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夢を買う?楽しみを買う?それとも・・・

ご無沙汰しております。

年の瀬もせまり、世間もあわただしくなってきました。寒さも厳しくなりせわしなさに拍車をかけているようでもあります。


さて、年末というと抽選会や宝くじなど盛況になり、街のあちこちで行列ができています。

今回、そういう宝くじの類について思うところを書いてみたいと思います。ここに書くのはあくまで個人的な見解であり、宝くじをはじめとするギャンブルの類を否定するものではありません。


ここ数日、街を歩いていて宝くじ売り場に長蛇の列ができていたのを後目に帰宅を急いでいました。

私は、過去に宝くじを買ったことはあるのですが、確か300円が返ってくる程度の額しか買ったことがありません。「買わなきゃ」と思ったことが一度もありません。

「買わないと当たらない」とも言われますが、そもそも私は当てようとは思わない性分のようです。

自分はひねくれているのかもしれませんが、そもそも行列に並ぶのが嫌いですし、宝くじを買うためのお金がもったいないと思ってしまいます。

パチンコなどは、内心「お金をどぶに捨てている」と思っています。

しかし、宝くじはその収益は医療や福祉に活用されています。そのことから私は宝くじに並んでいる人たちに対して、慈善活動に積極な人という目で見ています。

しっかりと寄付活動をされていて良心的な人たちだなあと感心しています。

いや、中にはしっかりと当選されてお金をゲットされている人もいることでしょう。

また、「買わないと当たらない」の言葉にもあるように、買うことによる当たるかもしれないという楽しみを得ることができるという考えもあります。

夢を買うというのは、少々無理があるように思いますが、楽しみを買うという表現はむしろぴったりなような気がします。



私は、そういうお金の使いかたはあまりしたくないと考えます。

楽しみはもっと別の形で得たいです。

水泡に帰す楽しみよりも、しっかりと記憶と感情に刻み込まれる楽しみの対価としてのお金を使いたいと思います。


また、将来のことにも目を向ける必要があります。

「増税めがね」なんて言葉もありますが、私たちの今後のことを考えるとお金の使いかたには注意を払いたいと考えます。

最近では、イデコやニーサなど、いかにお金を貯めるかという視点でさまざまな商品?制度?ができていますが、私にとっては少々懐疑的です。

そいうのは、私がそういうものに疎く、あまり多くを知らないためという得たいがしれないものという、むしろ逃げの視点でそういうものととらえていると言ってもいいかもしれません。


今若い人も、いくら定職についていて、不自由のない暮らしができているとしても、高齢になって職を失うとたちまち生活に困ることになります。

若いときのようにすぐに職にありつけなくなります。

いくら高年収であっても、経営者であっても重要な役職についていても、専門的なスキルと経験があっても、特別なプロジェクトにかかわった経験があったとしてもです。

若い人にはかないません。

その時になってはじめて、「あの時、ああしておけばよかった」と悔やんでも後の祭りです。

一時の快楽、楽しみ、夢をえることもいいでしょう。

しかし、ほどほどが肝心ですね。

現実性で見たとき近い将来ははっきりくっきりと思い描くことができますが、遠い将来となると何もかもがぼんやりとして、あいまいなまま現実性がとぼしくなります。

近い将来の楽しみもほどほどに、遠い将来のリスクマネジメントも同等に考えたいものです。


お金をいかに貯めるかよりも、いかに使わないかよりも、どうお金を使うか、そしていかに残すかという視点で考えるべきなのではないでしょうか。

せっかく自分が苦労して汗水流して働いて稼いだお金を大事に使いたいなと、宝くじ売り場の行列を横目に見ながらふと考えたことでした。


今回は以上になります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

また次回もよろしくお願いいたします。

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