢見た。唯ぼんやりと何処かに然んなものが在っても良いと思って居た。然れば其れを美しいと思う心は、極自然な筈であって、小さく弱いには違いないが、何も私がSの幻影に見た様な淫猥な姿はして居ないだろう。然う考える事は私の心を楽にした。

 ――岡本さんも東大だったの。

 ――うん。

 ――医学部ですってね。東大医学部の研究費に、米軍の寄付が有るのを御存知。確か生物科学に沢山。

 ――さあ。聞いた事はあるけれど、其れを社会悪だとか、汚らわしいと思う程知識が無いんだ。政治や社会が余り分らない。

 茉莉は一瞬、戸惑った様な顔をしたが、Sが其の隣から、こいつは常時然うなんだ、議論しようったって無駄だぜ、と口を挟んだ。茉莉は尚ひるまず、

 ――でも、分らないって仰るけれど、医学こそは最も離れて居る様で、最も其の影響を受けながら発展し、政治の下で展開されるものでしょう。貴方が医学を志したのも、其れを通して社会に貢献しようと思ったのではなくて。

 ――…違うな。僕は実の処何故自分が医者を志したのか分らないけれど、兎も角其れは違う気がする。社会や政治なんてもの、僕には本当に良く分からないし、自分からは物凄く遠くに在る様な気がするんだ。

 ――其れは絶対に違うわ。例えば貴方が何か物を考える時、貴方は絶対に社会構造の下で其れを考えて居る。

 ――其れは正しいんだろうね。絶対に。うん、確と正しいんだ。

 然う言ったきり私は目を伏せた。私の語った事は全て、或面では私の実感であり又或面では逃げ道であった。此の頃緻密に考えたり語ったりする事を最も強く恐れて居た私が、茉莉と話しながら感じて居た事は、唯彼女の美しさのみであった。私は其れを口に出して礼賛しよう等と企てない。然んな事をすれば彼女の鋭利な美は立処に退いてしまうだろう。事実私の愚鈍な言葉に接して、彼女の刃は研ぎ澄まされる事なく、Sと議論をする折程の美は刀身に映らなかった。斯う考えながら私は、私の最も愛する処の彼女の美、其れを眼前に表現せしめる為には、Sが不可欠である事を知った。

 ――姉さんもSさんも、賢いのね。私なんか、議論は、とても、駄目。

 惠莉が碗の茶の面を眺めながらうっとりと口を開いた。先刻迄熱く言葉を迸らせて居た茉莉の唇も、私の方を意地悪気に見つめて居たSの瞳も、静を得て、我々は一室の空気の色が変るのを目撃した。

 ――それは私は惠莉みたいに、風流の様な事は分りません。

 ――僕も其方はさっぱりだなあ。岡本の専売特許じゃあないのかい。

 ――あら、私二人に然んな心算で言ったのじゃないわ。唯、賢い、って誉めただけよ。

 ――どうだかなあ。だけど本当に、風流なんて曖昧なもの、分らない。惠莉ちゃんみたいに生花なんて、想像も付かない。

 もう嫌、と言って惠莉は腕で半ば顔を覆う様にした。赧くなった其の面を見て我々は皆笑わずには居られなかったけれども、次の一言、其の一言と彼が連れて来た私にとって初めての感情を、私は今迄に思い出さない事はなかったし、恐らく此の儘生涯忘れる事はないだろう。

 ――だけど、Sさんなんて、才能有るかも知れなくてよ。貴方が学生服の背裏にして居る継、彼れなんか凄く風流じゃない。

 斯う云うと茉莉は声高く笑った。惠莉は小さく驚嘆の声を上げた後見せて見せてとせがんだがSはうろたえながら何か言い訳の様な事を口にするばかりで、一向に取り合わなかった。

 継。彼の紫の継。一度見れば忘られぬ様な、彼のSに似合わぬ継を、矢張茉莉も忘れる事はなかったのだろう。其れにしても…、其れにしても、茉莉が知って居て、惠莉が知らぬと云う事は、と私は考えずには居られなかった。加えて、Sには中々頑固な処が有り、彼は外出時、他人の前では滅多に学生服を崩さなかった。茲迄考えると、私の頭には再びSの彼の淫らな様相が浮上して消えなかった。彼は学生服に隠した継で茉莉を誘い、彼女の閉じた瞳を無理矢理に開かせて其の魅力を捕えようとする。其ればかりか、彼女の美しさを総て恣にする為重ねた身体の上からありとあらゆる議論を投付けるに違いなかった。二つの欲望に殊勝に応えようとする池水鏡面の如き瞳を貪りながら。斯う考える事は私に、恋情に纏わる嫉妬を教えるだけでなく、私を更に卑屈にした。茉莉を前にして、私は言語的に去勢されて居るも同然であった。Sと茉莉との恋仲を妄りに描き、其の仲を羨望し苛立つ中で、私は其れを苛立つ資格、詰り茉莉を愛する資格をも勝手に失ってしまった。夜が更けて二人はSが送って行った。其れから私が此の姉妹と多くの交流を持たなかったのは自明であろう。再び私は下宿に引き籠って本を読み始めた。私の初恋の前に立ちはだかったものは他でもなく彼の頃皆が夢中になったもの、言葉と正義であった。」

 幼い頃祖父母から語られる彼らの若かりし日々、其れらは多分に聞き手を楽しませるであろうが恐らく充分とは言えまい現在見えて居る姿から懸離れた秘密を覗く事其れが此の種の語りを魅力的にするのだろうが老師の様な優秀な書き手に拠れば物語は彼の日の光彩も匂いも失わずに輝く思うに此の書簡等は一つの読み物として種々の小説等に遜色ないであろうが読者である葉山青年は自身の老年に至りし「先生」から語られて驚きも喜びも尋常ではなかったろう然るに彼は純粋な一読者と化してしまう事なく斯く厳しい目をも向けて居る「先生は何から逃げて居るのだろう。縦しんば彼女らが生身の人間を超え、美の象徴たるべく美しかったとしても、美が聖なるものの俗化である以上、形は種々あるにしろ其れを見出す老師の中には内部的欲求が無ければならない筈である。仏像に美しさを認めた民衆や権力者達が、現世利益や救いを求める心を、其の内に持って居た様に。然るに老師が此の様な事を理解せぬ筈はないし恐らく一度は気付いて居たであろう。だのに何故姉妹は『圧倒的に美しく』、老師は『弱く小さい』が醜い欲望を有して居てはならなかったのだろうか。分らない。分らないが其の実、己は自分にも然う云う処が有るのを知って居る。但し其れも矢張老師程とは言い兼ねるだろう」葉山青年の言う事は中々に真理を突いて居ると言わざるを得ない確かに老師は文中葉山青年或は自身に嘘を吐いて居る様に思われる然うして又彼は老師が何故彼んなにも議論を恐れたのか分らないとも書いて居る老師程の人が自分と同じ齢に知識が足りなかったと云うのも俄に信じ難いが其れにしても年若い青年が活発に自身の意見を他者に打つけるのは避けられぬ事ではないかと考えたのである日記に見るに彼は老師の「感受性」が老師を議論や正義に臆病にしたのではないかと考察して居るが結論するには至って居ない風である葉山青年とても他者と変らず老師の筆を待つより外に其の実を知る術を持たなかったろう扠老師が訥々と自身の過去に就て語り始めた事は葉山青年の心を満足させた事は間違いない然るに其れが彼の実生活や執筆に良い影響を与えたかと問われれば首を傾げる外あるまい彼は夏の間中行動の範囲を限定して余人と交わる事は皆無であったし若い執筆家には往々にしてある事だが新しい考えや感情に触れ筆が惑い多くを投げ打って没頭せんとして居た小説は擱筆が荏苒となってしまって居る然うして彼は其の解毒の為には老師に続きを促すしかないと知りながらも中々催促の手紙を出せずに悶々と日々を過ごした彼の様な手紙を受けて如何な返事を出したものか一寸私にも分り兼ねる況してや葉山青年の事であるから月並みな感想等死んでも書き度くはなかったろう悩むのも無理はない然んな彼の心中を知ってか知らずか岡本老師からの書簡は返事を待たずに届く日記に拠れば後期始業を間近に見る九月も終りの事であった此の頃の葉山青年の手記を開けば現実的な不安が不安に似合わぬ程饒舌に語られて居る然うして其の不安を解消する救いを、書の中文学の中に見出そうとして居るが其の目に老師の言葉は如何映ったであろうか

 「下宿の近くには小さな公園があった。稀に小学生位かと思われる子供が二三人遊んで居る姿を見掛けたが、普段は宛で忘れ去られた様な公園であった。元は白亜であったものが、時と共に薄汚れてしまった滑り台と、錆びた鎖が風にも喧しい揺椅子とが桜の木々に囲まれて円い聖地を為す其の公園に、下宿の狭さに息の詰まった私は、時たま出掛けて行く事があった。

 私が思いがけず茉莉と再会したのは、公園の桜には未だ早い三月の中旬の事であった。きっかけを作ったのはまたしてもSで、誰もが本格的な春の到来を確信した小春日和と、彼の血相変えた表情との不和を、私は今でも無意識の内に回想する事がある。にも関らず、彼んなにもぼんやりとした日を、私は、他に終ぞ知らない。

 其の日私は昼寝をして居た。前日は深夜から翻訳小説を読み始め、つい熱中してしまい気が付くと外はすっかり白んで居た。朝は何とも清々しい装いで、冬の日の朝に見るような刺々しさは青い真新しい陽光に取って替わられて居た。両の目と頭とに重苦しい眠気を抱えて居た私は、思い切って外套を着けずに下宿を出て見た。陽の暖かみに適度な風が織られて、此れ以上無い朝の散歩であった。寂しい通りの軒と云う軒は皆新しい季節に洗われようと鼻を伸ばして居た。一通り歩き回って下宿に戻ると、ひどい眠気に襲われた。前日の無理を思って観念し、私は近頃は敷き放しになって居る布団へ入ると、寸時も待たず春眠に身を預けた。其れからSが私を起こす迄、果して何時間眠ったか知れない。長い夢を見た様にも思うが、其れも矢張判然しない。

 ――岡本!

