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【代表おーみちのブログ】お金にならないと分かっているのに、FTM総合サイトを作る理由【前編】

はじめまして大道 令己(omichi haruki)と申します。
私は性同一性障害、GID(Gender Identity Disorder)、Transgenderと称される時期を生きてきた37歳の埋没FTM(Female to Male)です。2021年12月からFTM総合情報サイト「YALLAH!」の運営をしています。

YALLAH!のメインイラストです。ジェンダーの間で揺れ動く様を好都さんに描いていただきました。

YALLAH!(やら)とは「YALLAH」=「さぁ行こう」。英語でいうところのLet’sと、古典の「やら」=「感動したり驚いたりした時に発する言葉」という意味を込めた名前です。みんな一人で抱えているものがある「野良」とも重なりました。それでも、サイトを通して、新しい情報や自分と同じ想いの仲間がいると知る事で、前向きな気持ちを持てるようにという願いを込めています。大きな願いを掲げてはいても、現在はまだ情報量も少なく未熟なサイトです。いつか「総合」と呼ぶにふさわしいサイトになるように、地道に育てていきたいと思います。前編は、YALLAH!を作るに至った経緯を、私の過去を織り交ぜながらお伝えしたいと思います。長くなりますがお付き合いいただけると幸いです。

※一般の方でも分かりやすいように一番下に用語集をつけておりますので、分からない単語はそちらをご参照下さい


Transgenderの中心から少し外れた存在


私は子供の頃から、男の子とばかり遊んで、男の子のオモチャばかり欲しがってと言った、FTM(Femele To Male:女性として出生したが男性として生きていくことを望む人)あるあるの中心にはいませんでした。

おままごともすれば、戦隊ごっこもするし、シルバニアファミリーで遊べば、野球もする。男女どちらの友達もいて、性差のない子供時代を過ごしていました。

また、学生時代は生理や制服に嫌悪感はあっても、周りから変な人と思われる方がよっぽど恐ろしいと考えていて、人から否定されないようボーイッシュな女性という立ち位置で何とか自分を納得させていた時期です。
高校生の時に初めて彼女が出来ましたが、自分はレズビアンなのかと悩み、周囲には彼女がいる事を打ち明けずに過ごしていました。

そうやって、自分が普通の女性とは違うと感じながらも、学生時代は社会と折り合いをつけて生きていけた為、私が性同一性障害であるという決定打を打つのに時間がかかっていました。

当時、性同一性障害という言葉は、あまり馴染みのない単語で、おかま、おなべという差別的な言葉が社会には認知されており、その言葉の持つネガティブなイメージは人から拒否されたくない私には強烈で、絶対に自分はそれにはなりたくないと思っていました。
その為、大学生になった頃の私は、普通の女性として何とか生きられないものか模索し、着飾って合コンへ行ったり、男性と付き合ってみようと色々試みては、着ぐるみを着て女性の演技をしている小器用な自分と、女性としての違和感を抱える自分の二重人格をコントロールするような生活をしていました。

しかし、大学を卒業し就職をすると学生時代よりも強烈に「女性」を意識させられる事が多くなり、女性の演技をする自分の割合が圧倒的に多くなっていきます。
社会は「男性」か「女性」で役割が分かれていて、そのどちらかしかいないのだと思うと、社会で生きていけない自分に絶望していきます。
そして、小器用に生きてきた自分が通じなくなり、このままでは自分自身が潰れてしまうと考えるようになりました。

今も一部そういった考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、当時は性別にグラデーションがあるので皆それぞれの生き方があっていいという考え方より、FTMの真ん中以外はFTMと認められないといったような風潮が強かったように思います。

FTMの真ん中(あくまでも私感です)とは、
・幼少期からはっきりとした性的違和があり迷いがない
・誇張された男性像の体現
・FTMにおけるSRS手術の最終である陰茎形成まで終了せざるをえない精神状況である

