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【エッセイ】どんな人でも「ファン」を名乗れる

「ファン」とは定義が曖昧な言葉である。

近年は「推し」という言葉の台頭により、使いどころも難しくなっているかもしれない「ファン」という言葉だが、体感としては死語にはなっていない気がする。実際私も「ナカノさんが書く記事のファンです」という旨の声を頂くことがある。

勝手な解釈かもしれないが、「推し」より「ファン」の方が、広い対象物に使えて、自称しやすいという利点があると思う。ちなみに、「推し」は「自称するハードル」が高いというより、「推しという言葉を気軽に使える人間になるハードル」が高いという印象を抱いてしまう。

「○○のファン」の○○に入るのは、大体有名人だ。今から提示するのは私の勝手な解釈で申し訳ないが、「有名人の一人歩きしたエピソードやキャラ付け等で盛り上がっているのは、ファンとは言いがたい」と思っている。

実例を出そう。「お笑いコンビ・しずるのKAZMAは、どこの誰が聞いているのかわからない、ファミリーマートの店内放送で自身の結婚を発表した」というそれはもう誰もが認める面白いエピソードがある。お笑いが好きな人ならもれなく知っているKAZMAさんのエピソードだが、しずるのファンを自称する人が、しずるの好きな所を語る際に、真っ先にこのエピソードを出してきたら興ざめしてしまうかもしれない。YouTubeの公式チャンネルの方ででも良いから新作のコントの方を見なさいよと思ってしまうだろう。

最近観た「銀平町シネマブルース」という映画は、主演が小出恵介さんだった。小出さんは数年前の不祥事で、表舞台から姿を消していた。インスタグラムに、この映画を観たと投稿する際に、「#小出恵介を待っている」というハッシュタグを見つけた。不祥事を起こしても、再び活躍する日を待っているファンはいるということだ。「罪を憎んで人を憎まず」とはこのことかと思ったが、ファンとしては小出さんを憎むという選択肢は、最初から無いのだろう。

どんな人にもファンはいるだろうから、勝手な基準で芸能人を小馬鹿にしてはいけないと思った。色々書いてきたが、「ファン」も「推し」も、本来は名乗れるまでのハードルは存在しないはずなので、気軽に自称していきたい。

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