 意識の片隅に落ちた怒号は、私を起こすには充分ではなかった。土足の足音が段々と大きくなるのを聞いた気がするのだが、此れは或は後になって捏造された記憶かも知れない。

 ――岡本!

 再び怒号が今度は耳元へ飛んで来ると、眼前にはSの血走った眼が、中央に私を映して居た。暫く帰っても来なかったSが不意に私の顔を覗き込んで居る事、其の眼がひどく血走って居る事、二つの驚きは私を当惑させ却って覚醒を遅らせたが、其の所為か硝子瓶の様に空虚な心に、同じ硝子の玉が落ちる音を、私は言葉よりも却って印象的に聞いた。

 ――茉莉が、茉莉が自殺したぞ。焼身だ。

 Sは其れだけ言うと踵を返して玄関口へ走り、勢いよくドアを開けた。青々とした春の晴空が、呆けた様に空っぽの全身へ注がれる様な思いがした。私は兎角跳ね起き、Sが吸われて行った戸外へと其の後を追った。我々は駈けて表通りへ出ると、Sが機敏に捕まえたタクシーに乗り込んだ。Sが告げた行き先を、私は確かに聞いたのだが、どうしても思い出す事が出来ない。車中では二人口を利かぬ儘、言った方も聞いた方も、同じ言葉の灯火を、幻の様に追ったのに違いない。

 ――茉莉が、茉莉が自殺したぞ。焼身だ。

 車がどの位走ったか定かではないが、随分と長い旅程を行った様に私は思う。目的地には警察車両と救急車、其れに黒山の人だかりが加わって大変な擾乱であった。我々は已む無くかなり手前の方で車を降り、再び走った。私の意識は不思議と静かであったが、種々のスピーカーから放たれる怒声や蝉時雨の様な群集の騒めきは、矢張事態が唯事ではない事を示して居た。

 ――此れは何だろう。

 私は心中、ぼんやりと然んな事を思った。

 人も車も騒いでは居るが、何か決定的なものを欠いた様に立ち尽くして居た。叫び声は次から次に生まれ、次から次に地に継いだ。私は泣く事は愚か、悲しみさえ碌に覚え切らなかった。人混みを掻いて無理矢理に群衆の中心へと向かうSに付いて、私も茫然と歩いた。漸く中心点へ到達して見ると、其処には何も無かった。人間一人分の空間が主を失ってぽかんと空を見上げて居るのみであった。しかしながら最前列に達したと思われた私達の足下に、祈る様にして座り込む惠莉の後姿を見た時、私の目から初めて涙が零れた。彼女はSの再三の呼び掛けにも応えぬ儘じっと座り込んで居たが、やがてがくりと頭を右肩の方へ垂れた。姉よりも少し長い黒髪には春の陽光が滑って、此の時終に彼女の面を見なかった私には、此れが唯一の彼女の涙であった。

 此れは後に落ち着いてから聞かされた話だが、我々が到着した時には既に茉莉は運ばれてしまった後だった。救急車は周囲の混乱から怪我人や失調者を予期して手配されたもので、惠莉は彼の後地面に倒れ込み、彼らによって運ばれた。茉莉の葬儀は実家の在る京都で行われる事となった為、惠莉は体調の優れないのを強いて短くはない旅程を帰省せねばならなかった。東京に住む彼女の伯父が送って行く運びであったが、葬儀参列の為Sも付いて行くそうであった。彼は私にも同行するよう誘った。

 ――君も来いよ。切符の事なら、己が都合しても良いぜ。

 ――僕は止しておく。

 ――どうして。

 ――分らないけど、場違いな気がするんだ。君は同じ会に属して居るから、縁らしい縁も有るだろうけど…僕には其れが見当たらない気がする。

 ――縁か。だけど茉莉は来て欲しがって居ると思うぜ。

 ――…そんな事、分らないよ。

 Sの意外な言葉に心が動いたものの、私は胸中では絶対に行かないと意を結んで居た。冬の夜の思い出と、茉莉の美しさ、アスファルトの上に崩れた惠莉の後姿。其れがどんなにか狡い考えか知れなかったが、私は其れら全てを幻影だと思い度かった。春眠に見た夢だと。茉莉と、惠莉。私は二人の美しい姉妹を、言わば忘れようとしたのである。然うして其の為には惠莉から離れる事が必須であった。せめて駅まで見送りに来いと云うSの説得を、私は頑なに退けた。

 然うして二人から逃れようとした私は、しかし、逃げ方を間違えた。今思えば、茉莉を送ってやらなかった事も、ひどく見当違いな逃亡方法であったかも知れなかった。私はなるべく下宿に一人で居て、何も考えまいとした。窓際に凭れて煙草を吹かしたり、Sの蔵書には珍しい冒険小説を手に取り読み散らして徒に日々を過ごしたが、煙草も読書も、目的が彼女らを忘れる事にある以上、行き場を失った頼りない思想は、結局は姉妹を求めて彷徨った。

 ――忘れる?一体、何の為に?夫々、自然、自発でない忘却等有り得るだろうか…

 然う考えて、私は今度は二人を積極的に心に描いた。私と姉妹との僅かな思い出は、どんなに小さな回想をするにも其の全てを繋がなければ間がもたず、ぷつりと切れてしまいそうであった。其故私は必ず、彼の場面、小春日和の眠りの中に、嘘の様にSが現れ、嘘の様に茉莉が死んだと云われる彼の日を、空白のアスファルトが天を仰いで、其の前に跪く処女の姿を、思い出さずには居られなかった。其処へ来て漸く、自身が彼女らを忘れねばならぬ理由に再び逢着する、其の繰り返しであった。逃げれば逃げる程大きくなる二人の幻影は私に迫り続け、然うして遂に、現実を引き連れて私に追いついた。」

 思いがけぬ茉莉との再会換言すれば茉莉の死との対面を語るに至った老師の心中は此れ迄と何ら変り無かったであろうか容易には直視出来なかった現実を、数十年と云う時を経て平気で回顧叶う様になったと断言するのは一寸憚られる。何事にも種々の連関を見出すのは硯筆を以て業と為す者の美徳であり悪癖あるが茲で葉山青年の手記を開くのは何も私の迷妄に拠る事ではない恐らく誰が此の事に就て筆を振るおうともいきおい然うしたであろう「今朝は中川から意外な電話があった。私は半ば寝惚けながら電話を受けたがすっかり醒めてしまわずには居られなかった。先生が志庵を退職したと云うのである。私は早朝に電話を掛ける非道を注意しようと云う処に、出し抜けに然う告げられてひどく戸惑った。何度も質して見たが中川は志庵にも問い合わせたし本当だと云う。理由を問うが判然せず何か健康の問題ではなかろうかと云う話であったが、此の時私は確かに不安に駆られた。修飾無く話せば、不安とは老師の身を気遣う心配の心ではない。先生が志庵を辞める事で、私達の関係が途切れ、即ち物語が其の途上で歩を止める事を危ぶんだのである。全く生徒として非道は非道であるが、中川から一報を受けた其の時、私は確かに其の事だけを心配して居た」日付からして葉山青年が此の報を受けたのは前の書簡を読んで間もなくであったろう老師の体よりも物語の進行を気に掛る辺或意味では彼らしいと言わねばならないけれども葉山が老師の退職を以て彼らの関係の危機と見做して居る事は二人が師弟の関係であった事を思い出させる全体老師の方では如何考えて居ただろうか細々と形にならぬ物を書いては居たけれども彼は此の頃老師の語る過去其の物語に収監されて居たと云っても過言ではないだろう彼をして現実から隔たらしめ余人との交わりを絶たしめて居るのは他ならぬ老師の言葉であった筈である此れは我々凡俗の人間からすれば一寸理解し難い事ではなかろうか彼は言わば他人の話を聞く為に孤立し学業を投げ打ってしまって居る幾ら魅力的な話であったにしろ一寸誰にでも出来そうな事ではない随分昔の記事となってしまうけれども一つ引いて置き度い一節が有る故御目に掛ける事にする「私は此れ迄に、随分と沢山『危機』に出くわして来た様に思うが、振り返れば其の全てに悉く冷淡、或は楽観的であった。病や交通事故を得て入院しても一度等は脳に支障を来した折もあるが、殆ど偶然としか言い様の無い力を借りて一生を保ち、其の後中川等が心配して騒ぎ立てるのを見ると、『己は中々に劇的な体験をしたな』等と心中愉快であった。然うして日々を過ごしながら、不意と、自身が生きて居る此の世界、街を行く人々や、犬、店々、今日や明日は、紛れもない現実であるのだと思うと、急に白けた詰らない気分になり、又、自身に襲来した過去、其の中でも思い出として残って居る劇的なものさえ、紛れもなく現実であると思うと、ぞっと背筋が寒くなる。彼れは一体、如何した事だろう。」

