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JOG(1367) 「まごころ」と「おもいやり」 ~ 石井勲『はじめて読む人の「大学」講座』

 儒教の入門書『大学』の説く理想は、日本の皇室がもっとも良く体現されている。

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■1.野田佳彦元総理と高市早苗大臣の共通点

 政治資金収支報告書不記載の問題で大混乱の政局ですが、その中でも、人格面で私が一目置いている人物が、自民党の高市早苗・安全保障担当大臣と立憲民主党の野田佳彦元総理です。

 高市早苗大臣は、夫婦別姓論者の根拠とされていた女性の旧姓変更に伴う不利益論を、総務大臣時代に地方自治法、住民基本台帳法など1142件で旧姓使用を可能にするという地道な努力でほとんど封じました。野田元総理の人間性は、安倍元首相の国葬のさいのまごころあふれるスピーチを見ればよく分かります。[日経]

 最近、読んだ本で、この2人にはある共通点があって、それがご両人の人格を陶冶したのだ、と知って、大いに納得できました。それは松下幸之助が創設した松下政経塾の初期に古典の教育、特に石井勲氏の『大学』の講義を受けていたことです。

『大学』とは、儒教の書物の中でも最も基礎的なもので、二宮尊徳、吉田松陰、西郷隆盛を始め、江戸時代の寺子屋や藩校でも『大学』の素読から入る、という教育が広く行われていました。その中心的な教えは、「上に立つ人間は、まず己の身を修めなければならない」というものです。

 上から目線で与党をこき下ろす野党の政治家、自社の虚報誤報を頬被りして御高説を垂れる反日マスコミ、そして他者の片言隻句で炎上するSNSの有様を見ると、「まず己の身を修める」という文化が、現代日本からいかに失われているのか、我が先人たちとの民度の落差を思い知らされます。

 松下政経塾で、若き日の野田氏や高市氏を教えたのが石井勲氏。弊誌でもご紹介した石井式漢字教育の創始者です。これは幼児に漢字を教えると、物の形を表した漢字を子供たちは楽しんですぐ覚え、その結果、知能指数も高まり、情操も豊かになるという独創的な教育方法です[テーママガジン]。

 最近、その講義が書籍化されたので、さっそく読んでみました[石井]。漢字教育に造詣の深い石井氏ならではの漢字の背景説明も豊富にまじえ、そこから『大学』の神髄を分かりやすく説かれています。

■2.民衆を正しきほうに導くということが政治の「政」という字の本義

 まず政治の「政」の字について、石井氏は以下のように説明します。
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「政」という字の攵(ぼくにょう)というのは、何かを持った形です。これは指導者が持つ、いわば指揮棒にあたります。これが子どもに向かえば「教」ということになります。その指導が国民に向かい、民衆を正しきほうに導くということが政治の「政」という字の本義です。・・・

 その正しいというのはどういうことかというと、為政者が自分の身を正すということです。「其の身正しければ、令せずして行われ、其の身正しからざれば、令すといえども従わず」というのは、為政者の姿勢が正しければ黙っていても国民は良くなるし、為政者が不正なことをやっていれば、いくら国民に正義を要求したって通らないということなんです。[石井、p29]
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 国民を「正しきほうに導く」のが政治の役割なのに、「為政者が不正なことをやっていれば、いくら国民に正義を要求したって通らない」とは、現在の政治資金収支報告書不記載の問題で大混乱の政局、さらには中国共産党の独裁政治を見てもよく分かります。

■3.「正」とは人間が「止まるべきところ」に止まっている姿

「為政者が身を正す」という時の、「正」という字はどういう意味でしょうか? 「正」の字は、「一」と「止」から出来ている、として、石井氏はこう解説します。

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「止まることに於いて、其の止まるところを知る」というのは、この鶯が止まるべき木をよく心得ていてその木に止まっているということ。つまり、「鳥でさえもちゃんと自分の止まるべきところを知って、最も良いところに止まっている。人間であって、どうしてその鳥に劣って良いだろうか」といっているのです。・・・

 それを表すのが「正」という字です。「正」という字は「ーに止まる」と書きます。ここに止まるというところにしっかりと足を置く。「止」というのは「足」の象形で、足の立つところを示している。ですから、ちやんと位置するべきところに位置するというのが「正」ということなんですね。[石井、p62]
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「正」とは、人間本来が「止まるべきところ」に止まっている姿なのですね。

■4.「人間の止まるべきところ」とは「まごころ」と「思いやり」

 それでは「人間の止まるべきところ」とは、どんなところでしょうか? 『論語』の中にこんな一節があります。
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孔子言う、「参(しん)よ、わしが説き且つ行う道は、常に一貫した原理があるのだよ」と。曾子は直ちに「はい」と答えた。
(曾子の心には深く悟るところがあったのだろう。)孔子が席を立って室を出た。他の門人たちが、「曾君、今の話はどういう意味ですか」と問うた。曾子は「先生の説かれる道は忠恕・・・だけですよ」と答えた。[論語、p96]
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 孔子の説いた「人間の止まるべきところ」とは、「忠恕」なのです。これを石井氏は次のように解説します。

