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他者に向けた書類は、コミュニケーションの証明である【24卒の就職日記】

今日から1週間は、施設の概要、働き方を説明するオリエンテーションの時間に当てられているのですが、その内容が余りにも学びになりすぎるので一部抜粋紹介させてください。


書類は2種類ある

1つは自分のための書類で、もう1つは、誰かにお願いするための書類。

いい言葉ですよね。
今日のオリエンテーションに出て、本当に良かったと思いました。

MECEにさせるならば、自分のための書類か、自分以外のための書類か、となるんでしょうがそこは御愛嬌。

自分のための書類というのは、なかなか馴染みが無い言葉なのではないでしょうか。

私の働いている施設で言うならば「EPOC」やカルテは両方の側面を含んだ書類。
申請書や依頼書、情報提供書は後者の側面を含んだ書類と言えるのではないかと思っています。

そもそも論として、学習した内容は記録されることで後に役立つという前提があります。

「学習は記録した方が良い」と言われるのはなぜか?

社会人・学生共通だと思うが、言わずもがな「自分のため」です。
もちろんその先に患者さんの笑顔があるとか、近隣住民の幸せがあるとかいう事はありますが、極論、自分のためです(自分のためにやっている事をPay forwardすることで他者に還元される)

昨日の自分が出来なかったことを、今日の自分・明日の自分・未来の自分が出来るようになる。これを達成するために、昨日の自分がどれくらい出来ていたのか?なぜ出来なかったのか?どうすれば出来るようになりそうだと感じたのか?
この辺りを明確にする必要があります。

人間の脳が覚えていられる容量には限界がありますから、この過程を外注する訳です。それが、記録です。

記録することのメリットは過去にも何人もが語っている。

例えば岡田斗司夫「スマートノート」は当に毎日を記録するためのノート習慣の方法について述べている。
また梅棹 忠夫「知的生産の技術」の中では、知的生産の1種として「日記」が推奨され「自分自身にむかって提出する毎日の経験報告なのだ」としている。
阿久悠「日記力 『日記』を書く生活のすすめ」は、阿久が毎日毎日、雨の日も雪の日も付け続けた日常のメモ(=日記)をまとめ上げた本になっている。

私の中ではこれら3人から既に「日記をつけること、日々感じたことを記録することは、何にも増して重要視される」と刷り込まれていた。

そんな中での今回の「書類には2種類ある」だから、効果も絶大であった。

他者に向けて作成する書類は、爆速で終わらせる。

仕事は一人でやるものもありますが、私の務める医療業界は得てして他者とのコミュニケーションが求められる職業だと考えています。
そんな中では、自分のために作成する書類と同様、、、いや、それ以上に「他者に向けて作成する書類」の重要性も増してきます。

自分の能力だけでは患者に対して健康というアウトプットを提供することが出来ない。だからそこを外注、お願いする。勿論ただではないので、適切な経路から「お願い」をする。このために書類が必要なのだ。

自分のために付ける日記であれば1日2日遅れた所で、困るのは自分だ。
「あの日何をしてたんだっけ」と思い出そうとしても難しい。思い出に残せない、困るのは、自分だ。

しかし他者のために作成する書類は、遅れるわけにはいかない
自分で1日遅れ、自分の後の工程で1日遅れ‥‥‥‥‥、これを繰り返していると、患者に届くのは一体いつになることやら、という話になる。

仕事とは、他者とのコミュニケーションの中にValue が生まれる場所

ぶっ飛んでいるまとめで申し訳ない。

自分のためにつける日記との違いは、当にここにあった。
他者とのコミュニケーションとの間にValue が生まれ、お金が発生する。

そのコミュニケーションの証明とも言えるのが、申請書だったり、議事録だったりするのだ。

「自分で仕事を止めない」
「報・連・相は重要だ」
「書類は相手に明確に意図が伝わるように」
「伝える、ではなく、伝わる」

など、コミュニケーションを謳った仕事術はたくさん存在するが、多くが「コミュニケーションの中にValueが生まれるから」と説明できるような気がする。


最後に

今週いっぱいはオリエンテーションで、本格的に「働き」始めるのは来週月曜日からである。

明日もまた、別分野のオリエンテーションが実施される予定だ。
どんな常識、どんな前提で自らの業界が動いているのか。その片鱗を知れる貴重な1週間である。
悔いのないように、向かっていきたい。

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