 書写するに附思うに何とも我々には要を得ない文章である恐らく葉山青年は生来其の直観に於て現実を現実と捉えられず劇的であればある程心を喜ばせた其処には宛で危険を怖れる気持は見られない然るに時折彼は現実が矢張現実である事を思い出す然んな折彼は決って背を寒くするとあるが全体変った性分ではなかろうか私等薄交な人物は一寸彼の外に斯う云う御仁を知らない読者に於てはお気付きの方も少なくないと思われるが饒舌になり始めた老師、其の過去の物語と葉山青年とは既に無関係ではないだろう茉莉と云う一人の人間の死を受け老師が如何するのか葉山は身を乗り出す様にして現実を離れ耳を澄ますが其の態度は一寸盲目過ぎる風にも思われる彼は中川氏に「己は老師に比べて人生経験が乏しい、彼の人の様な体験をしなければ彼の様な文章は書けぬのではないか」と訴えたと云う中川氏の方では此れを奇異に思って種々丁寧に諌めたが葉山青年は一向聞かぬ風であった蓋し斯うした向きを老師の方でも知らぬ訳ではなかったろう才有る語り手は何を思ったであろうか中川氏の報を受けた葉山青年の不安を他所に続編は須臾を隔てるのみ変らす彼の侘しい下宿に届いた

 「其の日も私は一睡も嘗めずに、夜の続きを白々と起きて居た。時刻は九時位であったろうか。近頃は滅多に鳴らない呼び鈴が耳を響いて、私は微睡みながら玄関へ立ち戸を放った。春の日は長く古ぼけた活字を追い続けた私の目に鮮烈であったけれども、赤く影の様に現れた立姿は一層私を吃驚させた。茉莉である。目見は朧に霞むものの、下宿の仄白い光に照らされて居た長髪が、今度は春日の中に温々と裾を広げて居る。死んだ筈の茉莉を、私は疑わなかった。疑うには余りに疲れて居たかも分らぬ。

 ――御久し振りね。眠って居た。

 私は正に其の刹那迄、彼女を室内に招こうとして居た。茉莉が蘇ったのなら、其れ以上の好都合は無いと思って居た。死霊となら心底触れ合う事が出来る。如何しても告げられなかった、愛と呼ぼうにも恋と呼ぼうにも余りに淡過ぎた想いを、過言を恐れずに話す事が出来る、然う云う狡い考えを心中に並べて居た故、耳に憶えのある、姉よりも幾分温和な声を聞いた時、私はどきりとして耳まで赧くなるのを禁じ得なかった。

 何も言えぬ儘、先刻とは打って変わって、私は一刻も早く此の場を去り度い気分に駆られた。言い訳には美しすぎる薄紅色の一片が脳裏を泳ぐのを、其れでも私の心は見逃さなかった。

 ――桜を…

 ――え。

 ――桜を、見に行かない。近くの公園で見頃だと思うんだ。

 俯いた儘やっと言い果せると、彼女の方でも暫く黙って、小さな返事を聞くか聞かぬか、私は既に桜の公園へ向け歩き出して居た。薄い傾斜の坂を上りながら、私は少しずつ現心を回復し、惠莉の面を見るようになって行った。二人は略真横に並んで、未だ疎な桜並木を、散り始めの花弁に吹かれながら黙って歩いた。惠莉は血色こそ取り戻して居たものの、矢張目に見えてひどく痩せて居た。其れは以前の余りに柔和な印象を失わせ、代りに姉の理知を少しく宿し始めた様であった。細い髪に掛る浮舟を、宛で其れこそが彼女であるかの様に、私は飽かず眺めながら、時季の所為か妙な動悸を感じて居た。

 ――わあ…

 静寂を破る声は恐らく意図を置き去りにして居た。見馴れた筈の公園は、花盛りを惜しむ事無く此方へ向け、刹那の美に賛辞と嫉妬を一心に吹かれた。満開の桜が守る聖園には虚の様に人影は見えなくて、其の秘密さに一層艶めきながら馴れぬ二人を招いた。二人は孰方からともなく二脚並んだ内の或ベンチに腰掛けた。

 ――僕は暫くになるけど…彼からSには会ってる。

 ――ええ。入院して居た間は、良いって断るんですけど、殆ど毎日、通ってらして…。京都の病院でしたから、母も驚いて。

 ――まめな男だからね。君の事、好きなんじゃないかな。

 ――止して下さい、出し抜けに。岡本さん迄然んな意地悪仰っちゃ嫌だわ。

 ――意地悪なんて事じゃないよ。其れに、他にも言う奴があるのかい。だったら、本当だろう。

 ――いいえ。Sさん他に、好きな方が居ると思う。でも母が、私をからかって言うんです。

 ――そうかなあ。案外有りそうな話じゃないかい。

 ――いいえちっとも。

 ――其れにしたって今日は、如何して此方へ来たの。もう大学に戻って居るの。

 彼女は押し黙って、私は他愛もない会話が終るのを感じた。ふと覗いて見ると、黒い瞳は春を映して桃色に膨らんだ儘、目下には一入紅い唇が震えて居る。抜ける程白い肌に二つの紅が差され、溢れる様子を、私は囚われた様に見入って居た。虚ろな耳に語られ始めた言葉は、全体何を隔て過ぎたのか、遠い夢の様に感じられた。

 ――姉が、茉莉ちゃんが、遺書を遺した事、御存知。

 「遺書」と云う響きは、茉莉や茉莉の死には全く不似合いな代物に思われて、私の耳を驚かせずには居なかった。此方を見ずに真直ぐ、丁度一番幹の太い桜を見据えながら話す惠莉の面を、私は半ば覗き込む様にして先を促した。

 ――知らない。Sも、然んな事噫にも出さなかったな。

 ――彼から少し慌しくて…随分落ち着いてから、姉が出入りして居た研究所から出て来たんです。

 ――知らなかったな…中には何て。

 ――姉らしい…色々難しい事。勿論全部運動に関する事で、『自分が此れから死ぬのは、自分や貴方方の意志の為だ。此の儘下らぬ諍いに流され、有耶無耶の中に我々の行動が徒になってしまってはいけない。愚者一人の命を報うと思って、大同団結せよ』って。最初の方はちっとも何を書いて居るか分らなかったけれど、結びは然うあって…だから彼んな死に方をしたのだわ…。

 其処迄言い終ると彼女は殆ど泣き出しそうな顔をした。手を掛けるなり手布を出すなり、私には幾らも惠莉に優しくする手立があったが、姉の死を前に、其の理由に触れる期に及んで涙しようとする惠莉の凡庸、彼女を然うと知って逝く事を選んだ茉莉の身勝手に腹立たしくなって、私は却って剣もほろろに詰問を続けた。

 ――遺書はそれきり。

 ――いいえ。極事務的な事を書いたのが一枚と、私宛にもう一枚。私には、貴女が羨ましかった、嫌だとは思うけど、出来の悪い姉の最後の頼みだと思って、一年間は路上に出て、デモに加わって欲しいって。其れから…

 ――其れから。

 ――岡本さんに宜しくって。最後に、それきりです。ですから私、茲へ来なきゃいけない様な気がして…

 私は此の件に就て、後々迄自分を苛む事になるのだが、此の時になって初めて、私は釈然と茉莉の死を認識した。『岡本さんに宜しく』と、私のみに向け遺書の末尾に付された一行、其の言葉を以て彼女の死を認識し、同時に悼み始めた自分を、私は心底軽蔑し汚らわしいと思わずには居られなかった。自身に潜んで居た茉莉に対する淡い想いと彼女からの言葉が結び付き此の念が生れたとするならば尚更である。然し茉莉を見つめ始めた意識は、私の自嘲を半ば置き去りにして、或後悔を自身に呼び覚ました。

