シェアハウス・ロック0511

ハリー・ベラフォンテ1960年in Japanを発見

 前述のカーネギーホール・コンサートは、1959年のことである。その翌年、ハリー・ベラフォンテが来日した。
 1960年の日本公演は2日間だったはずで、その公演を見た三島由紀夫は、ベラフォンテを「褐色のアポロ」と言っている。さすがうまいこと言うもんだね。新聞に掲載されたコンサート評中の言葉なのだろうが、私は、当然リアルタイムで読んでいるわけではなく、中村とうようさんの、ベラフォンテのレコードのライナーノーツのどれかで知ったわけである。
 この日本公演の映像を、私はYouTubeで発見した。まさかあるまいと思ったが、念のため「ハリー・ベラフォンテ 1960」で検索してみたところ、ヒットしたのである!
 1960年は、ベラフォンテの第一回目のカーネギーホール・コンサートの翌年だ。おそらく、ほとんど出演者は同じで、向って左の3人(ギター×2、ベース)は、カーネギーホール・コンサートと配置も同じ。コーラスも同じ。ちなみに、ギターの右側の人がミラード・トーマスなんだと思う。ミラード・トーマスは、初期のベラフォンテのアルバムの伴奏をよくやっている。
 確か、TBSとタイトルバックに出て来たと思う。TBSで放映されたものを、どなたかが録画し、アップしたものなのだろう。当然、画質、音質はよくないが、そんなぜいたくは言っていられない。これが見られただけでも大感激で、しかも、あたりまえだけど映像つきだからね。もしかして、カーネギーホールのものも、誰かが録画していて、いつの日か見られるかもしれない。長生きしなくちゃね。これを見るためにもね。
 この来日中、べラフォンテ先生は美空ひばりの家に行き、歓待され、美空ひばりの歌う『唄入り観音経』を聞いて、泣いたという。日本語がほとんどわからないべラフォンテが泣いたのだから、たぶん美空ひばりの音楽の「構築性」で泣いたのだろうと思う。これは竹中労の『降臨 美空ひばり』に出ていた。私が読んだのはこのタイトルではなく、『美空ひばり伝』とかなんとか、味も素っ気もないタイトルだった気がする。文庫化するときに、タイトルを変えたんだろうか。
 ハリー・べラフォンテの人となりを知りたかったら、「追悼 ハリー・ベラフォンテ インタビュアー 黒柳徹子 1997年」をYouTubeで見てくださいな。
 黒柳徹子は、音楽家夫妻の娘さんであるにもかかわらず、たぶん音楽はそんなにわからず、国連大使かなんかだったんで社会運動家としてのべラフォンテにフォーカスし過ぎている嫌いはあるものの、番組全体としてはなかなかいい。
 ただ、私としては、音楽家としてのベラフォンテのほうが、100倍も好きだ。あれくらいの社会運動家はけっこういるが、音楽家としてあれだけの人はなかなかいない。
 べラフォンテは公民権運動の闘士でもあったのだが、逮捕されることを心配した人から意見をされ、次のように答えたと言う。

 音楽家は逮捕できるかもしれないが、音楽は逮捕できない。

 私が生涯聞いたなかで、一番いい言葉だ。その通りである。音楽は逮捕できない。だから、音楽は絶対的に自由なのである。

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