シェアハウス・ロック0422

写楽

 階下にある図書室の本棚に、いま、写楽関係は、『東洲斎写楽』 (渡辺保)、『写楽』(中野三敏)、『写楽仮名の悲劇』(梅原猛)、『東洲斎写楽はもういない』(明石散人・佐々木幹雄)、『新・日本の七不思議』(鯨統一郎)がある。ああ、貧乏でも図書室を持てるってのも、シェアハウスのメリットだね。私なんかには相当に大きなメリットである。
 渡辺保さんの本はすばらしいのでずっと捨てずに持っていたが、その他は、ちょっと写楽のことを考えたくなって、ここ一、二年で買い戻したものだ。
 これらの「写楽探し」の唯一と言っていい資料が、『浮世絵類考』である。
《浮世絵類考》(寛政2年、1790年)はそもそも大田(蜀山人)南畝によるものだが、享和2年(1802年)山東京伝が〈追考〉を加え、文政年間(1818年-1830年)式亭三馬が増補した。斎藤月岑の《増補浮世絵類考》(弘化1年、1844年)「写楽斎」の項に「俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也」とある。
 なんでこんな変遷をたどったかと言えば、『浮世絵類考』は刊本でなく、写本だったからである。写本だから、本体を写したついでに自分の意見を書き入れたりする。よって、異本が多数発生することになる。
 たとえば、「三馬本」には、「三馬按、写楽号東周斎、江戸八町堀に住す、はつか半年余行はるゝ而巳」と書かれている。ここには紹介しなかったが、太田南畝の10年後の異本には、「俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也」「これは歌舞妓役者の似顔をうつせしが、あまり真を画かんとてあらぬさまにかきなさせし故、長く世に行はれず一両年に而止ム」とある。
『東洲斎写楽』 (渡辺保)はすばらしい本で、あれだけの短期間であれだけの歌舞伎の絵を描くことは相当に困難であることをまず証明し、可能なのは歌舞伎関係者だけのはずだと論を展開する。見事。
『写楽仮名の悲劇』はだめ。印象批評に過ぎない。梅原さんは、印象批評がハマると相当にすごいのだが、外れると目も当てられない。だいたい、他の浮世絵師を写楽に比定する論は、ほとんど「ここの線が似ている」など、印象批評である。元(モデル)が同じなら、線が似ているのはあたりまえなのにね。
『東洲斎写楽はもういない』は、前述の写本の森に分け入り、迷い、出て来られなくなった。
『新・日本の七不思議』(鯨統一郎)は、どちらかといえばパロディなのだが、抑えるところはきちんと抑えたうえでのパロディなんで、私は好きである。だいたい鯨統一郎さんの本は、みんなそう。『タイムスリップ森鴎外』なんて、森鴎外が現代にタイムスリップし、女子高校生に「モリリン」なんて呼ばれている。
『写楽まぼろし』(杉本章子)、『東州しゃらくさし』(松井今朝子)は、「書名に写楽」のなかでも白眉であったことはもう一回言っておきたい。
 それと、『名主の裔』(杉本章子)も是非とも紹介しておきたい。維新後、江戸に駐留していた旧薩摩藩士が身に着けていた錦の布きれをかっぱらおうとして捕らえられた江戸市民を、名主が助ける話である。この名主のモデルは斎藤月岑だと、私はにらんでいる。斎藤月岑は明治11年まで生きているので、平仄は合う。そして布切れを盗んだ者を斬ろうとした薩摩っぽは桐野利秋であってほしい。だが、桐野利秋はもう偉くなっていたので、市内巡邏なんかやらないかな。
 あと、ネットで探した「世界」ネタで、「もと仏教の術語で,生物が生存し輪廻する空間を意味する」というのがあった。仏教では「仏界(ぶっかい)」に対して「世界」というそう。ただ、出典は『仏教が生んだ日本語』(大谷大学)としてあった。出典をあげるなら、もうちょっとちゃんとした本(経典)にしなさいね。子どもじゃないんだから。

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