 ――何故見なかった。彼女の意思、嫌悪、諦念、正義を焼き尽くす炎を、何故見なかったのだろう。

 昨日から風は幾分温んで居た。其の事は私から冷静を取り戻す機会を奪ったかも知れぬ。抑えられぬ動悸に白亜の遊具、豊饒の桜を食わされて、私はひどく息苦しかった。満杯の積荷に今一つ荷物を加え、堪らず一つが落下する様に、私は果々一つ、好奇の種を吐き出した。

 ――惠莉ちゃんは、見た。

 ――え。

 ――否、惠莉ちゃんは、茉莉ちゃんの最後を、見た。

 私が愚劣にも少女の記憶に吐き掛けた種は、刹那に芽を出しともすれば花をも咲かせた。惠莉の雙瞳は一瞬曇ったかと思われ、次いで此れ迄見た事もない程大きく見開かれた。繊細だが長い睫は、夥しい涙を何とか眼中に留めては居たけれども、其れとて月影の様な瞼に無残に敗れ去ってしまうに違いない。蓮の台に俄に湧き出た池水は、暫く、と言ってもほんの一刹那、一分の違いなく桜の薄紅を映して黙った。ところが眼前に小さな風が一片の花弁を散らしたのを合図に、よろめき、波紋は紅く、一入紅く、燃えた。

 ――此れだ。

 私は不思議な事に、其の時惠莉の瞳に現れた紅、其処に茉莉を焼いた炎舞を見る心地がした。然うして合せて吹いた風に、園内の桜が総て燃え上がると云う幻影さえ抱いたのである。惠莉が漸くしようとした瞬きを、私は小さな悲鳴と共に、宛で落ちんとする硝子細工を受け止める様に、右腕で自分の胸へ強ちに押し付けた。恐らくは驚きと共に惠莉は一瞬黙ったが、直に今度は童の様な大声で泣き出した。

 彼時私が抱き止めたものは、今でもぼんやりと釈然しないが、断じて純粋に惠莉ではなかった。或は彼の一場面を、或は残された少女を、或は自身の幻想を私は抱いたが、彼の刹那、彼女の瞬きと共に私が恐れた終幕は、他ならぬ荼毘の中で生き始めた茉莉ではなかった。其の証に私が抱いたものは虚無であった。春の日の様に、匂いやかで、絶望的な虚無。

 其れから惠莉は、幾度となく私に抱かれた。」

 年度を新たに二回生へ進んでからも葉山青年は一向大学へ姿を見せない一部には自殺したのだとか郷里へ帰ったのだとか喧しく噂する同級生も在ったけれども無論其れは妄言であって彼は矢張京都の下宿に居た執い様だが茲で再た日記帳を開くと最早雑多としか言わん方無い記事が然し孰れも確かな筆致で綴られて居るどれも特筆すべき内容ではないが多くは小説の構想や読書感想、次いで怠学への不安と云った内訳で前者は彼特有の夢を見る様な麗筆、後者は割合無味乾燥な文で以て書かれて居る然るに一点だけ面白いのは、不意と微睡から目覚めた様に吐露される現実生活への焦燥、此れは初め正しく排泄の如くだらだらと記されるが、筆を執る内興が乗って来るのか段々と長舌を振るう様になり終には自身の文章に酔う様に文芸を語り始め元の通り美の微睡に落ちる斯く云う特質は葉山青年にとりて今始まった訳でもないだろうが私等は思わずも微笑まずには居られない凡そ天才とは斯様な生物であろうか扠私塾を退職した老師の口からは先ず茉莉の死の理由が語られたが淡白な文体が却って切ない風に思われる飽和状態を迎えようとする彼の時代の学生運動は屡思想的運動が然うである様に其の成熟に起因して遅々として進まぬようになったが凡俗の人間と一線を画する理知と正義とを備えた才女は自身の最大の拡声器たる死を手段として行使し同志に理想社会への団結を求めた其処に死を望む他の理由が全う無かったと言い切れる訳はないけれども茉莉の死は一時代の叫びだと言えるであろう然うして突然の悲劇と才女とを繋ぐ一縷を運んで来たのは残された妹であったけれども彼女が姉の死を遺言の如き「羨ましい」と云う言葉をどれ程迄理解し得たか今となっては釈然分るまい然しながら岡本青年が彼女の眼中に見た炎、此れは決して虚ろな物ではなかったろう姉を焼く劫火を其の目に焼き付けた気持は察するに余りある事実体調を崩して入院した惠莉をSは何度となく訪うが退院と共に彼女が真先に面会を求めたのは姉の葬儀にも参列する事のなかった老師其の人である茉莉の遺書に彼の名が在った事も理由の一つと考えられるけれども矢張其れが全てではないだろう蓋し彼女の方では数少ない対面の内に老師を想う気持が生れて居たのではなかろうか証に結びの一文は中々センセーショナルである斯く深い内容に迄立入った書簡は老師の過去に尋常ならざる興味を抱き続ける葉山青年を至上に喜ばせたであろう彼は自身の目によって見出した物語を筆を尽くして抉じ開け繙かれて後も必死に才人の筆を進ましめた其の成果は今や彼の前に大きく展け最早結びを待つばかりであるが眼前の絵巻が他の何れよりも彼の目に適い真に迫る事は疑い様がない青年は一年に亘り其の背表紙が装丁が粗筋が如何程世になく機智と博識に富んだ輝きを放つかをまざまざと見せられて来た然るに彼は物語の美を極確かに享受する一方、此の絵巻の持つ今一つの意味に未だ全う盲目であった文学青年を喜ばせて止まぬ麗筆は結びの一幕迄続く筈である私の語った今一つの意味を夢幻の中に終い迄隠して置く事は老師の才を以てすれば容易い事であったろう

 「後に惠莉の語った通り、高嶋茉莉の名は今や我々の運動の英雄、イコンとして多くの志士達の演説に登場した。死人に口無く、当の本人が如何思うのか分らなかったが、彼女の死が論士によって邪に改変せしめられ語られるのは、私には堪え難い事であった。然し私は四月からの一年、積極的に路上に出ようと決めて居た。姉から妹への遺言を、共に果そうと思ったのである。惠莉は今や革命勇士の妹であったが、私はなるべく其の身分を隠した方が良いと助言した。一同士として路上へ出る方が茉莉の意向に適うだろうし、各派が競って彼女を囲おうとすれば危険だと考えたのである。然う告げると惠莉の方でも納得し、我々は飽く迄一志士としてデモ行進に加わる様になった。

 私は変わらず運動に冷淡であったが、新宿等で根無し草の様に暮す若者達が、私の思いも寄らぬ世界を文学の言葉と共に語るのには驚いた。彼らは読書の傍ら路上にも出る事で、理知と詩とを不思議な力で融合して居た。其れが自身にとって好ましい変化かどうか知れなかったものの、私は路上に出るのが段々と楽しみになって行った。惠莉はと云えば毎回口を結んで、丁度葬儀にでも参列する様にデモを熟して居た。其処に苦も楽もなく、唯姉を思いながら歩を進めて居たのだろうが、私の方は不思議な事に、路上に出て居る間は茉莉の事を一向思い出さなかった。様々と云うには互いに似通い、同じと呼ぶにも憚られる人間達が口にする「正しさ」は、長く自室に籠ってばかり居た私を飽きさせなかった。

 ――如何して運動をするようになったの。

 ――詩かな。

 ――詩。

 ――うん。理想の社会って、君の中では如何な風。

 ――理想…分らない。

 ――僕は、詩だと思うんだ。所謂労働、生活する金を得る為に働く時間なんかは、少しで良くって、皆が其々、詩を想う時間がある世界。お金も、少しで良い。皆が少しずつ持って居れば、其れは其れで豊かなんだから。

 斯く問答は私と同世代の若者との間に繰り返されたが、彼らの多くは、デモや議論、種々の、所謂「運動」が正しいのかに就て、能く答えなかった。私には此の「運動」は、ともすれば却って迂遠な様に思われた。社会変革と云う命題を見据えた時、内容の良し悪しは別として、路上に出たり演説を打ったり、或はスローガンを叫ぶ、斯うした行為は若年以外の層に訴える力が曖昧で、変革の達成には余り効率的とは思われない。「行動」と云う言葉に突き動かされ、目的も見なかった学生も多々居た事だろう。

 前期した様に、失われた少女の影が私に手を伸ばすのは、斯く路上に於てではなかった。

 私は其の頃、自身の下宿を引き払っては居なかったものの、繁く惠莉の下宿へ通った。惠莉の方でも其れを喜んだのか、舶来の茶等出したりして懇ろに持成して呉れた。私達は小さなテーブルを囲んで、互いに短い言葉を吐きながら話すともなく話した。其れはSと茉莉とが見れば思わず噴き出してしまいそうな、如何にも私達らしい会話である。

