シン・エヴァンゲリオン劇場版

エヴァンゲリオンの感想をネットに書くなんて他のいかなる作品よりも危険なことだと思うので、
観ていて自分の中に生じた感情だけを書くことにする。
一回しか観てないので見落としとか見間違いとかあります。ネタバレあり!

観る前

・どう考えてもみんなが満足して終わらせる展開が思い付かない。
・また謎をばら撒いて終わっちゃうのもあり得る、普通にQの続きだという情報ですらネタバレになる。

パリ

・本番でキーボードカタカタするのはタイプミスとかした時に終わるから、ちゃんと自動化した方がいい。

・8号機の操作が完全に自動車のハンドルをモチーフにしていて面白かった。こういう技術の流用的なアイデアは好き。

第3村

・こういうパートって派手じゃないし、不要と思われがちだけど、世界観を説明するのは大事だと最近思うようになった。
あなたが守った街よとか、ヤシマ作戦で頑張る作業員の皆さんとかもそうだし、主人公とセカイだけじゃなくて、その意識の裾に広がる社会や市井はどうなっているのか。
「風立ちぬ」でも宮崎駿さんが群衆をちゃんと描かないとダメだと言ったという話を聞きました。
これはシンゴジラに引き続きテーマとなってる「現実と虚構」を扱う上で、その合間を埋める要素にもなる。観てる我々の世界と同じ部分を示される。
安野モヨコさんの作品が出てくるのもそう
(そういう意味で実際にある会社の名称を使うためにちゃんと許諾を取るのは素晴らしいことだと思う)

・このパートは農業最高!って言いたいんじゃなくて、共同体の役割について描きたいんだと思う。
Qの公開前に起きた震災とか新型コロナによって、以前より家族や地域のコミュニティの価値を感じるようになった。第3村では「ニアサー」により身近な人たちで協力しなければ生きて行けないので、個人ができる仕事で貢献する社会になっている。

・トウジが生きてることよりも子供がいる事にダメージを食らった。(男性・26才)

・あいさつの意味のシーン、物事の一つ一つについてあんまり深く考えなくてもいい(考察しなくてもいい)と言っているようにも見える。

・最初のパートの途中からアスカが首を隠すためにスカーフするようにしてて優しい

・無理矢理レーションを食わせられるシーン、手持ちカメラで普通に怖い

・ケンステは観測する人の役割が与えられている。水位を見守ったり、映像を残したり。

Bパート


・アスカのなんで怒ってるのかわかった?のところのやり取りで、「これまでのエヴァとは違ってちゃんとわかりやすく説明をするぞ!」という意識を感じた。(エヴァは最初からちゃんとシンジに説明していれば良かった。という感想は良くある。)
ただし一般に、説明しすぎるのを嫌う観客がいるというのも事実だし、言葉で説明せずに伝えるのが作家の腕という話もある。

・種の保存の件はビル・ゲイツさんのやつですね

・鈴原サクラと長良スミレは若い観客の視点を代理する役割を担っている。一歩引いて見た立場からの意見を彼女らが代弁している。

・鈴原サクラの、シンジによって守られたが、同時に家族を失ったっていう複雑な感情がすごく良く伝わった。

・嫌われたり、責任を取るのが大人の仕事ってミサトさんがいうところが何気に一番感動した。庵野秀明さんの宣言のようにも聞こえたので。

・冬月先生のポジションは敵側なんだけど凄いカッコいいですよね。他の作品でいうとどう言うキャラなんだろう。

・ミサトさんの最期は奇しくも加持さんと同じですね。

・Qの時点でネルフが冬月先生と碇ゲンドウの二人でどうやってやりくりしてるんだっていう話があったけど、碇ゲンドウ人間やめてたから大量のリソースがあったっていうこと?

・碇ゲンドウの独白、これまでにも最小限の説明があったが、(自分にも)それほど伝わってなかったのがはっきり説明された。地域の人との交流が苦痛だった。というのは村パートと対応している。

・碇ゲンドウも最初はシンジと同じ、周囲と馴染めない境遇だったのが、やがて世界を敵に回していたっていうのが全く無理なく描かれているのが凄い。

Cパート

・絶対この駅監督の地元のパターンじゃん→後で調べたらそうだった。

・フィクションの最後で、主人公を観客の元から解放すると言う展開がたまにあるんですけど、エヴァもその方式を採用していました。
声は神木隆之介になり、駅を出てどこか観客には分からないところへ行ってしまいました。

・終わり方としては「大人になれ」って言われるよりは、我々が人生を生きるために背中をそっと押してくれる様な優しさに満ちた清々しい終わり方なんじゃないでしょうか。
だれもが特別な才能や役割を持っている何者かになれるわけではないけれど、汗水流す人生を頑張ろうと言う気になれました。

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