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2024416 宮崎へ②

宮崎旅行、二日目のココロ。

ネカフェで目覚めて、朝うど~ん!
資さんうどんは前から行ってみたかった九州チェーンのうどん屋さんです。

肉ゴボ天うどん。
ゴボ天ていうか鉛筆が五本刺さってる感じ。


ゴリゴリザクザク超うまいな、これ!

だしもコシも関西とは違う。
九州のうどん、やはりうまい。



さて。続きましては。
歴史のお勉強の時間です。


都城島津邸。

ふらりと寄りましたがボランティアガイドさんが熱心に説明してくれてオモローでした。


以前に岡崎の本多忠次邸について書きましたが、それに近いです。ざっくり言うと『かつてのお殿様が廃藩置県後に建てた和洋折衷のお屋敷』です。


島津という名は薩摩とか鹿児島のイメージでしたが実は都城島津と島津、二つあるとの事で。

そもそも島津のルーツは都城にあり、その後、薩摩に移ったとの事。ですから島津本家にとって都城島津は数ある分家の中でも特に重要な位置付けとされています。

これ両家の家紋ね。

ほぼ同じですが、都城島津の方は、丸と十文字が離れています。そもそもはここまで開いてなかったそうですが、幕府から『紛らわしいからもう少し隙間を開けてちょんまげ』というお達しがあったらしいです。

ちなみに、くるりも歌っていた『鹿児島おはら節』の曲中にも『丸に十の字の~♪』という歌詞があります。

よく見ると、屋根の上にも十文字の島津の家紋があります。田の字になってますよね。


そしてこのお屋敷には昭和天皇が昭和47年に宿泊されました。その際、天皇皇后両陛下をお迎えするための大改装工事が行われました。

大理石のお風呂に非常用の螺旋階段に。
お手洗いも宮内庁からのお達しで一階と二階に新造されました。

たった一泊するだけやのに、、。
なんともはや、、。
凄まじい話ですよね。


面白いのが。

庭園を一望できる縁側があるんですが。
改築費用がおっつかなかったらしく。
縁側が敷居を挟んで手前と奥に分かれているんですが、両陛下が夕食を取られた奥の間だけが改築されているんですね。

手前は四枚ガラスですが。

奥の縁側は眺望の良い一枚ガラスです。

手前は普通の障子ですが。

奥の間は雪見障子になってます。

下半分がガラス張りになっていて障子をスライドして上げられるのです。



素人考えだと『そもそも何故そこまで無理をして両陛下をお迎えする必要があったのか?もっと設備の整った宿泊施設が他になかったのか?』と思いますよね。


これには答えがありまして。

昭和天皇の皇后、香淳皇后の母親の旧名は島津俔子さんといいます。

はい。島津の出なのです。

ですから昭和天皇にとって島津は『奥さんの田舎』にあたる訳です。これ、天皇家の血筋に入れてもらった島津の側からすれば何としても滞りなく陛下をお迎えせねばという面子、体面の話になってきますよね。

なるほど~と、つくづく納得しました。

すっかり満喫して島津邸を後にしました。
歴史ってやっぱオモロイわー。



その後、西都城の駅前で駅弁屋さんを発見。

そら買うでしょ。

かしわめし然り。かしわうどん然り。
なんか『かしわ』という文字には食わずにはおれん魔力があるよな、。


西都城駅から宮崎駅へ。

嵐坊(らんぼう)の鳥もも炭火焼き。
嵐坊も宮崎行ったら寄るべき名店です。
レアな炭焼きチキンをハサミで切りながら食う。たまらん。てげうめっちゃ。

秘密のケンミンショーで観たこれを食いたいってのも宮崎に来た理由のひとつやからね。

ただ今回は宮崎駅店でランチで食べましたが後日スナックで地元民に聞いたところ『違う違う。嵐坊は上野町店で超レアを頼んで夜に呑みながら食うんだ』とお叱りを受けました。

確かに白飯と食うよりビールで流し込みたいよなぁ、これは。


腹ごなしにレンタサイクルを漕ぎつつ、デザートを求めて移動。

わらべのチーズ饅頭。

チーズ饅頭は昨日も食ったんですが、数あるチーズ饅頭の中でもここのは別格らしく。

饅頭というよりクッキー並みに生地がしっかりしてて、チーズがめちゃフレッシュでした。

お土産屋さんのやつは数週間もつけど、ここのは要冷蔵で三日以内。


予約が無難ってのも、うなずける味でした。

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