 然う云う風にして幾時間を過ごしたか、初夏と呼ぶよりは晩春の、月が紫紺に疼く夜、我々は初めて閨を共にした。二間ある内の一間は、白い襖を破って現れたが、其処には先刻迄私達が居た部屋よりも深い闇が澱んで居た。ワンピースを着た惠莉の真白い足が、其の澱みを掻いて進むのを私は襖を閉じながら、幻想譚でも聞く様に眺めて居た。

 ――然んな風に、ぼうっと立ってばかり居らしちゃ、困る。

 寝台に手を掛けた惠莉に言われて、私は周章して彼女の許へ赴いた。如何して良いか分らずに何となく手を取ると、彼女は頭を垂れて私の胸へ付け、熱い露の様な息を吐きかけて来た。目見は閉じられて居ない。面を覗き込んで見ると暗い中にも分る赧さでそうっと一度頷いた。二人は連れ立って雲へ倒れ込んだ。惠莉は今度は其の瞳を閉じて、西洋の珍しい蜥蜴がする風に、全う白い塊となって寝布に隠れてしまう様に思われた。慌てて右の腕に身体を抱き上げると、何処からか差す光に照らされて、右眼の下に円い隈の様になった。私は明光が作り出す不思議に愉快な翳に不意を突かれ、堪らず笑い出した。

 ――何。何。斯んな時に、出し抜けに笑うなんて、行儀が良くない。

 ――御免、御免。好きで笑うんじゃ、ないんだよ。

 言い差して私は、其の光の何とも説明し難い事に気が付いた。何しろ身動ぎをした彼女の面に光はもうない。気紛れな胡蝶は今や寝台をも離れ壁面に今度は極地味な羽を休めて居た。私は一寸考えて元惠莉の寝た位置へ移り、苦心して目下に隈を作ると、彼女は鼻から段々に破顔した。

 ――分った。

 ――ええ、ええ。斯んな風になって居たなんて、嫌。

 惠莉は然う言って再た顔を赧らめたが、消し忘れた事ないのにと呟いて次の間の灯を消しに立った。若い二人は何とはなしに此の夜を予感して、互に平素の心を忘れて居たかも知れない。隣の灯が消えて終うと、暗いと思って居た部屋は一層暗く、殆ど玄く見える程であった。

 寝台に掛けて、大きく一つ息を吐いた惠莉の肩を掌に、私は初めての接吻をした。熱く湿る息は私に、女の唇の彼んなにも柔らかい事を教えたが、同じく自身の唇の案外に柔和な事に、私は驚かずには居られなかった。Sから聞かされる話を基に、私は閨の行為とはもっと穢らわしいものかと思っていた故、段々と身体を重ねるにつれ彼女と古海の同母に還る様に感じた時には救われる想いがした。

 唯一度だけ、不意と油断した私の心に、茉莉は入って来た。

 我々の行為が果た後、惠莉は直に眠ってしまった。私は何となく眠れず其の傍らに座って居たが、彼女の頭を撫ぜて居る内、

 ――茉莉も斯んな風に眠れたなら良かった。

 と思った。初めの内私は自分が何故斯んな事を思うのか知れなかったが、思い出せば思い出す程に、姉妹の面、其の相違は、恐らく其の目見の相違に由来するのに違いなった。然うして惠莉の、瞳を薄く閉ざした寝顔は、他の何時よりも姉に似て居る筈である。惠莉の方は普段から、他人には先ず見ない程の大きな、少し垂れた目を、今にも閉じそうに朧にして居る時があった故、其の寝顔は余りに似つかわしい。ところが茉莉は何時でも勝気な瞳を確と見開いて、殊議論をする時等は面全部が迫る様な瞳で人を見る故、彼女も又然るべき時には眠るのだと思うと、少し可笑しくなって、私は小さな声で笑った。蓋をされた様な自身の笑い声を聞いて居る内、私は段々泣き出しそうになる。其処に感情的な理由が有ったのかどうか、今は定かではないが、思い出が微笑ましければ微笑ましい程、其れは仕様の無い事である。然うした切なさが溢れたのかも知れない。自身の涙に戸惑う様にして、私は狼狽えた。泣面は行場を求めて、私は頬を布団に付けて半身を横たえた。俄に甘えた気持になって、傍らの惠莉に手を伸ばすと、図らずも再た顔を見てしまって、泣いた。思わず力が入ったものか惠莉は起きて私を覗き込み、

 ――どうかなさって。

 と問うたが、目見を明らかにしても霞に苛まれて寝姿は茉莉にしか見えなかった。

 其れから私は彼女が其の目見を伏せる度茉莉を思い出したが、遂には自分が茉莉を抱いて居るかの様な幻想を抱くさえ屡であった。誤読に留意すればする程読み違えてしまう演者の様に、此の妄想は消そうと力めば力む程私の意識に付いて離れず、私はばつの悪い様な気のする反面、疑い無く此の事によって惠莉と逢う事を一層喜んだ。誰が誰を見るのか、歪な逢瀬は、長く続くべくもなかった。」

 新緑の頃に葉山青年は胸中秘かな決意をした風である雑記帳に確と其の跡が残るではないけれども其れ迄唾棄の様に書き散らして来た随筆や短編をぴたりと止め代りに老師の青春を過ごした時代、其の取材を始めて居る蓋し長らく聞いて来た師の昔話に着想を得、何らかの纏った話を書こうとしたのだろう如何な瑣事にも物語を見出し其の場で筋を話して聞かせる事も有ったと云う彼にしては稍腰が重い風にも思われる或は此の小説に対する気迫の表れであろうか中川氏は此の頃の葉山を語って「学業にはすっかり見切りを付けた風に見え、大学を見ると気分が悪いと話した」と云う大学一年の内学業と云えば凡そ一般教養であって難易を比べれば受験勉強より易かろうし全体葉山青年の能力からして出来ぬ事はなかったろう然し彼の性分に鑑みるに易々と出来る事を尚毎日地道に積み上げる事は困難でなかったろうか然うして長く離れた後、自身が見下して来た級友達の目に彼は落伍者であった夫々彼を他者より隔絶し孤独たらしめる所以となった文筆は今は彼の唯一の矜持として青年を同級生らと対等に渡り合わせて居る種々の辻褄が合わなくなり初めつゆ気に掛けぬ様に振舞いながらも総じて気に病んで居た葉山青年は学業に復帰する事には目も呉れず益々文学と云う一縷の琴糸に柵み付いた其の明晰な頭脳を以て其れが自身を一層不安に陥れる事を能く見抜かなかったのは一寸不思議である幾度も恐縮ではあるが再た中川氏の言節を引けば「葉山は自身や日常的、生活的な諸事に就てひどく盲目であった」と云う故此れは或は仕方の無い事だったかも知れない世に天才、神童と謳われる人物には往々にして斯う云う事が有ると聞くが葉山青年も例に洩れず凡庸の人には測り知れぬ性格を有して居た彼是と栓ない事も書いたけれども再び老師の言葉を聞くべき時が来るように思われる。

 「茉莉の遺志を継ぎ路上に出始めて数か月、盛夏を迎える頃には私は何か自然の活力とでも呼ぶべき力に押され、俄に若々しい自信、生活への自信を付け始めた。文学の言葉を借りながら、以前は否定的であった運動や思想への理解を、徐々に深めて行き、其れは私に、積極的に茉莉の意に従って居ると云う、或種の安心感を与えた。然うして今一つ、私は新しい決意をした。惠莉との事である。此の一年が終わったら、彼女と共に、地道に学問をして、穏やかな生活をしよう、私は然う考え、近く惠莉に告げようと思って居た。由縁は知れなかったが、眼前に如何な障壁も無い様に思われた。

 敢て詳細な年代は記さないが、其の夏は暑かった。数年前から愈々過激な向きを増した運動は、其の鎮圧の為に警察が出動すると、思想や言論の自由を侵害されたと憤る学生達は、彼らを保守権力の象徴と見做し、路上に於て一層矯激な動きを見せた。警官隊との小競り合いは幾度かあったものの、本格的な騒動となるのは其の日が初めてであった。

 我々は午前の内に、連れ立って惠莉の下宿を出た。其の日は都内の或大学に時の外務大臣が訪れ講演をする予定が明らかになり、外交条約に就て抗議のデモが行われる事となって居た。道中は麗かで、惠莉の機嫌も頗る良さそうであった。私が初め消極的であった此のデモへの参加を、惠莉は執拗に迫った。大学は五か月前、茉莉が亡くなった其の大学だったのである。行って見ると苦しくなるかも知れない、と躊躇う私を、此れに参加しなければ茉莉の死を乗り越えられない、彼女に報いる事が出来ないと惠莉は気丈に言い張った。再会した四月から漸う気力を取り戻す彼女を見て、私は嬉しかったし、励まされもした。然うして此の日の途上、私が惠莉に我々の将来を言い出そうとして居た事を、語って置くべきだろう。私は或は、全てを急いで居た。無理矢理にでも自身の気持を彼女へと繋いでおく何かが欲しかった。

