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「三浦春馬とHEROたち」(1)

三浦春馬と金子みすゞ

―百年を越えて―


私は俳優三浦春馬さんのファンになって4年目です。それ以前は、2010年の『君に届け』を偶然に観たという位の認識に過ぎませんでした。でも現在は、彼が演技というスキルを通じて伝えてくれるたくさんのものを日々受け取っています。30年という短い生涯だったかもしれませんが、遺したものは少なくないと思います。

 
そんな春馬さんの作品やインタビューでのことば、まわりからの評価などを見ていくなかで、ふと、共通点のある人物に気づくことがあります。あるとき、童謡詩人の「金子みすゞ」の生き様と春馬さんが重なってくることがありました。


私は歌うことが好きなので、金子みすゞの詩に曲をつけた、「私と小鳥と鈴と」から始めたいとおもいます。
その一節にある「みんな違って、みんないい」が有名ですね。弱いもの、優しいもの、忘れられたものに対する思いやりが綴られています。大正時代に生きた市井の女性詩人で、その生涯は短く26年。初の詩集が発刊されたのは没後50年を過ぎた頃だったといいます。

 
そして、東日本大震災で日本中が不安な気もちになっていた時に、テレビのCMで繰り返し流れ多くの人の胸を打った詩は、「こだまでしょうか」。 
みすゞさんのユニークさは、根底にあるその逆転の視点だといいます。 『見えぬけれどもあるんだよ。見えぬものでもあるんだよ』と謳っています。

また、童謡は日本の文化遺産ともいわれます。それは三大童謡詩人の白秋、雨情、八十や与謝野晶子、若山牧水等々が書いた童謡詩に曲がつき、皆が愛唱することで百年を越えて歌い継がれることになった。(みすゞの詩は512作全てに曲がつき、全国で今も歌われているそうです)。

 
私は、みすゞが「詩人から、表現者という創作者へ」とその才能を開花していったことが、三浦春馬の「役者から、表現者へ」という評価に通じるようにかんじました。

その含意の深さ、天才の底知れなさ。

みすゞの文学研究は深まりをみせていて、同様に三浦春馬についての研究もはじまるだろう。そして、それは専門家などの一部の人だけでなく、ファンや気にかけている人たちが「一体、この魅力とは何なのだろう」と、まだまだつかみきれていない中で、今も尚、たくさんのかたが、いろいろな角度から言葉を紡いでいることに象徴されているようにおもいます。


私も現在まで、みなさんの「言葉」や「想い」にあるときは涙したり、気持ちを代弁してもらえた安堵をおぼえたり、と勇気づけられてきました。

「みんなが語ること」で、大好きな才能あふれる春馬さんが百年を越えて、いつまでも語り継がれ、愛され続けることを願っている一人です。


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