コミュニケーションというキャッチボールがもたらすもの

就労支援の仕事を始めて一週間が過ぎた。ここにきていよいよ、コミュニケーション、対話というものの重要性を感じ始めている。

というのは、業務で記録をつけるわけだがそれは支援者が利用者にどういう支援(言動)を行ったかという記録である。具体的には利用者さんのある言動に対して支援者がどういう対応を取り、それに利用者さんがどういうリアクションをとったかというものである。これは業務内だけでなく、休憩中や日常の何気ないやりとりなどから感じ取れることを記録するものである。

ここで、自分はキャリアコンサルタント養成講座で行ったロールプレイの逐語記録を思い出した。どういうことかというと、逐語記録はロープレにおけるクライアントとカウンセラーの一語一句を記録するものである。それによって、クライアントの何気ない言葉にカウンセラーがどういう言葉を投げかけたかが詳細にわかり、後に検討材料にもなる。それによってカウンセラーの発言によって、ロープレの流れが180度変わることもある。そういう意味では、カウンセラーの何気ない一言には非常に重みがあり、その一言によってカウンセリング、ひいてはクライアントの悩みそのものや人生をも左右しかねないくらいに非常に重要なものである。

現在の自分はカウンセリングは行ってはいないが、仕事を通じての日常での利用者さんとのよりとりの中で、自分が発する言葉や行動というものが実はかなり重みがあり責任を負っている。そして利用者さんの人生が自分の一言にかかっているという認識をもつことが大事であると痛感した。

利用者さんの言動を自分がいかに認知・解釈し、それによって自分が起こす行動というものに責任をもたなければならない。その自分の一言によって話の流れがガラリと変わることもあるという認識を常に忘れないようにしなければならない。それは利用者にも言える。利用者さんが自分の発した言葉をどのように受け取り、解釈するかはこちらはわからない。誤解を与えてしまうこともある。そういう曖昧な表現はさけなければならない。

しかし、このようなことは結局は、仕事だけに限ったことではなく仕事以外での日常様々な場面で通用する注意点である。家族や友人、地域社会における多くの人とのコミュニケーションで会話によるキャッチボールを私たちは行っている。お互いのそのたった一言でその会話の流れが変わるということは誰だって経験があるはずだ。しかし、そのような日常の場面では相手の人生にまで注意を払っていないし責任も負っていない。しかし、それが仕事の中で、なおかつ相手が利用者さんであるということでいい加減な対応をとることは許されない。それだけ重要な任務をおっていることを常に肝に銘じておかなければと思った。

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