 大学の正門迄来ると、日差しは一層高くなって、其の中に脇を固める警官の数に我々は圧倒されたが、門前に集まった学生達の数も又、真砂為すようであった。男子学生達の薄いシャツは汗に透けて、太陽と似た様な色をして居るのが何とも暑苦しかったが、其処に幾らか静謐な女の装束、色々の思想、家系が渦巻く様は、宛ら時代の眩暈だった。私は幼少の頃から人生に何度となく感じて来た弱腰な感情を、再び目を細めながら見て居る自分に気が付いた。

 ――嗚呼、怖い。此の世には、人間が居過ぎる。況してや各々に好きな事を考え過ぎるのだ。とても、駄目だ。ついて行けない。誰も異なる両親から生まれ、異なる経験をし、異なる正義を育んで行く…然うして数年の後には、其の正義さえ、異なる血、異なる郷里、異なる妄想を意識する事で、殆ど無形に迄歪められてしまうのだ。止そう。斯んな事、考えるのも、止そう…

 熱射に魘されてか、私は眉の辺りに汗の溜まるのを感じながら、軽い腹痛と共に然んな事を思って居た。隣でスローガンを叫ぶ惠莉も、暑い中制服を着込んだ警官も、我々学生の群れも、何か其の日は、丁度茉莉の死を受けた朝の様に、ぼんやりと夢の様であった。今思えば私は、彼頃の運動の中で最も危険な日に最も集中力を欠いて居たのだった。

 学内で聞いた事のない様な怒声が上がると、門前に控えた外部のデモ隊も呼応し

警官隊は緊張した。歪な学生の群れは弓の様に湾曲し、彼らよりも冷徹且つ堅固な、或は正義と呼ばれるものを背負って居る大人達は城壁となって立ちはだかる。朧々とした夏の中、惠莉は誰よりも美しかった。彼女からは、何物も滾っては居ない。熱い理想への想いも、現状への不満も、暴力への欲求すらも。然うして勿論、其れら全てを行動へと移さしめる若さすらも、はや彼女から溢れては居なかった。一種醜悪な臭いを発しながら、一部の清廉な野心をいとも容易く呑み込んでしまう混合物の中で、彼女こそは純粋に意思の結晶であり、行動の結晶であった。真夏の水柱の様に冴え切った彼女を、馬手の先、其れでも僅かに届かぬ処に見た私は、彼女を保護すると云う思い上がった責務から初めて解放され、視線を真直ぐに据えると、腹の底から叫んだ。言葉は、問題でなかった。誰かの名を叫んだかも知れぬ。唯惠莉の姿に、即ち茉莉の意思に同化し度いと、盲滅法に喚き散らした。気付かぬ内に周りの数人が、私の顔を見ながら掛け声を励ました。隣に居た関西の大柄な学生が、私を半ば無理やりに肩車して、其れ迄他人の背中しか見なかった私は、不意に全景を食わされて眩暈の様な心地がした。和舟の様に落ち着かぬ山車を漸く乗り熟し始めた時、私は或極に迄引き絞られた弓の、思わぬ一矢を見た。

 学生服を着て尋常に制帽を被った学生が、投石すると共に、既に正門前を固めて居た警官隊に突撃したのである。我々も警官らも、大地が一つ唾を飲み込む様に同じ一刹那を黙ったが、彼は三、四人の警官に腕を取られると、警棒で滅茶苦茶に叩きのめされた。

 ――Sだ。

 一寸背中や後ろ頭を見たに過ぎなかったが、理知よりも直観が私に其れを伝えた。私の目に其れはSであり、一学生とは見えない。打擲されたSを見て、私は胸の内に体中の息が全て出てしまうのではないかと思われる程の高揚感、憤怒が沸き起こった。

 ――如何する。

 毛の先迄赧くなる様な頭で、私は飛び降りて人垣を分け、兎も角Sの許警官の許へ行こうと思った。然うして先刻の学生の頭に手を掛けた瞬間、私は味わった事のない縦揺れに見舞われ、股間を潰され頭から地面に落ちた。其の上を止まる事を得ぬ人波が、或者は躓き或者は踏付け渡って行く。学生への殴打に至った警官隊にデモ隊が怒り、数で圧せよと無計無策の突撃が自発的に発生したのだった。私を踏む激痛で、私は警官を、Sを殴打した者達を踏んだ。此れは極度の憤怒が為せる鬼気の業であったが、必死に頭を庇って居る内、何時しか気を失って居た私が耳慣れぬ音で目を覚ますと、微塵も動かぬ自身はびしょ濡れで救急車両に横たわって居た。口は利けなかった。

 全身に熱を感じながら、幾日眠ったものか分らない。何処までも白い六人部屋の病室には若者の黄色い息が澱んで、誰も私の最新の記憶であるデモに就て話して居た。

 ――早大の男だよ、飛び込んだんだ。

 斜向かいの右腕にギプスを着けた男が、眼を大きく見開いて聞かせ、私は再た不意に胸中に矢の様な痛みが伴うのを覚えた。

 ――Sだ。

 早大と聞き、私の疑念は確信へと変わった。廊下を忙しなく通う看護婦を捕まえ、

 ――此の病院にSと云う学生が入院して居ませんか。

 と尋ねて見ると、特に悪い故個室に入り、若い女が一人付き添って居ると云う。

 ――惠莉だな。

 私は特に忘れた訳でなし、心の中に引っ掛かって居た惠莉の安否も共に確認出来、取敢えずは安堵した。背中と胸とにひどい痛みを感じて居たものの、殆ど奇跡的に骨折は左足のみ、詳しい具合は分らなかったが、私等は患者の中でも軽い方だろうと思われた。其れでも矢張肩車から落ちた所為か、頭にはネットを被せられ、首も固定されて居た。周囲も軽い症状の者が多いのか、退屈しのぎに雑誌を渡して呉れたり、久方振りのキャラメルを貰ったり、軽妙な言葉で励まされたりと、兎も角皆随分と親切だった。

 台数が間に合わぬらしく、ラジオが聞けないのは不満であったが、代りに私は一つの楽しみを見つけた。窓際の寝台からは、青々とした堂々たる楠が見えた。私は徒然に任せて、其の葉を、丁度つむじの様に、頂上中央から数えて行くのである。無論途方もない作業であったが、緑を見る事は、良かった。風はもう夏の湿りを忘れかけて、秋の気配はそぞろ木々を撫で付けた。私は此れらの風景に、幸福な、然うして振り返れば至上に狡い想いを揺らして居た。

 ――惠莉は、危険を冒して、路上に出た。此れ迄の事は充分茉莉の気持に報いるだろうし、大小は知れずとも怪我をしてしまった以上、彼女をもう路上に歩ませる事は、幾ら遺言があるとは言え、出来ない。自分も、惠莉と、生活を作ろう。新しく、故人の遺志に報いる方法が、確とある筈だ。然うして其の内に、今の様ではなく、本当に、もっと本当に、彼女を愛せるように、なるだろう―――

 私は相変わらず、惠莉への愛情に強かな自信を持つ事が出来なかった。其処に前提として茉莉の不在がある様な気がして、自身の想いとは別の部分で愛情を自覚する事が出来ず、然んな自分を嫌悪した。然うして今度は茉莉を忘れる為、自己嫌悪を払う為に惠莉を利用しようとして居た。私自身気が付いて居たか如何か、今となって定かではない。今尚残るのは、唯踏み倒された身体の微熱と、見目涼しい盆過ぎの楠だけである。

 二日を過ごして、私は自分の身体から全う熱が引くのを感じ、補助具を使って歩き度いのだが、と平素の看護婦に申し出たのだが、先方はとてもじゃないが台数が足りないと言って取り合って呉れない。部屋の仲間は一人、二人と減って行き、此の日は隣部屋を退院した者から逮捕者が出たと云う話題で持ち切りであった。私はと言えば惠莉やSが気になる一心で同室の歩ける者に何とか歩行具を借りて来て呉れと言って困らせたが、彼らの手を煩わせても歩行器具は手に入らず、相当な数の入院患者が居るのだろうと思われた。

 Sや惠莉を訪ねるのを半ば諦めかけた夕方近く、平素の中年看護婦が、一組の初老夫婦を伴って来た。同室の連中は出払って私が一人居るきりである。初めは当然訝しんだが、私の礼に全く応えず、一点にねめつける其の目見には覚えがあった。私は叱られるのだろうと覚悟し、

 ――岡本と申します。惠莉さんには大変御世話になって居ります。茉莉さんにも、生前は良くお話させて頂き、御世話になりました。惠莉さん、Sの世話をして居ると伺いましたがお怪我はありませんでしたか。

 私が言い果せると同時に、白いブラウスを着けた小柄な婦人は良人の胸に縋る様にして泣き始めた。矢張多少時間が経つとは言え茉莉に言及したのは拙かったなと思い、謝ろうとした私に、高嶋氏はやや肩を張って、私の眼は見ずに、