私のように小器用に女性を演じられる人は、最早FTMと呼べなかったんですね。おこがましいと言った気持ちがありました。

今でも真のFTMの方々に対する後ろめたさみたいなものを持っていて、もし自分が世界に一人だけでもSRS手術をしただろうかと考える事があります。
10年越しの私の答えは、この社会で生きていく事から逃れられない以上、その問い自体が無意味では、という事です。

しかし、私自身が社会に適応するために自分の曖昧な「性別」を自分の意志で決定した人間だと思っていましたが、生理がなくなって、声が低くなり、胸がなくなり、体つきが男らしくなっていくにつれ、涙を流して喜ぶ自分の姿がありました。実行して初めて私は自分が男だったんだと思うようになりました。

LGBTsから遠ざかり、普通の人に紛れて過ごす日々


私は27歳の頃、大学病院の精神科に通い始めました。
月1回受けられないカウンセリングを1年ほどかけて終わらせ「性同一性障害」の診断書をもらい、そしてやっとホルモン注射、それから1年後にタイでSRS手術をして戸籍変更が終わったのは29歳の時。
その間、前後合わせると、約4年くらいLGBTs当事者とオンライン、オフライン両方で繋がりながら情報を集めながら進めていました。
初めて当事者と会った時、自分が抱えているモヤモヤを説明しなくても理解してくれる存在がいる事に涙が出そうになったことを覚えています。


当時の記録。当時は色々気になって山のようになってしまった。
今ではほとんど見返すことはありません。


そうして、30歳という節目の年齢になる頃、男性の戸籍を手に入れた私は、普通の男性として生活する事に憧れ、埋没した状態で、初めて会社に勤める事になりました。
そこから、LGBTs当事者との関係は希薄になっていき、ネットで『FTM,GID,性同一性障害』などの検索もしなくなり情報から遠のいていきました。

社会的に初めて男性として生きる時、調整が必要でした。
29年間、ボーイッシュな女性として生きてきたのです。自然体でいればいいとは言っても、隠していたものを急に表に出す事がこの時ばかりは器用にできず、社会人になって1年くらいは自分の存在、行動が変だったらどうしようと周囲の目をずっと怖がっていた記憶があります。
その為、1年目の会社での印象は「頼りない人」でした。

「自分」と言っていた呼称を仕事では「私」私生活では「俺」と変更する事から始まり、トイレなどもそうですが、基本男性との触れ合い方、些細な事が分からずいつも困惑していました。
仕事の成果を出す努力に集中したいにも拘らず、男性のコミュニティでの生き方も同時に学ばなければなりません。
誰に頼ろうとも思いませんでしたが、内心とても孤独な気持ちで踏ん張っていました。

それも、何年かすれば板についてくるもので、3年くらい経った頃、私はもう自分がボーイッシュな女性としてどうやって生きてこれたのだろうと思うほど今の自分が本当の自分だと感じていました。
それでも、上司に一緒に温泉に行こうと言われたり、部下がトイレに一緒に付いて来たり、小さな事で時々顔を出してくる埋没FTMとしての憂鬱がありました。

FTMの自分と向き合わざるを得なくなった事件


私は30歳で戸籍変更をすると、そのまま学生時代から長年付き合っていた女性と結婚します。
結婚生活は順調で、彼女は専業主婦を希望していた為、扶養の範囲内で稼ぎ、家事全般を任せていました。その代わり私は仕事に集中し家計を担っていました。所謂、昭和の幸せな家庭像が彼女の憧れだったのです。
昭和の幸せな家庭像とはどういうものでしょうか。
持ち家、車、専業主婦、それを養える夫、そして、子供の存在です。

この子供の存在がFTMである私を苦しめていきました。

結婚して5年経った頃、私たちの結婚生活は順調なままでした。
そして二人でいる事に少し退屈していました。
ある日、彼女は「子供が欲しい」と言い、私はそれに向けてすぐ動き出しました。

私に子供を作る機能はありませんので、方法としてはAID、夫に不妊の原因があって妊娠できないときに、夫以外の第三者の精子を用いて子どもを授かる方法です。
しかし、このAIDは病院で不妊治療として認可されていても、FTMには適応されませんでした。つまり、AIDをするには病院ではなく、自分で第三者の精子をもらい、シリンジ法で子供を授からなければなりません。

