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自分の能力は世界を救うために使う

オリエンタルラジオのあっちゃんの劇場版「鬼滅の刃」無限列車編の解釈が興味深かったのでご紹介させていただきます。

煉獄杏寿郎は強くて、優しい。
強くて優しい人になるのはとてもハードルが高い。
強くて優しい人はめっちゃ損してるじゃんと一時期思っていた。
強くなるってめっちゃレアだし、強くなることってすごい大変なことなんだから、強くなった人には最大限の恩恵を受ける権利があるだろうと思っていた。
だけど、本当にお前だけの力で強くなったのか?って言われると、「うっ・・・」ってなる。
強い人は優しくないといけない。
強いのに、チャイルディッシュだと世の中に迷惑がかかる。
デスノートのキラみたいな感じ。
強くて優しい人は同じくして能力の高いチャイルディッシュな人間との対決を求められる。
それがL。
Lもキラみたいなことをやろうと思えば出来るけど、Lは強くて優しい。
能力のある人はLとキラの間で常に揺れる。
能力のある人は、もっと自分のことを認めてほしい、自分の考えを皆に広めたいと思ってしまう部分もある。
それが正しいって認められたい気持ちと、いや、そうじゃなくて、そういう悪と対決しなきゃいけないって気持ちと。
世界には差別があったり、貧困があったり、すっごく大変な能力は持ってるけど、そういう人達によって仕組まれた悪がある。
それと対決しなきゃいけないという戦い。

ここから先は自分の解釈です。

劇場版「鬼滅の刃」無限列車編の中で、猗窩座(あかざ)は強くなれるなら何でもいいだろうという考えの持ち主。

強くなるためなら、鬼になってもいい、人を殺してもいい。

でも、煉獄杏寿郎は違う。

煉獄杏寿郎は最後まで自分の優れた能力を世界のために使い続けた。

で、自分の優れた能力を世界を救うために使う、自分の強みを世界を救うために使う。

と言われても、世界を救うために使える自分の強みって何だろうって感じなんですよね。

あっちゃんは確かに他よりも優れた能力がある気がするし、その優れた能力が他人から支持されて、影響力も持つことができた。

そして、あれだけの影響力があればその力を世界のために使おうという発想にもなると思うのですが、自分の場合はそれがどんな能力なのかもそもそもよくわからない状態なんですよね。

誰にでもあるものなのでしょうか。

そんなすごい能力が。

世界というか目の前の誰かのために使うという意味では誰にだって出来ることはあるのかもしれませんが。

煉獄杏寿郎ほど優れた剣術を持っているわけでもなく、あっちゃんほどプレゼンが上手いわけでもない自分のような人間は何をして世界に貢献したらいいのだろうか。

今の仕事は一応お金をいただいて、人から求められて働いているので、自分の能力を世界を救うために使っていると言えるのかもしれないけど、なんかしっくりきていない所があります。

それはきっと、自分が一番認めてほしいと思っている部分で評価されているわけではないからだと思います。

理想を言えば、自分が一番認めてほしい能力で、世界を救えたら最高なんですけどね。

とりあえずは、突出して秀でた能力じゃなくてもいいのかもしれないけど、自分の能力を使って世界を救う。ということを意識してみる。

その上で、自分のやりたいことと、世界が求めていることを擦り合わせていく。

そして、その過程で悪の道には逸れない。

そんな気持ちで進んでいきたいなと思いました。

ではまたー。

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