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 忠は心の真ん中と書くように、いわゆる真心のことをいいます。[石井、p180]
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「恕」というのは「如(ごとし)」という字ですから、相手は自分と同じだというように考える。その気持ちが「恕」なんです。[石井,p120]
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 大和言葉で「まごころ」と「思いやり」と言えば、日本人にはすぐにピンときます。そして、『論語』や『大学』が説いているのは、人間は常に「まごころ」と「思いやり」をもって、人と接しなければならない、ということです。そういう人が政治家となれば、「あの人の言うことなら聞こう」と「黙っていても国民は良くなる」のです。

 逆に「まごころ」も「思いやり」もない政治家が、「いくら国民に正義を要求したって通らない」のです。今から2千年以上も前に書かれた『大学』が、現代においても意義を失っていない事が分かります。逆に言えば、2千年も前から言われていることを、現代の我々が見失っているので、政治的混乱が続いているのです。

■5.民への「まごころ」と「おもいやり」で国は栄える

「まごころ」にしろ「思いやり」にしろ、共同体の中で生きる上での徳目ですね。政治も共同体の中での行為です。このように、共同体を前提として、その中での人の生き方を考えている点が、『大学』の特長だと思います。

『大学』には『詩経』から引用した「儀(よろ)しく殷に監(かんが)みるべし』という一句があります。この章句を石井氏は次のように解説しています。
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『詩経』のこの句は周の時代に作られたものです。周の前の王朝は殷ですね。「殷鑑遠からず」という諺(ことわざ)があります。・・・「殷に監みるべし」とは、殷をお手本に考えるとよろしいということなんです。
 殷は湯王の時代に国威を大いに振るいました。それはなぜかというと、殷の湯王が情け深く、その恩恵が禽獣(きんじゅう)にまで及んだといわれるほどだったからです。それほど国民を労(いたわ)ったので殷という国は立派になったんです。[石井、p149]
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 一国の指導者が、湯王のように民に対して「まごころ」と「おもいやり」をもって接すれば、民の方も「まごころ」と「おもいやり」をもって互いのために、そして国のために尽くす。それが、一国を繁栄させる道である、ということです。孔子を代表とする儒教は、湯王の治世から学んでいるのです。

■6.『大学』が説く政治の理想は、日本神話と同根

 この殷は、実は漢民族ではなく、「夷(えびす)」の人々の国であったとされています[JOG(1334)]。考古学的に実在が確認されている最古の王朝で、紀元前17世紀頃に建国されたとしています。

 孔子も『論語』の中で、「老先生は、(世の乱れを嘆かれて)いっそのこと東方の夷の地にでも行こうかと思われた」という一節があります。すなわち孔子の理想は、夷から学んでいるのです。また「乱世じゃ。桴(いかだ)に乗って東海にでも行くか」とも言っています。東海にある日本列島こそ、夷の故郷なのです。[JOG(1355)]

 その日本列島では縄文人たちが、平和な家族的共同体の中で、1万年以上も暮らしてきました。その伝統の上に、神武天皇が民を「大御宝」と呼び、「大御宝を鎮むべし(大切な民が安心して暮らせるようにしよう)」という理想を掲げて、初代天皇として即位されました。そして、互いが豊かな心をもって、一つ屋根の大家族のように仲良く暮らそう、と宣言されています。[JOG(74)]

 この日本神話に語られた国家の理想は、そのまま『大学』で説かれた理想の政治そのものです。

 また「殷の湯王が情け深く、その恩恵が禽獣(きんじゅう)にまで及んだ」という点も、縄文人たちの精神を感じます。縄文人は生きとし生けるものすべてが神の分け命であり、人間も動植物も同じいのちを持った「同胞」だと感じていました。

『大学』、広くは孔子の思想から生まれた儒教に、日本人が親しみを感じてきたのは、それが縄文人たちと同じ根っこから出ているからでしょう。それとは異質の精神を持つ漢族は、結局は孔子が嘆いたようにその理想を実現できず、戦乱に次ぐ戦乱の歴史を歩んだのでした。

■7.「君子は民の父母」

 神武天皇が宣明され、以後の歴代天皇が継承された「大御宝を鎮むべし」との祈りと、『大学』が説く政治的理想の共通点は、ほかにも見られます。『大学』では『書経』の「赤子(せきし)を保つ如くす」を引用していますが、これを石井氏は次のように解しています。
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これは国を治めるには、為政者たるものが国民をあたかも赤ちゃんを保育するような気持ちでやれば、国は立派に治まるということを説いています。[石井、p109]
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 赤ちゃんが泣けば、両親はなんとかなだめようとおろおろします。赤ちゃんが笑えば、両親も喜びを感じます。為政者がそういう肉親の情で民の世話をすれば、国は立派に治まるというのです。

