「三浦春馬とHEROたち」(4)
三浦春馬と石原裕次郎
―日本人が一番愛している男―
ブロードウェイミュージカル『キンキーブーツ』(日本人キャスト版―春馬さんがダブル主演—)の打ち上げをしたお店。そこにとても美味しいお肉を卸しているお肉屋さんの店主が言われたエピソードを耳にしていた。「時間がたった今でも、こんなに慕われ続けるのは、裕次郎以来だ」と。なぜか心に残った。
ある日入った古書店で、『日本人が最も愛した男 石原裕次郎』17回忌追悼特別出版(2003年発行)というムック本を見つけた。読み進めていくと、120頁すべてから愛情があふれ出てくるようでずっしりとした手ごたえがあり、読み手に迫ってくる、充実の編集だ。
本を手にして思うことは、たとえ時間がたったりファンでなかったとしても、あらためてその目を見張る活躍ぶりだとか、日本映画のこと、そして人となりを知ることができた気がする。いや、あとになるほどに手がかりとなりうる、書籍のだいじさをとことん思った。
22才のときに『狂った果実』で映画デビュー。翌年より俳優・歌手として超多忙になる。生涯主演作99本、うち49本で主題歌を歌う。長きにわたり芸能界で活躍し、「一世を風靡した」裕次郎。その経緯を知るほどに、多くの人に愛されたことがわかる。お肉屋さんの店主が言われたことばがまた迫ってきた。
2大超大作は『黒部の太陽』、『栄光への5000キロ』。こうしてリアルタイムではほとんど縁がなかったわたしだけれども(記憶にあるのは、刑事アクションドラマ『西部警察』(昭和54年―59年)で大きな躯体でデスクに座っている男くさい「ボス」だ)、知らない世界が踊っていた。そこには出演した映画のポスターはもちろん、自宅や別荘のようす、愛用の服飾品まで色鮮やかにまるでファッション雑誌のようにセンス良く配置されていて、ほとんど古さを感じさせないほどだ。そして、回忌ごとの写真も載っていた。
―「日本中が泣いた日」―
1987年療養中に逝去、享年52才。その日、7月17日は、「日本中が泣いた日」と見出しがついていた。
春馬さんとの共通点もいくつも見つけた。「いつも周りに気を配っていた。思いやりとやさしさにかけては人一倍だった」とか、「オレは俳優だぜ。歌手じゃないぞ」(裕次郎さん流の照れ)。しかし、「歌手・石原裕次郎は、自分の曲をしっかりつかんでいた」と。
―石原裕次郎記念館(1991-2017)から、オンライン記念館へ―
「海が好きでした。(略)彼が病室で一番安んじて、懐かしい微笑で聞いてくれたのは、海と船の話でした。どうか皆さん、海を見るたびに裕次郎を思い出してやってください」とは兄の言葉だ。
逝去から4年後に、北海道の小樽に石原裕次郎記念館が建てられ、閉館までの26年間大勢のファンが訪れた。小樽の地は幼少期(3-8才)を過ごし、その後も第二の故郷として愛していた地だったという。小樽は昔から運河の街。彼が海やヨットを好きになる原風景だったのだろうと想像する。その後入場者の減少や建物の老朽化のために閉館。
そして、現在はオンライン記念館として続いているということを知り、さっそく見てみた。本とおなじで丁寧に愛に満ちてつくられていた。いつでも、ネットのなかで訪ねていける、そんな安心感もあった。できれば一度は、本物の記念館にも行ってみたかったけれど。
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