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1990年代初め頃には中国は歴史プロパガンダ攻撃が激しくなかった証拠。

当方の師匠連のお一人である。hinata殿のTweetより

1990年代初め頃には中国は歴史プロパガンダ攻撃が激しくなかった証拠。
サヨクは「南京・慰安婦・731」など戦後すぐから事実認定され定説化していたかのように言い、反論側を歴史修正主義と言うが、どれも大々的に出てきたのは1980年頃からだ。
それ以前はごく狭いサヨク界だけでのこと。

ハルビン防疫給水部本部の棟は現在『侵華日軍第731部隊罪証陳列館』の展示室となっているらしいが、1992年取材時点でまだ中学校になってるじゃないか。
本当に深刻な犯罪があったなら、地元民や子供も嫌がるだろうに長年学校だったんだね。


1970年代までは歴史教科書にも載っていない。本編の真偽は別としても、「戦後ずっと定説化していた」主張がまさに歴史修正(改造・歪曲)。

「南京」についての教科書扱い変遷。(簡易版だけどまあ合ってる)
近隣諸国条項なる奇怪なものが出て来たのが宮澤内閣1982年。

国内サヨクが戦前資料を針小棒大、歪曲捏造して発表し中国にネタを提供した形だな。1990年前後からチベット弾圧強化や天安門事件辺りから江沢民主導で反日捏造プロパガンダが加速。アメリカでも抗日連合会が活動。
が根底のネタは周恩来主導の撫順収容所「三光」で用意されていた。

以上。

以下は当方の感想。

そう言えば、撫順収容所の帰還兵が書いたとされている『侵略』という書籍があるのだが、中国帰還者連絡会/新読書社編(1958年7月7日)があるのだが、何度読んでも【小説(フィクション)】ですわな。
誰かが、確実に文章の手直し段落の構成を直してますわな。
それに、風見章という、ゾルゲ事件で逮捕されたもののなんとか罪を逃れた人物が【序文】を書いている。
内容がまた酷くて...

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