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現代を生きる人への「アリとキリギリス」

楽しさより、忙しさを優先してませんか?
もしイソップが現代人なら、毎日朝から晩まで働くアリ型生活を礼賛したでしょうか? 令和の時代を生き抜く知恵となるように再構成しました。

ある暑い日、キリギリスは音楽の練習に熱中していた。
普通のキリギリスは、ギー、ギーッチョンという、濁った音しか出せない。
でも、羽のこすり方を変えると、クィーという美しい音を鳴らせることを発見したのだ。
もっと美しい音にしたい。羽の角度を変えたり、羽を震わせる速さを微妙に調節しながら、自分が満足できる音を探していた。

ふと気が付くと、足元にたくさんのアリが行列を作っていた。
どのアリも、木の実やら草の種やら自分の体の何倍もあるような大きな荷物を抱えていた。

「そんなに重い荷物、よく運べるねえ。疲れないのかい?」

「最初は大変だったけどね。でも、慣れればなんとかなるんだよ。うまいもんだろ」

「すごいね。僕は、自分の体以上の荷物なんて持てないよ。今日の仕事は、これで終わりかい?」

「とんでもない。まだお昼だよ。おひさまが昇れば仕事を始めて、おひさまが沈むまで仕事をするんだ。」

仕事ってなんだろう。
キリギリスは不思議に思った。僕は美しい音を奏でられるようになりたいから、さっきまで音楽の練習をしていた。でも、それは仕事ではないよね。誰かから命令されたわけでもなく、自分がやりたくてやっていた。
アリさんは、どうして仕事をしているんだろう。

「アリさんは、なんで仕事をしているの? 楽しいから?」

アリは、たいそう驚いた顔をした。
なんで仕事をするかだなんて。あまりにも当然すぎて考えたこともない。
例えば、空気を吸うために呼吸をするようなものだ。空気を吸わなければ死んでしまうじゃないか。

「私たちは、巣のみんなのために食べ物を集めているんだ。食べ物がなくなると、みんなが生きていけないだろ。」

「そうなんだ。みんなのために働くなんて偉いなあ。今日も一日暑いけど、頑張ってね」

キリギリスは、また音楽の練習に集中することにした。

新しい音楽

キリギリスは、音楽が好きだった。
最初は思い通りの音が出なかったけれども、試行錯誤を重ねて次第に色々な音を出せるようになった。
そして、ついに新しい音楽を生み出した。クィーという羽音をいろいろな音程で鳴らせるようにして、メロディにしたのだ。
まるでショパンの夜想曲のように、美しい旋律が夜の草原に響き渡る。
キリギリスのメスたちはうっとりとして、キリギリスの音楽に聞きほれた。
オスの仲間たちも驚き、教えを請いにきた。

「どうすれば、そんな美しい音楽を奏でられるようになるんだい?」

「まずは基礎的な練習が必要なんだ。羽を速く震わせるほど、高い音を出せる。でも、速く震わせるためには筋トレが必要なんだ」

「結構大変なんだな。でも、ぜひマスターしたいよ。最初はどんなトレーニングをすればいい?」

「大事なのは羽の付け根の筋肉なんだ。最初は、同じ間隔で力を入れるところからだ。」

優しいキリギリスは、自分が試行錯誤して手に入れた技を、みんなに分かりやすく教えてあげた。
他のキリギリスたちも熱心に話をきき、音楽の練習に精を出した。
とても楽しい日々だった。
いつしか、キリギリスは音楽の大先生として尊敬される存在となっていた。

高みを目指して

キリギリスは、自分の音楽の練習も止めなかった。
さらに、美しい音を目指して工夫をこらす。バイオリンのような震わせる音だけでなく、フルートのような澄んだ音が出せるように、さらに高みを目指していた。

そんなとき、またアリの行列に出会った。
真夏の盛り、灼熱の日光が照りつける中で、アリたちは大きな荷物をチームプレーで運んでいた。

「おーい、アリさん。今日はほんとに暑いねえ。」

「そうだよ。ここまで暑い日は初めてだ。朝から歩き回ったので、もうクタクタだよ。」

「そうかい。ちょっと荷物をおいて、休憩でもしないかい。最近、新しい音楽を奏でられるようになったんだ。聴いてみてよ。」

アリは少しだけ嫌そうな顔をして、言い返した。

「悪いねえ。そんな暇はないんだよ。おひさまが沈むまで、私たちは働かないといけないんだよ。」

「働かないといけないって、誰がそんなこと決めたんだい?」

「誰が決めたわけでもない。当たり前なんだよ。赤ちゃんの時には優しく育ててもらったからね。今度は、自分たちが巣のために働く番なんだ。」

前と同じような会話だった。
キリギリスは、このまま話を続けても平行線になるだけだと知っていた。でも、アリの考え方は自分には理解できなかった。
この世の中に生まれて、生きるために必要なことはたくさんある。自分だって、音楽だけに打ち込んでいるわけではなく、食べ物探しには苦労している。獲物となる小さな虫を探し回るし、虫が見つからないときには周りの草を食べて腹持ちさせる。