私は、自分が本当の男じゃないから彼女に子供を作って上げられないという事に負い目を感じていました。そもそも私と結婚してくれたことにも。
なので、彼女が自然妊娠したと勘違いするくらい、一から十まで自分が準備をして、彼女に何の苦労もさせてはいけない、それがせめてもの私の償いだと考えていました。

しかし、第三者との精子提供のやり取り、受け取り、彼女への精子注入。
私はシリンジをティッシュに包んでゴミ箱に捨てる度に、目の前の行為が自分を男ではないと改めて突き付けられ、社会で男として過ごした自分が否定されているように感じる、そんなモヤモヤをティッシュと一緒に捨てているような感覚を覚えていました。

結局どんなに頑張っても男にはなれないし、彼女と子供を成すことが出来るのは他人の男性であるという事実を上手く飲み込むことが出来ませんでしたが、誰に相談する事も出来ません。
その頃にはもうLGBTs界隈の人たちと繋がりが消えていたし、この状況を説明して理解してくれる人が誰も思い浮かびませんでした。

「子供が出来るの楽しみだね!」という彼女の姿に、「うん!」と元気よく答える私は、今度は家族に対して小器用に自分を演じていたのです。

いつの日か、私はまた携帯で『AID FTM』そんな単語を検索するようになりました。

いつか来るまたLGBTsと交わる日


当時は『AID FTM』と検索しても出てくる情報は限られたものでした。
『辛い』と検索しても自分が必要とする情報は全く出てこない。
そんな日々が私をより一層、孤独なものにしていったのです。

LGBTsは日本の総人口の5~7%、その内FTMは1~2%とすると約100万人です。東京や大阪は違うかもしれませんが、地方に住んでいるとリアルで会う確率も低い上に、友達になったり知り合ったりする可能性はもっとありません。
私は30歳でLGBTs界隈と遠ざかってから5年が経っていました。

もう自分は社会的に男として生きていくからと、LGBTsの人々との関係を積極的に繋げたり、情報を探したりする事とは無縁になっていたのですが、AIDという壁にぶつかった時、相談できる相手が欲しいと思いました。

戸籍変更をしたから後は男性として生きていけると思っていましたが、これからもFTMという事が原因で起こる問題があり、それは一般の人には理解できないものが多いという事に気づいたのです。

性同一性障害は過去に蓄積されたデータがあまりありません。
つまり、今後、どういう問題が出てくるのかまだ分かっていないのです。
AIDの事もそうでしょうし、病気、介護など想定は出来ても具体的な問題がどういうものなのかはまだ分かりません。
当然、解決策など用意されていません。
私たちは問題の最前線にいて、解決策を自分たちで探していく必要があるのだと思いました。

そうして、私はまたLGBTsの情報を集めながら、もっと当事者含むLGBTsの問題を一緒に解決していける人達と繋がっていく為の装置が欲しいと考えるようになっていきました。

後編はこちら

用語集



性同一性障害/GID/Transgender:身体的な性別と自認する性別が一致していない人
FTM:Female to Male transsexual:女性として出生し性自認が男性である人、または、女性から男性へ性別移行を望む人
埋没:身体的な性別を公表せず、自認する性別で社会生活を希望する人
SRS手術:性別適合手術。性別の不一致、性同一性障害を抱える者に対し、当事者の性同一性に合わせて外科的手法により形態を変更する手術療法。FTMの場合は、乳腺摘出、子宮卵巣摘出などがある
ホルモン注射:FTMの場合はSRS手術前は男性化を進める為に、SRS手術後は体内で生成されない男性ホルモンを補充する為に投与する
LGBTs:レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダーの頭文字と、その他性的少数者と言われる人々を複数形のSで表した性的少数者の総称。LGBT、LGBTQなどとも呼ばれている
AID治療:不妊の原因があって妊娠できない時に、第三者の精子または卵子を用いて妊娠する治療法。
シリンジ法:シリンジ(針のない注射器のようなもの)を使って、女性自身が自ら腟内に注入する方法

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