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本当に欲しいものは、手放さないと手に入らない

本当に欲しいものは、手放さないと手に入らない

意味:本当に欲しいものは、得てして「いらない」と思えたら手に入るもの。

類義:押してもダメなら引いてみる

(例)いやぁ、本当に欲しいものってさ、中々手に入らないけど、不思議なもので「もういいや」って諦めたり、一旦気持ちを切り離したりしてみると、意外と手に入ったりするんだよね。好きな子に猛アタックし続けて断られてきたけど、一旦引いたら逆に誘われたり。まさに、「本当に欲しいものは、手放さないと手に入らない」ってことかもしれないね。


欲しいものを手にする為には、お金を貯めたり、何らかの代償を払う必要があります。しかし、どれだけ代償を払っても、手に入らないものもあります。敢えて「本当に」という枕詞をつけたのですが、本当に欲しいものは、簡単には手に入らないものです。でも、本当に欲しいのです(笑)。その為に必要なのは、手放すことです。

手放すとは、欲しいものへの「欲」です。

実際に手に持っているものを手放せば、持っていたものを失うことにはなりますが、手放すからこそ、新たなものを手にすることもできると言えます。この世界は、「諸行無常」というように、形あるものは全て無くなります。人はいずれ死ぬし、モノは壊れます。どれだけ大切にしていても、全てのものは無くなります。しかし、その存在を語り継ぐことはできます。


認識していれば存在する

『ONE PIECE』Dr.ヒルルクは言いました。

「人はいつ死ぬと思う?人に忘れられた時さ」

人の本当の死とは、命が尽きた時ではなく、誰からも忘れられた時だということです。これは、まさに量子力学的でもあり、「認識していないものは存在していない」ということでもあると思います。量子論の世界では、ある意味、生死は関係ないのかもしれません。例えば、大人になって、学生時代の友達と、当時はとても仲良くても、会わなくなったり連絡も取らなくなったりして、縁が切れたりしていることはあると思います。

今は、SNSで繋がっていれば、投稿を見たり、生きていることはわかっている(笑)、ということはあると思いますが、私も、旧友が今どこで何をしているか全くわからない人はたくさんいます。きっと、もう二度と会うこともない友人もたくさんいるでしょう。もう会うことはなくても、彼らと友人だった事実は変わらず、自分の中でそれは生きている「思い出」として残っています。

亡くなった友人はまだいませんが(知りうる中で)、父は5年前に亡くなり、この世界には存在していません。でも、私の中で父は生きているし、夢を見れば、たまに生きている状態で出演してくれたりします(笑)。夢の中では、死んだ事実はないですからね。

命の話になってしまい、今回は深くは追求しませんが、「死」を受け入れるということは、「生」への執着を手放すということもあると思います。「生」に執着するから、「死「への恐怖が付きまといます。なぜなら、「命」を失うことに恐怖がつきまとうからです。


結果は目的ではなく目標にして、道中を楽しむ

「道を拓くのは開き直り」という「創作ことわざ」に通じるものがあるんですが、どこか成功への欲を手放して、開き直ったからこそ、思ってもいないような成功を得られたとも言えるわけです。

「勝ちたい」「成功したい」と思うのは誰でも同じです。敵や競争相手がいるならば、それは相手も同じです。勝負においては、勝者がいれば敗者もいます。その場で勝ち負けが分かれても、後から評価が変わることもあるし、いくらでもひっくり返すこともできます。負けたから後で大勝することもできるし、勝ったから大敗することだってあります。

結果に捉われず、道中を楽しむのが「道楽家」です。勝ったから良い、負けたから悪いのではなく、今と向き合い、勝ったも負けたも道中を楽しんで、そこから何を得るかが大事なのです。「欲」が、それを曇らせるものだと言えます。所詮「欲しい」は「欲」なので、「欲を満たす」ことを目的にするのではなく、「欲」はあくまで手段として使い分けることがとても大事だと思います。

今回取り上げている「手放すべき欲」とは、「目的としての欲」だと言えるでしょう。ここは難しいところではありますが、失う恐怖を感じてしまうことが、自分のペースを乱します。

『HUNTER×HUNTER』メルエムは、達人の呼吸を乱すのは「欲望と恐怖」だと言っています。コムギには「欲望と恐怖」が通用しませんでした。その経験を経て、ネテロに対して「対話」で迫り追い詰めました。メルエムは、この二人の達人を相手にしたことで大きく変わりました。それは、恐怖に動じず、欲に目を眩ませないことで、自分のペースで運んだからです。それこそが「達人の呼吸」と言えるかもしれません。

西郷どんこと西郷隆盛は「無欲の大欲」と称されていましたが、無欲になることで、「大欲」である本当に欲しいものを手にすることができるのかもしれません。その為に、「欲を手放し、恐怖を受け入れる」ということが、本当に欲しいものを手に入れる方法だということです。

欲しいものを「いらない」とするのではなく、視点を変えて、「それがなくても大丈夫」という状態を意識したり、「手に入らないことを受け入れる」ことができれば、逆に欲しいものは手に入るものかもしれません。

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