invert

Haha, aren't you lonely?

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text.001

「誇り」とか「気高さ」とかは心が満たされないと生まれない。 相対的なもの、可変的なもので満ちることはない。 ところが「生来持ちえたもの」すら財力などで改変できるようになった。 それでも、スーパーマーケットで買い物をするとき、他の人のカゴを少し見てみるといい。自分のカゴと同じものがどれだけ入っているかを。 つまり、 孤独である、 と知ることが誇りを生むのだと思う。 あなたは(わたしは)10分以上目を閉じたまま思考したことはあるのかな。

    • text.004

      照度を無限に調整できる、と措定する。 すると我々は自らにとってちょうどいいところに否応なくシフトする。否応なく。 あぁ、輝度をいじるのではなく目を慣らすのか、とある日にある人たちはふと思い至るのだ。どれほど厚着をしても住む町の寒さに耐えられなければ引っ越すしかない、というのが当然であるのと同様に。 それがわからない者は凍える。寒い寒いと愚痴りながら生きることになる。 見える、のではなく、見る。 見ると見える。 その瞬間まで何が見えるかわからない。 その恐怖に耐え抜く

      • text.003

        その人も戦っている、で充分だと思う。 最終的には全ては程度の問題に置き換えることができる。そして規定するのは自分自身であって、規範ではない。 規範は記号へと、もしくは文脈へと変質していくのだから。 われわれは用いる。 ただ、必要として用いるのと、惰弱を助長するために用いるのとは異なる。 程度の問題、として逃げるようなものではないはずだ。 呪物は何もしない。それなら家に銅鐸を並べればいい。令和製の手作りの銅鐸でよい。心の中の銅鐸でもよい。失わないのならそちらのほうが良いか

        • text.002

          一日あたり50gの土を食べて満足できるよう人類の食を改変する、とするとき、あなたは(わたしは)まず土を改変するだろうか。それとも人をまず改変するだろうか。 noteで問いを立てることの根源は、言語を習得しようとする幼子の姿にある。 うまみを旨いと思わない人間もいる。 何も改変しなくても土を食う人もいる。 ところが土は有限なのだ。 無限である、という感覚は必ず限りを意識させる。そしてあなたは(わたしは)幼子ではない。 それが孤独をSNSに書き連ねる意味である。

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