でも、それだけじゃ面白くないじゃないか。
獲物を探して草原を飛び回るのも悪くはないが、自分が熱中できることを探して自分の力を追求したい。
僕の場合は音楽だった。
大人になって羽が生えそろうと、音を出せるようになった。最初はギーギーと壊れたバイオリンのような音しか出せなかったが、工夫するとクィーと美しい音になった。もっと工夫すると音階を変えられるようになったし、今はさらに澄んだ音を目指して練習している。
こういった時間こそ、生まれてきてよかったと思える幸せな瞬間だ。
アリさんには、こういう実感がないんじゃないかな。

でも、僕とアリさんとは生き方が違う。
僕の価値観を押し付けるのも迷惑だろう。

「アリさん、本当にいつも精がでるねえ。今日はほんとに暑いから、無理しないでね。」

「ありがとう。キリギリスさんも、寒くなったときのことを考えて食べ物とかを準備しておいたほうがいいかもね。じゃ、またね。」

アリたちは休憩もせずに、また大きな荷物を一生懸命運んで行った。

草原のオーケストラ

キリギリスは、実際、音楽のセンスがあった。
フルートのような澄んだ音を出すことには、残念ながら成功しなかった。
ただ、ドラムのようにリズムを取るという方向で、さらに修練を重ねた。
ショパンの夜想曲に、小気味よくチョンチョンという合いの手が入ることで、さらに楽しくリズミカルな音楽を作り出したのだ。

これは、草原一体に住むキリギリスの大ニュースになった。
しかも、いろいろな技をまわりの仲間たちに丁寧に教えたので、仲間の中でも美しい音を出せるものが増えていった。
もはや、キリギリスだけの話ではなかった。蝶もセミも、トンボもバッタも、コガネムシもカブトムシも、いろいろな虫たちがこの奇跡の草原の音楽を聴きにやってきた。

これに刺激されたのは、マツムシやスズムシやコオロギたち。
彼らも負けじと、独自の音楽を磨き上げていった。
もはや、この草原は大きなオーケストラホールだった。
バイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスはもちろんのこと、フルート、クラリネット、トランペットに打楽器まで入って、ベートーベンの第九のような壮大な交響曲を演奏するのだ。

その音色は、地中のあたたかな巣穴で暮らすアリたちにも聞こえてきた。
キリギリスたちは楽しそうでいいなあ。でも、彼らは遊んでいるだけだからな。僕たちとは住む世界が違いすぎるよ。
今のうちはいいけどね。これから寒くなって、彼らは苦労するはずだよ。
ちゃんと真面目に毎日仕事をしないとね。
そんなことを考えながら、いつの間にか眠りについていた。

青天の霹靂

ある朝、キリギリスはいつものように音楽の練習を始めようと、お気に入りの草の上に登った。すると、珍しくアリがひとりで草の上にたたずんでいた。

「おはよう、アリさん。珍しいね。今日はどうしたんだい?」

気付くと、アリの目には涙が浮かんでいた。

「全部ダメになった。もうおしまいなんだ。」

「いったい、どうしたっていうんだよ。」

「サムライアリのやつらさ。巣の中に一斉に入りこんでいって、幼虫もサナギも全部連れ出していってしまった。もう、うちの巣はおわり。全てが終わってしまったのさ。」

かける言葉が見つからなかった。
自然界の掟とはいえ、それはあまりにも辛い現実だった。今まで巣を守るために毎日一生懸命働いていたのに、その全てが一瞬でぶち壊されてしまったのだ。

「辛いね。何といっていいか分からないよ。」

「そうだよね。慰めなんていらない。そばにいてくれるだけでありがたいや。」

しばらく沈黙が続いた。
何か会話の糸口を探そうとして、アリがひとりでいることに気付いた。

「アリさんがひとりでいるのも初めてだね。他の仲間はどうしたの?」

「そうだね。多くの仲間は、なぜかケンカを始めている。いままで仲間だったのに、その仲間まで敵だと勘違いして取っ組み合いをしているよ。これも、サムライアリが仕掛けた罠だと思うけどね。」

