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写真俳句の視点|俳句修行日記

森村誠一氏に捧ぐ

 師匠しばらく留守にすると言って、旅支度。心の中でガッツポーズすると、この写真で俳句を詠めと宿題がでた。

困った写真

「季語どうしたらええんすか?」尋ねると、「ゴキブリにでも聞いてみろ」言うて出ていった。
 困り果ててツイ友に聞くと、ゴキブリは季語だと言う。なるほど、季語探しゲームだったのかと手を打って、ちょちょいのちょいと自信の一句。
「ねころんで四方のごきぶり友にして」
 師匠にメールすると「なんやコレ」と電話があって、もう一句強要されたので、「猫の親ひとの掟に背を向けて」と打ち込んで、未送信のまま放置している。誠もって、師匠の掟に背きたい…

 そうこうしているうちに、師匠帰ってきた。いきなり写真俳句の感想を述べよと言われたので、「猫の写真にどういう意味があるんすか」聞いた。すると、「写真に寄せる俳句は、従来の俳句と違うことに気付いたか?」と。
「わかりません」と答えたら、「やから視野の狭い俳句しか詠めんのじゃ」と師匠のたまう。そして、写真俳句の特徴を見つけだすこともまた、明日までの宿題になっちまった。やれやれ…


 夜更ししてようやく見つけた答えは、「季節にかかわらず、いつでも好きな俳句が詠めること」。これは完璧だと思ったんだが、師匠に「アホか」言われた。

 師匠のたまう。「写真には、撮影者の視点がある。自らの視野を大自然に求める従来の句とは異なり、そこでは、撮影者の視点を意識せにゃならん。そうせんと、写真の世界に入り込むことはできんからな。」

「写真に寄せる俳句は、相聞と思え。写真には必ず訴えがある。それを無視するならば、撮影者と心が通じ合うこともなく、光る言葉も生まれんじゃろう。」

 しかし、あの写真で光る言葉なんか見出せるか?そのことを師匠に言うと、「メッセージがダイレクトすぎて圧倒されたんじゃろうが、外に置かれた知覚対象ちゅうもんは、程度の差こそあれ、同じようなもんよ」と。

「それをどう詠むか。これは、社会生活に重なる部分じゃ。他者の思惑を自らの言葉に変えて、そこに宇宙の真理を探る。写真に付けることも俳句修行、ひいては人生にとって意味あることぞ。」(つづく)