 同様に『大学』は『書経』の「君子は民の父母」という言葉も引いています。これについて、石井氏はこう解説します。
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 この詩にある人民の父母とは一体何かというと、それは「民の好む所之(これ)を好み、民の憎む所之を悪(にく)むということをいっているのです。つまり、為政者が民の父母なのだということです。
国民の好む所を一緒になって楽しむ。国民の嫌がるようなことは一緒になって憎んで、国民の生活の中から取り除くことに努める。それが、民の父母ともいうべき立派な為政者の振るまいであるということです。[石井、p142]
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 昔から我が国では、「天皇は民の父母」であり、国民は「天皇の赤子」であると言われてきました。親が子を思い、子が親を大切にする、というのは、自然な肉親の情ですが、それがそのまま皇室と国民の結びつきに拡大されているのです。大きな災害のたびに、両陛下が被災地をお見舞いされるというのは、まさに親が子の安否を気遣うのと同じお気持ちです。

 こう見れば、『大学』の理想をもっとも忠実に体現しているのが、わが皇室である、と言えます。

■8.上皇陛下が説かれた「忠恕」の精神

 上皇陛下は、かつて昭和58(1983)年の「50歳の誕生日会見」で次のように述べられました。
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 好きな言葉に『忠恕』があります。論語の一節に『夫子の道は忠恕のみ』とあります。自己の良心に忠実で、人の心を自分のことのように思いやる精神です。この精神は一人一人にとって非常に大切であり、さらに日本国にとっても忠恕の生き方が大切ではないかと感じています。
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 孔子の理想が縄文人と同根の夷から学んだものと知れば、この「忠恕」という理想は、「まごころ」と「思いやり」という日本人なら子供でも分かる道徳そのものであることが分かります。上皇陛下は外国の思想に学べと言われているのではなく、初代天皇が国を建てられた理想と同じことを語られているのです。

 縄文人たちの理想は、皇室の「民安かれ」の祈りとして代々継承され、多くの先人たちがその実現に努力してきました。同時に漢文として我が国に移入されてからは、民間も『大学』をテキストとして庶民の寺子屋などでの教育で広められてきたのです。

『大学』で説かれている内容は、皇室の伝統的な祈りであり、それを学ぶことは、そのまま我が国の建国の精神を学ぶことに他なりません。そういう姿勢で、『大学』を我々も紐解きたいものです。それが国民どうしが互いに「まごころとおもいやり」で強く結ばれた、温かくも強靱な国家共同体を維持発展させる道なのです。
(文責 伊勢雅臣)

■おたより

■天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)の言動はまさに、「大学」が説くところの『徳の実践』(真一さん)

私は最近、石井勲氏の『はじめて読む人の「大学」講座』を読んでいるところでした。

そして今回、連休で帰省した娘に勧められ、伊勢先生の『日本人として知っておきたい 皇室の祈り』を拝読したところ、天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)の言動はまさに、「大学」が説くところの『徳の実践』であることに気が付きました。

お二人は、東日本大震災の被災者の皆さんをはじめ、国民の一人ひとりの心に『赤子を保つがごとく(赤ん坊を慈しむように)』寄り添ってくださいます。他にも、天皇皇后両陛下と言葉を交わした被災者が『生きる希望が湧きました』『これから頑張れます』と言える心境になれたのは、両陛下が「大学」の説く『民(の心)を新たにする』を体現されたからだと思い当たりました。

私は、お二人の言動がごく普通に『大学の道』を実践されていることに衝撃を受けました。「大学」では、徳を奮う君子が臣下や民衆を良い方向に感化し国を良くする、と説いています。それと同じように、陛下の『忠恕の心』に感化され、『心を新たにした』我々が、各々の境遇で最善を尽くせば、我が国は間違いなく、もっと素晴らしい国になるでしょう。

最後に、「大学」が理想とする人物像とは正に天皇皇后両陛下なのだ、と考えますと、堅苦しい印象だった儒教の経典にも親しみを感じることができ、更に学ぶ意欲が湧いてきました

■伊勢雅臣より

 堅苦しい儒教の経典も、実は皇室が日頃実践されていることなのだ、と気がつくと、親しみをもって学ぶことができますね。

■リンク■

・テーママガジン「国語教育こそ次世代国民育成の本道」
https://note.com/jog_jp/m/m0103597746f4

・JOG(1334) 中国大陸で漢族と覇権を争った倭族
 漢族に敗れた倭族は「東南アジア諸国からインドネシア諸島嶼、さらに朝鮮半島中・南部から日本列島」に広がった。
https://note.com/jog_jp/n/n45a4275828eb?magazine_key=m3308b7a5953f

・JOG(1355) 夷(縄文人)が作った中国文明
 日本列島の縄文人たちが大陸に渡って夷となり、長江文明や黄河文明を築いたという革命的学説の登場。
https://note.com/jog_jp/n/n70044e525121?magazine_key=m3308b7a5953f

・JOG(74) 「おおみたから」と「一つ屋根」
 神話にこめられた建国の理想を読む。
https://note.com/jog_jp/n/ne32fd24bf491

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・石井勲『はじめて読む人の「大学」講座』★★★、致知出版社、R05
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4800913004/japanontheg01-22/

・『新釈漢文大系1 論語』★★、明治書院、R03
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4625673402/japanontheg01-22/

・日経R041025「野田佳彦元首相による安倍晋三元首相の追悼演説 全文」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA251X80V21C22A0000000/

■伊勢雅臣より

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http://blog.jog-net.jp/


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