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受験参考書の思い出

先日、久しぶりに銀座に行った。目抜き通りには高級ブランドショップが立ち並ぶが、目当てはバッグでも財布でもなく、楽譜、である。コロナ禍の際に思いつきで買ったギターを数年ぶりに取り出して弾いてみたところ、思いのほかのめり込んできたため、ちょっと本格的に練習してみようと思い立ったというわけだ。

銀座には楽器屋のヤマハ本店があるのだが、ここには楽器だけではなく結構な数の楽譜が置いてある、というのが、およそ20年ほど前に大学生だった頃の自分の記憶だ。当時は確か地下1Fに楽譜売り場があって、あらゆるジャンルの楽譜が大量に置かれていた。Amazonなどの通販が普及する前の時代では、実際にその場で購入できる場所というのは貴重な存在であった。

それで古い記憶を頼りに久しぶりに訪れてみたのだが、楽譜売り場の場所は地下から地上三階に移っており、残念なことに規模も大幅に縮小されていた。そのわずかなスペースに置かれているのも大半はピアノ譜だったため、あてが外れてしまった形となった。

それでしかたなく表通りを歩いていたところ、山野楽器の看板が目に入った。「日本一地価が高い」でおなじみのニュースにたびたび登場する場所である。幸い、こちらの方はギター譜もそこそこの数が置いてあったため、じっくりと選ぶことができそうであった。

とはいえ、音楽関係の本を選ぶというのは、結構難しい。楽譜にせよ教則本にせよ、そこに載っている譜面からどのような音が出てくるのか、初心者が想像するのはかなりハードルが高い。なので、こうした本にCDが付属するようになったのは非常に画期的な出来事であった。いまはさらに進んでいて、YouTubeの模範動画へのQRコードが記載されたりしている。これだと演奏している動画も見れるので、より理解が進む。

そもそも楽器の練習にとって、YouTubeの存在は非常に大きい。昔は教則本に載っている曲がどんな風に演奏されているのか、想像するほかなかった。いまはどんなマイナーな曲であっても、たいていは誰かの演奏がアップロードされている。演奏方法の解説にしてもそうだ。たとえばギターでいえば、アルペジオ、カッティング、チョーキングなどなど、ありとあらゆる奏法に関する動画が分かりやすく丁寧に說明されている。ここまで来ると逆に、昔の人はどうやって独学で練習していたのだろうかと疑問に思えてくるくらいだ。実際、独りで上達するには限界があるので、おそらくはレッスンに通ったりDVDを買ったりと、それなりの投資をする必要があったのだろう。いまはそれらが(ほぼ)無料で手に入るのだ。良い時代になったものである。

そういった時代にあってなお、やはり手元には譜面を置いておきたい。そうなると、YouTubeの動画のように気軽に選ぶ訳にはいかない。これぞという一冊を絞り込んで、それを徹底的に使い込む。なんとなく、それがリアルな本とのあるべき付き合い方なのだという考えが体に染み付いている。懐かしい感覚だなと思ったが、これは大学受験のときに参考書を選んだときと同じ体験であることに気づいた。

高校2年生の終わり、大学受験を終えた先輩から大量の参考書を譲り受けた。その中に、「受験技法」という本が混ざっていたのだが、この本は実際のところ東大合格のためのあらゆるノウハウが詰まった、いわば東大受験生にとってのネタ帳のようなものであった。それまで受験勉強らしい勉強をしてこなかった私はこの本に触発され、そこで触れられている参考書を片っ端から揃えていった。ところが数学の参考書だけはレベルが高すぎて全くついていけない。インターネットもYouTubeもなかった当時、頼りになるのは市販の参考書のみである。そこで地元から少し離れた駅の大きな書店まで足を運び、それこを目を皿のようにして自分にあった参考書を探し出した。今でもよく覚えているが、その参考書の冒頭には勉強の仕方が丁寧に書かれており、少なくとも三回、完璧に解けるようになるまで繰り返し解けと書かれていた。幸いにして本文の内容もとても分かりやすく、すっかり気に入った私は三度と言わず何回も繰り返し解き直した。それこそ受験の前日もやり直したし、なんなら受験会場にも持っていった。こうなるともうお守りのようなものだ。他の本に浮気せず、愛着を持って使い続けるというのは、おそらく参考書のもっとも大事な使い方だと思う。結局、数学は得意科目になるとまではいかなかったものの、まあ不合格にならない程度の点数はなんとか取れたようである。

少し大袈裟な言い方をすれば、書店というのは人生を変えうるような出会いをもたらす空間、といえるかもしれない。Amazonや電子書籍の台頭によりリアル書店の存続はますます厳しくなってくることが予想されるが、自分にピッタリの本を探すあの感覚というのは、何物にも代えがたい経験である。

さて、「キミにきめた!」といって選んだ本でも、いざ家に変えると「積ん読」状態になってしまうことは良くあることである。我が父は昭和二十年代生まれなのだがWindows95が出たあたりからパソコンに興味を持ったようで、「分かる Windows」のような本をよく買ってきていた。今でも実家に帰るたびにこの手の本が増えているのだが、さて本当に分かっているのかという疑問は拭えない。とりあえず買っただけでなんとなく満足してしまう、といったところだろう。

そういう私も、せっかく買ってきたギター教則本にすでにうっすらとホコリが積もり始めた。出会った頃の愛情を持ち続けるというのは、なかなか難しいらしい。そうやって考えると、擦り切れるまで使い古したあの数学の参考書とは、結構良い付き合い方ができていたのだなと、そんなことを考えるのである。

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