 ――…少しばかり、お恨み申し上げます。よろしく御養生下さい。

 と告げた。半ば呆気に取られる私の許に、看護婦は漸く、歩行器具を持って来た。私の歩けぬのは、足の為でも、況してや器具の為等でもなかった。院内に生まれた片時の秘密の所為であった。」

 書簡は未だ続いて行くのだが一寸老師の話を中断して葉山青年へと向けると彼は恐らく此れを読む折に小説を取り組んで居た筈である小説とは取りも直さず先頃紹介した老師の過去に就ての本格作である真偽の程は定かではないが葉山は自身の創作、其の秘密を、「第一の着想を得たら迷わぬ事、一息に書いて終う事」と語って居る仮に此の言葉を信じたとして、彼の小説が未だに老師の過去を殆ど正確になぞり得て居る事は唯々驚異である凡庸の人間には畢竟分らぬ筆芸、神童のみぞ知る推察の力であろうか然しながら今一つ私の心に消えぬ疑念は矢張葉山青年が老師が文中に於て語る過去を参照し続けて居る方を推すのである中川氏は「葉山は本当に筆が早かった。資料も沢山集めるには集めるが、宛で見て居ない様にさえ思われた」と話したけれども、私には今作の然うであるとは思われない其れは何も葉山青年を疑うのではなく件の小説の持つ意味を忖ればこそである。数多の往復書簡、日記帳、中川氏への取材を照顧するに附ても此の作品に限りては彼が老師の来し方を正しく辿る事筆に掛けて其れらを消化して行く事に意義があったと思われてならないけれども私は果々諸賢に手許最後の老師の書簡を御見せする事にする

 「左手を歩行器に、右手を看護婦の湿った左手に引かれながら歩いた先に、Sの部屋は重く白く閉ざされて居た。看護婦はドアを三つ叩くと、内からの返事を待たずにドアを引いた。

 患者一人に広過る程の病室には、カーテン越に一杯の夕陽が満たされて居た。

 ――S!

 俯き加減に何らかの本を読んで居た彼に、私は思わず大きな声を掛けたが、彼は面を動かす事もなく其本に見入って居た。歩行器を振って部屋の内へ入り、いきおい大仰な動作になった私に、Sは今やっと気付いたと云う風な顔を作り、次いで微笑して見せた。

 ――怪我はどんな具合。惠莉は今日も来てた。

 と尋ねると、困った様な顔をして耳を指差した。私は頭に巻かれた包帯を見て合点が行き、看護婦に、話がし度いのだが耳の部分だけでも良い、一時でも外せないか、と申し出た。看護婦は私でなくSを見詰め、ええと曖昧に返事をしたきり動かない儘で、苛立ち始めた私にSは手招きをして、小卓の黄色いメモとペンを執ると、

 ――耳がね、聞こえないんだ。どうやら潰されちゃったらしい。

 と書いて照れた様に笑った。不意の事実とSの笑顔に強かに驚いた私は、恐らく目を見開いて何も言えず黙って居た。余程汗をかいて居たものかSは手布を手渡して呉れ、

 ――然んなに驚く事じゃないよ。治るかも知れないそうだ。何だか耳が聞こえなくなってから、ひどく穏やかな気分だしね。惠莉の事はもう聞いた?

 私は首を縦に振った。

 Sはペン先を見つめながら一生懸命言葉を選んで居る風であった。然うして其のペン先は、何時迄も橙に燃えて黙って居る。Sも似た様に口を噤んで居たが軈て何故か微笑しながらペンを走らせた。私は全文が書かれる迄、次々と生まれて行く文字達を見なかった。

 ――惠莉はねえ、亡くなったよ。他に法大の学生が一人、矢張騒ぎに巻き込まれて亡くなったんだけど、何しろ茉莉の件があるものだ故、マスコミじゃ大きく取り上げたんだ。此の病院でも知らないのは君位のものだ。皆が気遣って、内緒にしたのだ故ね。

 驚いたと云う表現は、恐らく適当ではない。心の中に在って、消せずに居た予感、其れにカメラの焦点が合う様に、絶望は釈然した色を以て現れ、私は脂汗と共に五臓が冷えるのを感じたが、其れでも未だ自分が何に絶望して居るのか自覚する事すら出来なかった。

 Sは最早茉莉の時の様に、私を言葉で諭す事をしなかった。彼の初春の様に、肩を揺すられ怒声を掛けられたら、或は私は今少し楽な気分であったかも知れない。窓からは器を溢れる様な夕陽が注いで居て、白いリネンをひたひたと濡らして居る。私は自分では随分確とした気持で此の報を受けた心算であったが、其の夕海を見た刹那腰の力が抜けてしまって其の場に座り込んだ。心悸は強かであった。床は其の色よりもずっと冷たかった。Sの寝台には、少し手が届かなかった。

 齟齬だ。

 然うした齟齬に泣こう、と私は思った。何故か知ら涙は流しておいた方が良いだろう、と思ったのである。

 何やら無理矢理に泣こうとした私にSは初めて、既に尋常ではない筈の語り口を開いた。

 ――何かねえ、斯んな事、宗教臭くっていけないかも知れないけれど、運命と云うもの、僕は感じずには居られないよ。惠莉が死んだと聞かされた時、君、僕は如何したと思う?笑ったんだ。漸う可笑しみが込み上げて来て、大声上げて笑ったよ。同じ場所で、ああもう何と云ったかな、茉莉だとか惠莉だとか、兎も角彼んなにも美しい姉妹が死ぬだなんて、余りに巨きいじゃないか。僕が彼女らを好きだとか、愛して居るとか、然んな事は毛頭、何でもない。万博の塔を見た時、君は笑わなかった?僕はねえ、可笑しくて堪らなかったよ。全体、如何して、大きすぎやしないかい。確とあんまり巨きいものを前にして人は、人の子は、笑わずに居られないのじゃないかな。僕の耳の事だって、君世界中に幾つ耳があるか考えて御覧。暗闇に、真砂為す人口の、其の再た二倍の耳々。白く浮かび上がって、其れを見た時、其の幾つかが息吐くのだと思うと、却って僕は安心した。茉莉や惠莉の事だって、ほら、考えて見れば、良かったんだ。全体君は僕が孰らを好きだったと思う?実を云えば、良く分からないんだ。茉莉も惠莉も、判然愛して居た憶えはないんだ。茉莉を想う間、若しかすると惠莉の代りに彼女を愛すのではと疑って見る。然うして惠莉を想う折も同じ。然んな風だ故、姉が亡くなった時、僕は心中秘かに安心したんだ。然うして惠莉が死んだ事で、自分の邪な気持ちも、抱くべくもないと云うか、兎も角二人は観念に還って呉れた。恐らくは永遠に。確と良かったんだ。うん、良かった。此れから僕は、確と、存分に姉妹を愛すよ。――

 Sは何かに憑かれた様に、勿論私の言葉等待たず一息に謳う様に話した。言葉は幾分震えたが、聞き取れぬ様な乱れはなかった。然しながら其の異様な迫力に、私は涙どころではなくなって少し醒めた。然うして今度は怖れにも似た感情で病室を辞そうとすると、夕闇迫る白亜の箱に、怒号が一つ、

 ――岡本!

 と響いた。顧みればSは、丁度水鳥の様に少し面を上げ、確かに泣いて居た。

 ――惠莉を見送って呉れ。今度こそお前の番だ。

 私は驚いた様に心が震え、玉緒の切れた様な涙を流した。其れから、Sには会って居ない。

 洛中には高い空から真更な土地へ容赦のない日差しが注いで居た。Sの病室を辞して直に、私は東京の下宿を引き払って殆ど着の身着の儘京都を目指した。惠莉の両親の手前葬儀に参列する事は叶わなかったが洛北に在る名寺の姉妹の墓を訪う事が出来た。山の麓に佇む其の寺は二人に似合う美麗な建物で、秋の庭が殊に美しい。盆の果ててから訪れた私の他に弔客は無く私は住職らしき人物に連れられ、沢山の時間を墓前に過ごした。鈍色の墓石もまた暑そうであった。私は桐桶に水を汲み酌で振る様に水を掛けてやった。すると刹那に石は日を跳ね返して涼しげに水色である。

 ――違うな。

 私は然う思って居た。惠莉も己も、水を被ったとて、

斯う涼しくはなれぬ。其れは、他ならぬ、熱がある故だ。私は然んな風に、詮ない事を、思って居た。

 ――斯んな事が、『見送る』事に、なるだろうか。

 然うも、考えた。Sの狂人じみた怒声は、今も強かに響いて居る。

 墓地には蝉時雨が、焦れる様な沈黙を作って居る。私は眩暈の如き憂鬱を暑さと時間の中に感じて、将に立ち上がろうとした。

 ――もし。

 婦人は洋羅から同じく白い首を覗かせて、白日の下に心細げに立って居た。其の足音に私は全く気が付かなかった。

 ――岡本さんですね。惠莉が御世話になった。私は全身から熱が引き、だのに汗が総身から迸るのを感じた。恐らくはひどく曖昧な表情の儘、項垂れるでなく、面を上げるでもなく、確然と浮かび上がった高嶋夫人の鎖骨に目を泳がせて居た。

