戦場

安田さん解放による、自己責任問題について

3年もの間、シリアに拘束され、無事解放された安田さん。その無事を安堵する声も多いですが、それ以上に批判の声が多くあります。ジャーナリストとはいえ、危険な区域に足を踏み入れ、拘束されたのは「自己責任」であると。

安田さんに限らず、戦争ジャーナリストの行動は、以前から賛否両論あります。どうなろうが自業自得だとか、命を顧みないジャーナリズム魂は立派だとか。考え方も捉え方も人それぞれですからね。

ただ、今回のケースは、圧倒的に避難の声が多いと言えます。というのも、安田さんを解放する為に、カタールは3億7千万円もの身代金を支払ったそうです。表向きには日本はお金は出していないとのことですが、一銭も払ってない、ということはありえません。しかも、拘束されたのは今回が初めてではなく、4回目だということ。つまり、4度身代金を支払っているはずなので、一体いくらのお金がシリアやイラクといった武装集団に渡ったのか、単純に4倍ほどはあると思われます。

そういった経緯から、「人質になることが仕事なんじゃない?」とか、「プロの人質」とか、厳しい言葉を投げかける人もいます。その身代金によって、一体どれだけの武器になり、人の命を奪っているのか。安田さんがどういう立場であったとしても、事実として起きたことは起きたことなので、そこは揺るぎない事実です。

批難の声が大きいのは、ジャーナリストとはいえ自分勝手な行動により国からの支払いがあり、そのお金は税金から賄われているということです。それが問題視されているのですが、功績に釣り合っていれば、それ以上の功績があれば、批難の声は多くはないはずです。

わかりやすい功績でいうと、安田氏は3冊の書籍を出版しています。

『囚われのイラク:混迷の「戦後復興」』 現代人文社
『誰が私を「人質」にしたのか―イラク戦争の現場とメディアの虚構』 PHP研究所
『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』 集英社新書

私はこれらの書籍を読んだことはないし、どれだけの影響を与えたのかはわかりませんが、おそらく、功績とは不釣り合いと言わざるを得ないでしょう。批難の声が大きいのも、致し方ありません。

功績云々では話にならないので、ちょっと視点を変えてみましょう。

そもそも、ジャーナリズムとは、一種の病気と言えるかもしれません。決して、ジャーナリストを悪く言うつもりはありませんが、元々仕事としては成り立ちにくいものでしょうし、特に戦場カメラマンとか戦争ジャーナリストは、自ら危険な区域に足を踏み入れます。他の人がやろうと思わないような危険なことをやろうとする意味で、病気のようなものという意味です。

メディアでも有名な戦場カメラマンの渡部陽一さんも、戦場に行くため、テレビに出演して費用を稼いでいるそうです。渡部陽一さんの場合、テレビに出演して、お茶の間を笑わせてくれて、「笑い」と言う価値を提供してくれています。ただそれは、渡部陽一さんの価値であり、その仕事の価値とは違います。この手の仕事は、価値がわかりにくいところがありますよね。単純に「ビジネス」とは言いにくい仕事です。
会社において、すべての事業が利益になるわけではありません。「研究開発」なんかは、「下町ロケット」を観てもわかるように、むしろ出費の方が大きいと言えます。

つまり、安田さんのような戦争ジャーナリストは、会社の「研究開発」に当たる、利益は出にくいいようなものであり、一概に切り捨てられるものではありません。もちろん、その仕事を選んだ自己責任はあります。ジャーナリズムという病気でもあります。ただ、単純な功績とかではなく、目に見えない功績もあるかもしれません。こういう人たちが、戦争に参加しない日本を代表して、国際的な溜飲を下げていることがあるかもしれません。わかりませんけどね。

ただ、自己責任だけを追求するのではなく、目に見えない功績や役割ということも、公平な視点かもしれないですね。それがわかりにくいから、端的に責めてしまうのかもしれませんが。

ともあれ、過酷な3年間を過ごし無事保護されたので、今後、「研究開発」が無駄ではなかったということを証明してもらえたらいいですね。

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