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ボクが聴いてきた音楽

 ボクは音楽を聴くことが大好きだ。今日はボクが聴いてきた音楽を振り返りたいと思う。

 初めてレコードを買ったのは中学一年生の時。1977年だった。この時は宮崎にいた。友達に薦められて中村雅俊のベスト盤を買った。当時彼は『俺たちの旅』の主役など俳優として人気絶頂で、ドラマで流れていた楽曲『ふれあい』『あゝ青春』『盆帰り』や他のドラマでの挿入歌などが収められていた。当時はフォークソングやニューミュージックが流行っていて、彼の曲もその延長線上にあった。

 中学二年生で千葉に転校。家から学校まで歩いて1時間以上かかった。それでもアットホームな雰囲気でクラスみんなの仲がよく、ボクもすぐ馴染むことができた。その時好きになったミュージシャンはアリス。フジテレビの『夜のヒットスタジオ』で『冬の稲妻』を歌っている姿が格好良くて衝撃を受けた。チンペイさん、ベーやん、キンちゃん、メンバーはファンからニックネームで呼ばれていた。フォークソングでがあるがアップテンポの曲も多く、『冬の稲妻』『涙の誓い』『チャンピオン』とヒット曲が続く。

 ある日、クラスのリーダー的な友達から『バンドを作らないか』と誘われた。彼はドラムセットを持っているという。ボクはすぐにギターを買いに行った。他のメンバーを集めようとした矢先、ボクは転校することになった。バンドの練習はできずじまい。とても悲しかった。この中学には8か月しか在籍することができなかった。

 中学二年の12月、転校先は福岡だった。ボクはここで洋楽に目覚める。

 友達に薦められABBAを聴いた。曲はたぶん『チキチータ』だったと思う。初めて聴いたのに親しみやすいメロディーと、男女4人による透き通るように奇麗なハーモニーに魅せられた。(当たり前だが)英語の歌はどれも新鮮だった。『ダンシングクィーン』など歌詞を見ながら自分で和訳したりした。『あなたは踊る女王。若くてかわいいまだ17歳』みたいに。

 学校ではABBAファン4人でよく語り合った。男子二人と女子二人。その頃は『ABBA グレイティストヒットvol.2』が日本でもベストセラーになっていた。曲がいいね、アグネッタとフリーダの声がきれいだね、誰と誰が恋人だね、などとても楽しい時間だった。

 そしてABBAの来日が決まり、福岡でもコンサートが開催されることがわかった。友達が朝4時から並んでチケットを取ってくれ、コンサートに行けることに。会場は福岡九電記念体育館だ。席は二階の右側、前から三列目が四列目。4人並んでドキドキしながら始まるのを待った。幕が上がり、スポットライトの中にABBAがいた。ボクはすっかり舞い上がってしまい、最初の曲が何だったのか覚えていない。しかし『ダンシングクィーン』では熱狂した。他の3人はボクよりファン歴が長かっただけに、感動を噛み締めていたように思う。このコンサートが友達同士で行った初めてのコンサートだった。またABBAが来日することがあったら必ずコンサートに行こうと思っていたが、数年後ABBAは解散。これが唯一の機会となってしまった。

 この頃からボクは小遣いで毎月1枚LPを買うようになっていく。当時LPは1枚2,800円、小遣いは月5,000円だった。もらった初日に半分はなくなっていたことになる。音楽が生活の一部になった。

 高校・大学時代はさらに洋楽にのめり込んでいく。まるまる1980年代だ。ポリス、U2、ローリングストーンズ、ジャネットジャクソン、ホール&オーツ、ケイトブッシュ、デュラン・デュランなどをよく聴いていた。

 隔週で発行される『FM fan』を定期購読し、掲載されているFMの番組表で流れる曲を確認する。アルバイトして買ったコンポでエアチェックして、カセットテープにダビングした。こうして自分の特製テープを作るのが楽しかった。この頃はラジオ中心の生活を送っていた。日曜日に何も予定のない日は12時間くらい続けて音楽を聴いていた。間違いなく青春の1ページだ。

 社会人になると仕事に追われ、だんだん音楽を聴く機会がなくなっていった。それでも社会人になって10年間はよく聴いていたと思う。この頃にはレコードからCDの時代に完全に移行していた。

 社会人1年目の1989年は京都にいた。学生から社会人への変化になかなかついていけず、とても辛かったけど音楽に救われた。KANの『愛は勝つ』や槇原敬之の『どんなときも』などの曲に励まされ、何とか会社を辞めずに仕事を続けることができた。落ち着いてからはザ.イエローモンキーなどもよく聴いた。日本語の歌詞が心にしみた。

 そして社会人17年目で人生史上初めてバンドを結成することに。首のヘルニアで運動できないボクを不憫に思い友達が誘ってくれた。14歳で叶わなかった夢が41歳で叶ったのだ。27年越しの夢。友達には感謝している。

 ボクはボーカルを担当している。転勤する先々でバンドを結成した。最初が兵庫で『メタボリックパワー』、次は京都で『C-VOICE』、福岡では3つ掛持ちし『GOOD COMPANY』『MIS☆TY』『フレンズ』、そして今東京で『BBシグマ』を経て『まちぼおけ』。

 音楽を聴くことが好きだったボクが今ではプレイヤーだ。ライブイベントにも50回以上出演してきた。もはやライフワークだ。ボクは音楽と共に生きてきたといっても過言でないと思う。音楽はボクにとってなくてはならないもの。これからもボクは音楽ファンとして、プレイヤーとして生きていく。


 

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