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うちの家父長制の長が末期がんらしい

 性格の悪さ、というよりは人格の歪みが出る話なのでそういうので気分が悪くなりそうな人は読まないでね。とか何とか先に言わせてくださいな。

・性格悪くていいや、と開き直った去年

・ゆーて父は次男です

 うちの家父長制の長(おさ)とか言ったけど、厳密には「うち」でもないんだよな、というのをまず申し添えておきたい。というのも、うちの父親は「次男」なのです。いわゆる「次男」。「お前は家を継がないから関係ないだろう」とか言われるタイプの「次男」。
 その次男は、本人のつもりとしてはオープンマインドな、差別とか偏見とかないタイプの人間をやっているつもりらしい。例えば、親族が集まる飲み会では男性陣が準備もせずに飲んでいて、女性陣は台所仕事をしたりお酒や料理を運んだりすることになっているなかで、自分は台所に立つなど。(ちなみに、孫世代は全員が家事労働に動員されるのでジェンダーはあまり関係ないし、少なくとも孫世代同士のなかではジェンダー関係なく働きます。)
 けれどもわりと肝腎なところが「つもり」でしかなく、なんだかんだミソジニーだし、自分の会社で(社員としては女性が半数以上いるのに)管理職が男性ばかりなのを「優秀な女性がいれば管理職にするんだけどね」とか言っちゃうクソ野郎に成長しました。祖父のせいかは知らんが、ありがとうおじいちゃん。
 ちなみに、「ジェンダーに関係なく」「実力」を「評価」していると思い込んでいるだけでじつはそうでもない話はわざわざ説明するほどでもないかもしれないけど、とりあえずひとつだけ引用しておきますね。(ちゃんとした研究を引っ張ってくるのが面倒だったのでこれでご勘弁。)

トーマスは、自分が男性になったことで、周囲の様々な変化を感じたと言います。職場では自分の企画がいともたやすく承認されるようになり、たいした根拠もなく専門知識が信用され、自分が口を開けばみなが真剣に聞いてくれて、それはまるで世界が突如として自分に一目置くようになったようなものだったとか。また、女性でいたときはマイナス査定されていた、野心、押し出しの強さ、自信が、プラスに評価されるようにもなったといいます。

・正直、父にはざまあみろ

 そんなわけで、自称「差別しない」クソ野郎とゴリゴリにマイノリティ(ハラスメントだったりわりと苦労しているやつ)の子どもとの折り合いが良いわけがなく。ググれば3秒でわかることも知らないくせに、自分は「受け入れてる」みたいな態度に本気で腹が立っていたし、日本社会がお前みたいなクソ野郎ばっかだから当事者が生きづらいし社会にも出にくいんだろ、と思ったりしていたわけです(口先では同性婚に賛成とか言うくせに、会社の制度として同性パートナーシップを婚姻と同じようにみなすとかはしないタイプ。理由は、まだそういう希望が出てないから笑。当事者側から言い出すハードルの高さとか考えねぇのなお前、っていう。)。
 まじでこいつ(=父親)この世から消えてくんねぇかな?とか思ってた矢先に祖父(=父の父)に末期がん判明で、いちおう聞いたその場ではショックを受けたふりをしておきましたが、もう内心うれしかったよね。人が死んでいくのをよろこぶなんてどうかしてると思うかもしれないけど、そういうどうかしてるような祈りに近い願いを持ってしまうほどに鬱憤が溜まっていたので、今は素直に、コロナ禍でなかなか会えないなか親(=俺からしたら祖父)が末期がんで死んでいくことに苦しめばいいんじゃないかと思っている。
 とはいえ、「次男」としての苦しみもあっただろうし、ある意味では同情もしているのだけど、それでもこう、社会的立場のある人間が自称「差別しない」だけで許されると思うなよ、とは思っていたり。この前も就活云々で揉めたときに、だったら「ふつう」に生んでくれよ!とキレてしまったのだけど、あらゆる差別や社会構造を無視して「ふつう」に生きることを要求してくるので、そういう寝言を言ってるうちはこの世にいてもらわなくて結構だと思っております。話なんか通じないしね。(いじめられた自分の子どもに自己責任論を振りかざしたり、)まともに育てる気もないのに子どもをつくった罰として無限に苦しめばいいと思う。

・縁を切ろうと思っていたら逝去するようでなにより

 それにしても祖父。自分からすれば、じいじ。目の前で死んだらさすがに動揺するだろうと思うけど、コロナ禍で会いにいけるわけがないし、会いに行こうとも思えないし、むしろ会いに行かない理由を探さないで済むからコロナ禍でよかったのかも、と今は思っています。
 付き合いが長いし愛着がないわけではないけれども、すごくこう、嫌なんだよな。俺は苗字が同じだから「○○(従兄弟)は××(異なる苗字)だけど、お前は**(この「家の」苗字)だら?」とか何度も言われて、今だから批判的に考えられるけれども、幼い子どもにそういう意識を植え付けてくるって悪質だよな、と思ったり。他にも、酒を持って来いと言われて、てめぇが飲む酒くらいてめぇで持ってこいや、と思ってスルーしてたらむしろ俺が祖母から窘められたりしてね。
 でもこの旧態依然な老人ももうこの世からいなくなると思えば、そんなに恨みもない。親世代はいろいろと言われてきただろうからどう思うかわからないけれども、やっと終わる、よかった、という清々しい気持ち。祖父が叔母(=祖父の娘)に会うたびにお前太っただろみたいなことを言っていたのを見るのも、謎の自画自賛(「じいじは強いら?」)に付き合わされるのも、もうおしまい。
 たまに、永遠に生きたいとか言う人がいるけど(しあわせそうで羨ましいけど)、でもやっぱり、人間の一番良いところって必ず死ぬところだな、と感じている。家父長制の長だって、クソ野郎な父親だって、それに憤っているだけでいつかは自分も老害になるかもしれない俺だって、みんな最後には死ぬ。よかった。ハッピーエンドだ。

(画像:いらすとや)

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