 ――どうも態々…東京からだと、お暑いでしょう。でも茉莉も惠莉も喜びます。京都へは、何時。

 ――昨日です。

 ――然うでしたの。偶然ですわね…私今日は、何となく気が向いて、斯うして…あなたにお会い度い事、あったんです。此、御存知。

 然うして、夫人の取出した一冊のノオトを連れて、私は近所の喫茶店へ入った。高島夫人は、私が思っていたよりずっと發溂として居た。其は二人の子を続けて失った者としては殆ど奇跡のような態度であった。

 ――斯んな夫人と話すの、お嫌じゃなくて。

 ――いえ…そんな。然んな事はありません。

 私は彼女の手元に俯いたノオトが気に掛って碌な返事をしなかった。高嶋夫人の虚ろに輝く瞳は決して私を見なかったが、彼女が夏の日差しの中、私の瞳の中に他の何を探したのか、私には今も分らない。

 ――此れねえ、ノオトなんですの。

 ――ええ…。茉莉さんの物ですか。

 ――いいえ、惠莉の。

 私はひどく裏切られた様な心持がした。単色刷りの無味乾燥なノオトは、惠莉よりもずっと実直であった姉に似つかわしいと想ったのである。

 ――茉莉が買い置いて居た物を、彼の子が亡くなってから、惠莉が使った様で…。

 ――然うでしたか。

 ――中を…見たんですの。惠莉が亡くなってから、私毎日彼の姉妹の影を探して…浅はかですわよね。ノオト迄。…中身は、貴方の事ばかりですわ、最後には、手紙の様な。

 ――然うですか。知りませんでした。

 ――此れ、差し上げます。持って居てやって下さい。

 然う云って夫人が馬手にノオトを差し出した時、私は正直ぎくりとした。贖罪を心に決めながら私は、尚も惠莉の言葉、即ち心を見るのが怖かった。

 友人宅へ向かう乗合の中で一度は開こうとしたノオトを、私は鞄の奥にしまった。彼の下宿で荷物を解きノオトを取り出した私の見た物は、血の如き紅い、桜の一房である。想えば何時かの春、惠莉が戯れに私の鞄へ放った物であった。

 私は彼女の手記を開き、此の地で生活へ還って行く事を決意した。

 (惠莉の手記)

 岡本さん

 雑記に加えて斯んな事を書くの、一体何故でしょうか、私にも分りません。或は、幸せ過ぎる故でしょうか。

 今は路上に出て、毎日貴方と過ごせる事が、とても嬉しい日々です。春に貴方を迎えに行ってから、もう時季も少し流れたでしょう。彼の時の桜、本当に綺麗でした。貴方が見せて呉れたもの、忘れません。

 私は春が来ると、やっぱり茉莉ちゃんを思い出すと思います。若草萌え始め、水が温む頃、桜が咲き始めれば一層、きっと聡明であった姉を思い出します。貴方も同じでしょうか。

 お気付きであったかも知れませんが、私は姉に寄りかかって生きて来ました。私達は生まれた日こそ一緒でも、何処までも私が妹で、彼女が姉であったと思います。茉莉ちゃんが持って居る物を、私はもう持つ必要がないと感じて居ました故、私は姉の様に深くものを考えたり、世間を批判的に見た事はありません。生まれた時には相似であった顔だちを変えたのは然う云う事情かも知れないと、生前姉はよく話して居ました。然んな私ですから、彼女が亡くなった時分には、一体次の一瞬から何をして良いやら、途方に暮れてしまいました。凄惨な死へのショックは勿論大きかったのですが、寧ろ戸惑いや絶望の方が大きかった様に思います。私は殆ど咄嗟に姉の死を認めないように心を運びましたが、其処へ来てSさんの求婚は眩暈の様でした。彼は私を口説くのに言葉を尽くしてしまいました。在りし日姉にそうした様に。数多の言葉に女の心は動くのではありません。況してや姉の死を納得させようとする彼の言葉は私の心を閉ざしてしまいました。

 然うして私には、貴方しかありませんでした。

 彼時弔いの列に加わらなかった貴方に、私は自分の心を見る様でした。貴方が彼時から、姉を、忘れるというよりも寧ろ探し始めた事、私にはよく分る気がしました。

 随分と女の手で書き散らしてしまいましたが、今、或古歌に心寄せて居ます。

 海人娘潜き取るといふ忘れ貝

   世にもわすれじ妹が姿は

 忘れ貝を、御存知でしょう。離れた双枚貝の一片を、拾えば、想い人を忘れると云います。けれど、若し忘れ度いと貝を求すのならば、忘れる筈もないでしょう。拾ってしまって、如何するでしょう。

 私は貴方の忘れ貝になれたでしょうか。

 閨の内に、貴方が私を映して姉を見る事、知って居ます。私も貴方に抱かれながら、貴方の瞳に映る姉を、想って見ます。貴方に愛されて、茉莉ちゃんを思い出して、幸福と果報、限りありません。

 けれども心に、苦い様な、痛い様な気持もあるのです。姉を羨んだり、ともすれば妬んだり、畢竟、恋心でしょうか。

 だとしたら嬉しい。

 私の初めての恋は、貴方に教えてもらった。茉莉ちゃんに、育ててもらった。

 此の上に如何なる幸せも、立つでしょうか。

 手を引いて呉れた姉よりも先に、私の方が幸福に辿り着いたのは皮肉です。けれど、茉莉ちゃんの分まで、貴方に逢えて、良かった。

 貴方が生きて此の手記を読んで下さいます様に。

 然うして、読んだらば、如何か、何時までもお元気で。

 久しく故郷の地を踏まずに居た中川氏の目に嘗ての親友は如何映ったろう本人の述懐に拠れば此の時「葉山は猿のように痩せ唇だけは赤々と、首を異常に長く、御伽噺の龍の赤子の様だった」と在る恐らく葉山青年は自身も気付かぬ内に常人離れした生活から斯く変貌したのであろうけれども目の当たりにした中川氏の驚きは察するに余りある扠彼らは生地である北九州に集うたが其の理由を知るに葉山青年の手記を引けば、「夕刻は五時を少し過ぎた頃であった。老師が亡くなった。中川が京都を下って京都へ迎えに来る。今夜の最終で小倉へ戻る。」

 と残る簡素で事務的な筆致は却って緊張を密に伝えて居るけれども、兎も角老師は手記を信ずれば惠莉の亡くなったのと同じ葉月の、小倉にも残暑厳しい廿三日に亡くなった。

 老師のはかなくなりし骸は翌日になって荼毘に付されたが葬儀を此方で済ませた後は遺骨を京都の某寺へ納めて呉れと云う老師の生家が山陰である事は幾人も知る人があったけれども思えば血縁者は伯父だという老人が一人来たきりであって彼も又田舎では老師の遺骨を引き取れないと云う中川氏等は此の話に首を傾げるばかりで合点が行くのは葉山一人きりであった其の葉山にだけ老師より遺書が残されたが此れは或は彼から教え子への最後の教授であったかも知れない年を跨いだ長い文通の真姿が其処に現れて居る

 「葉山、今君の書く小説を読めない事は至極に残念である。然しながら又私が完成を待つ事が不可能な作品である事もよく分かって居る心算だ。『生きる』という事、君は考えなければならなかった。其れは晩年に聞く山の音ではない。静かでも乱れるも恐ろしい大海だろう。君は小説を書く事で波を全う見極めようとしたけれども、そもそも海人に波が見えるだろうか。君の文才は君にとりて妖術の船ではなかったかい。私は君が羨ましかった。そんな風に、生きるともなく生きられたなら、良かった。そうすれば、何故か、姉妹を失わずに済んだ気がする。そうして凡才の私が、時の力を借りて漸く乗った船をも、君は他ならぬ君の才で融かしてしまった。小さな仕返しをしよう。

 惠莉も、茉莉も、そうして私も、生きて、死んだ。

 その波の中に、他ならぬ君も今から、裸で泳ぎ出す。

 君の小説に表題をあげよう。代りに、遺言だから、私が路上に出た半年の間、筆を執らずに生きて御覧

 

  才人の詩

 

 

 

 果して老師は終の言葉を残し荼毘に付された弔いの列は静かに清らで彼の天才のみ弾かれた様な面を必死に歩ませて居たと云う此の後葉山青年が如何様に世にあったか敢て詳らかにはしないけれども、其の九天の作一度御目に掛けたいとお望みの諸賢には洛北の某寺、或老人の孤独を癒す供物あり、繙けば表題は「才人の詩」とかや

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