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#7 「やりたいこと」を自分らしくやるには?

こんにちは!Jo-ATのAkiです.
今回は「『やりたいこと』を自分らしくやるには?」というテーマに焦点を当ててお話ししていきます.
いち人間の話として,ご覧いただけますと幸いです.


やりたいことは出来ているか?

みなさん,やりたいことはできていますか?
政治体制の不安や物価高騰,雇用の不安定さなど,社会的な問題に怯える機会も増えました.
「VUCA(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity,ブーカ)の時代」とも呼ばれる昨今,老後に向けて,何かしらの行動を起こしている方もいらっしゃることでしょう.

しかしながら,それは人間元来の生き方と異なるのではないでしょうか?
皆等しく,自分の欲望に倣った「やりたいこと」があるのではないでしょうか?


わたしの欲望

私は現在,学生です.
社会人の方と比べてみると,有り余るほどに時間を有しています.
そのような時間の中で私は,授業課題をこなして,研究活動を行い,資格勉強をして,気分転換に走って,偶に友人と出かけて…
非常に充実した時間を過ごせていると感じています.
しかし,人間は以下のような本質を有しています.

『人間の欲望は,限りない』

これはおそらく,みなさんも実感されていることでしょう.
私も同じく感じています.
無限に積まれるほどの本を読み尽くしたい,世にある全ての資格が取りたい,どこまでも走っていきたい,世界中を旅したい…欲望は尽きません.


わたしの「今」やりたいこと

私の欲望の核心は「本を読みたい」「資格を取りたい」,つまり「学ぶこと・知ること」だと思います.
これは「今・この瞬間にも」実現したいことであります.
なぜならば欲望は,湧き出た瞬間が最も熱を帯びているのですから.

これらのことから,私にとって「今」やりたいことは「知識欲を満たすこと」です.
人間が精力的に動ける瞬間は,欲望が満たされているときです.
私にとっては,自分自身の根底にある「知識欲を満たすこと」がそれに該当すると考えています.

「でも『知識欲を満たす』って楽しいけど,同時に苦しく感じる時もあるなあ.」
そんな感覚を行き来しながら,いまを生きています.


ぱちっとはまったピース

「『好きなこと・やりたいこと』はやっているはずなのに,周りと見比べて苦しい気持ちになっている.」

不思議なことに私は,欲望の実現ができているのにしんどい時が来ます.
それは「分からない」という状態に深く陥る時です.
こうなると,自分の中には劣等感が充満します.

そんな劣等感で満たされたある時,「『分からない』を肯定してくれる学問がある」ということを知りました.

それこそが『哲学』だったのです!


『水中の哲学者たち』

私は理工学系分野出身なので,体系的に哲学を学んだことはありませんでした.
そこで,文系分野に造詣の深い友人に勧められた,「水中の哲学者たち」を読んでみることにしました.

本書は,哲学者である永井玲衣さんが書かれた「前のめり哲学エッセイ!(帯より)」です.
エッセイとして,永井さん自身の素直な心情を描きながら,その中でも哲学について話をされていました.
読後,「なんだこれは!」と私の中で衝撃の走る一冊でした.
「なんて哲学って自由なんだろう」と浅学ながらに思いました.


書籍中のエッセンス

著者の永井玲衣さんは幼い頃から,世界に・自分に・様々な事象に疑問を持ち続けていたそうです.

 たとえば水。高校生の頃、お風呂に入っていて、突然思った。なんだこれは?水を手ですくって触ってみる。奇妙だ。めちゃくちゃだ。手からするすると水はこぼれ落ちる。意味が分からない。呆然と手を見つめる。いや、ちょっと待って、なんだ手って。なんだこの形は。どういうつもりなのか。見慣れたもの全てがぐにゃりと歪み始める。世界が崩れてしまう。いや、目の前に広がるこのまるごと、世界ってなんだ。ある、ってなんだ。答えてくれ、世界。

永井玲衣,「水中の哲学者たち」pp.16,2021年

確かに誰しもが,一度は考えることかもしれません.
しかし,このような極々当たり前に感じていることに対しても,「哲学」は始まると永井さんは仰います.

上記の問に対して少し考えてみましょう.
「(水について)なんだこれは?」
流体力学や,もっと大きなくくりとして化学的な意味合いで説明が付きそうです.

「(手について)なんだこの形は。」
私ならば,進化論なりを持ってきて「そうなのか」と理屈で理解しようとします.
「なんだ手って。」
これに答えを出すことは難しいですね.

「世界ってなんだ。」「ある、ってなんだ。」
著名な哲学者たちであれば答えを知っているのでしょうか.
たとえば,オーストリア出身のルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは「世界」について以下のように言いました.

世界と私とは、ひとつである。
私は、私の世界である。

ウィトゲンシュタイン(著)・野矢茂樹(訳),「論理哲学論考」,2003年

哲学を学んだことのない人間にとって,難しい解釈ですね.
私にはなんのことやらさっぱり…


永井さんは大学院生になり,「哲学対話」をするようになって,いろいろな考えに出会ったそうです.

哲学対話とは簡単に言えば、哲学的なテーマについて、ひとと一緒にじっくり考え、聴きあうというものだ。

永井玲衣,「水中の哲学者たち」pp.16,2021年

ひとつ,書籍中での「自由とは何か」という哲学対話のエピソードを引用させていただきます.

つい先日、社会人向けの哲学対話で「自由とは何か」をテーマにしたとき、「わたしたちは、できるはずのことができないときに不自由を感じるんです」と言ったひとがいた。だって、わたしたちは、空を飛べないということを不自由だと言わないでしょう。そもそもできないことを、わたしたちは不自由だと嘆かないんです。

永井玲衣,「水中の哲学者たち」pp.31,2021年

私は,この社会人の方が仰ったという言葉に納得をしました.
永井さんも「なるほど」と思いつつ,ひとつ,嘆きを漏らしていました.

永井さんにとって,対話とは「離れた相手のところまで勢いをつけて跳ぶようなもの」と表現されています.

あなたとわたしの間には、大きくて深い隔たりがある。だから、他者に何かを伝えることはリスクでもある。

永井玲衣,「水中の哲学者たち」pp.29,2021年

他人に自分の考えを,全て完璧に伝えることは不可能です.
それを永井さんは「不自由」であると捉えていました.
果たしてこれについて「自由」になる瞬間は来るのでしょうか?
私は,その時を待ちたいと思いました.


おわりに

本記事では,私のやりたいことと,それを実現するための,私なりのエッセンスである「哲学」についてお話しました.

私はこれまで「この世には『絶対的な正解』があり,それを追い求めるものだ」というように考えてきました.
振り返ると,それによって「正解を見つけることの出来ていない自分を,他人と比較する」といった物差に縛られて生きてきたように思います.
だからこそ,「普遍的な正解がない」「『分からない』を考える」「『考えること』に重きを置く」ような学問である「哲学」に惹かれたのだと感じています.

私は,哲学も心理学(ユング心理学)もまだまだ勉強中の身です.
けれども,永井玲衣さんの哲学エッセイを通して,より自由な解釈のできる世界を楽しみたいと思いました.

みなさんも,より「自由」を目指しながら,やりたいことを体現していくよう目標付けていくのはいかがでしょうか?
そういった活動をJo-ATは応援しております.


参考文献


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