さらに辛い現実を知って、胸がズキリと痛む。
どういう言葉をつなげようかと考えているうちに、アリのほうから言葉をかけた。

「今までさ。キリギリスさんと自分とは住む世界が違うと思ってたんだ。いや、ほんとのことを言うとさ。君のことをバカにしていたのかもしれない。」

「そうなの?」

「うん。何もかも失ってしまったから、もう本音でしゃべるね。僕たちは食べ物がなくなる冬に備えて、毎日働いて食べ物を集めてた。でも、キリギリスさんたちはその日食べるものさえ見つければ、あとは遊んで暮らしているだろ。だから、将来のために働いている自分たちのほうが偉いと思ってたんだ。」

キリギリスにとって、それは意外な言葉ではなかった。
アリが自分のことをそう思っていると分かっていた。ただ、そういうことを率直に言ってくれたことに驚いた。

「そうだね。そんなふうに思われているって感じていたよ。」

「ばれてたのね。」

「逆に、僕の本音を伝えても、アリさんには理解されないんだろうなあと、
 ずっと感じていたんだ。」

「キリギリスさんの本音?」

キリギリスは一呼吸を置いて、今まで自分が考えてきたことをゆっくりと話し出した。

キリギリスの生き方

「僕たち昆虫の一生は短い。でも、その分、頭の回転がとても速くなってい るから、1秒間にいろいろなことを考え、体を俊敏に動かすことができる よね。そういう意味で、僕たちの人生もとても長いものだよ。
 それで、その人生をどんな風に暮らしていきたいかって考えるとさ。やらされることとか、やらなければいけないこともあるんだけど。でも、自分がやりたいことをする時間こそ、本当に大事だと思っているんだ。アリさんを見ていると、朝から晩までいつも働いていて、他人のためだけの人生になってると思ってた。そういう意味で、僕もあなたをバカにしていたのかもしれない。でも、こういう話を今まではできなかったんだよ。」

「そうだね。確かにそのとおりだ。しみじみそう思う。そして、昨日まではそんな言葉をかけてもらっても、理解できなかっただろうなと思うよ。」

キリギリスとアリは、お互いの顔を見つめて微笑みあった。

「僕は、生まれたときから一人だからね。あまり縛られるものがなかった。アリさんは、生まれたときから大家族だよね。」

「そうさ。ずっと集団生活。そして、大人になったらずっと働き続ける。周りの仲間もみんな同じ。そのことに何の疑問も持たなかったし、むしろ毎日働いていることを誇らしく思っていた。」

「でもね。僕もアリさんも同じだよ。同じ昆虫同士で、同じ時に、同じ草原に暮らしている。生きる方法はそれぞれなのかもしれないけど、この世界に生まれたことを感謝しているでしょ。それも同じ。」

「同じだねえ。そして、巣の仲間を守りながらでも、自分が熱中したいものに取り組むことはできたのかもしれないね。」

アリは、キリギリスの言葉をすぐに理解できたわけではなかった。
でも、あまりにも不幸なことが起きてしまったことがきっかけになり、今までの自分の人生を冷徹に振り返ることができた。

「まだ、巣には僕たちの仲間も残っているしね。これからも食べ物を探しに、働きには行くよ。今までどおりにね。でも、それだけじゃダメだ。自分が打ち込めるものを探してみないとね。」

「何がしたい?」

「うーん。すぐには思いつかないな。まずは美味しいものを食べて、昼寝して、ゆっくり過ごしたいかな。」

「悪くないけどね。でも、楽しいことだけをするのと、何かに熱中するというのは大きな違いがあるよ。」

楽しいことをしていると、すぐに時間が過ぎてしまう。
その時間が過ぎてしまったことを、後悔するのか誇りに思えるのか、そこが大きな違いなのかもしれない。

「僕の趣味を押し付けることはしないけどね。美術とか工作とか自然観察とか、いろいろな道があると思うよ。でも、せっかくだから、ちょっと音楽を教えてあげようか?」

「アリには音楽は無理だよ。僕には羽もないし。」

「大丈夫。体を動かして音を出せば、なんだって音楽なんだ。体を細かく震わせてごらん。そうそう、そしてその振動を草に伝えてごらん。」

「え。こ、こうかな。難しいな。全然音なんて出ないよ。」

「そりゃそうだよ。最初からうまく行ったら、逆につまんない。何度も自分で考えるんだ。何かに熱中するって、そういうことなんだ。」

一話完結のつもりでしたが、続編もつくってみました。
https://note.com/joe_kamita/n/n7c40158e97d6

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